疏水分線

ソガ/疏水太郎のブログです。

修行する中学生

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ひとりぼっちの○○生活 アニメ第10話。

完璧な/強い中学生としての自分を思い描く中学生にゃ弱いですよ、わたしは。中学1年生の初詣の願い「わたしは強いひとになる」(倉井佳子)「わたしは完璧なひとになる」(本庄アル)の並びにやられた。私にはどうもこの《ひと》が《中学生》に聞こえるのでして。それは未来じゃなく目の前の今への切実な祈りであると、わたしはこれまでの彼女たちから知っている。

「カンペキ中学生!!」という自己イメージの笹目ヤヤ(中学2年生/ハナヤマタ)、「だってもう私たちは立派な中学生じゃないか!」の八木はじめ(中学2年生/成恵の世界)。これが立派な大人になる、なりたい、だと皆目ぴんとこないのですが、中学生が中学生を目指すとき、その願いは現在へと鮮やかに反射するように思えてならないの。

 

ここで○○生活の第8話に戻ると、それぞれ自分なりの思いがあって何かを修行している中学1年生、というのが胸に来る。強いひとになるための佳子さんの修行っぷりもなぁ。ここで私は、修行、って言葉を使いたいんです。それはソトカさんの目指す「忍者」からの連想でもあるのだけど、そこに彼女たちの過剰なまでの思い入れの感じられることを、尊重したくって。

夜にひとり出てゆく

旅の夜、みんなから離れひとり宿を出てゆく。

一度目は海だった。学部最後の夏、徳島の阿南で合宿をした。はたしてどの辺りだったか? 20年経つと記憶が怪しいのでこの機会に振り返っておきたい。それは Google マップのストリートビューが手伝ってくれる。あのとき私が見た夜の海辺は北の脇海水浴場の堤防からの眺めだった、と思う。

しかしストリートビューに夜更けはこない。暗いと写真撮れないからね。Google が必死に集めているのは昼間の世界であって、私が20年前の夜に見た堤防は未だ私の記憶にしかない暗がりの世界である。

宿の宴がもうぐだぐだになった頃だと思う。当時はあまり飲みもしない缶ビールを片手に部屋をひとりで抜け出した。宿から海までは鬱蒼とした繁みが続いて暗かった。暗いことは願ったりだ。なぜって、私はたぶん星を見に行ったからである。

堤防のコンクリートに座り、傍らに置いた缶一本を友にして、いや、さして飲みもしないのに気分で持ってきたものだから缶ビールには悪いことをした。あまりおいしいとも思わなかったビールを片手に星を見上げた。空は薄曇りだった。

大人になってからの海水浴はこれが最初で、そして最後だった。はじめて海水パンツを買い、どういうものかよく判らずについていった。ただ、海辺は明かりが少なくて星がよく見えるだろうという予感だけはあった。実際に行ってみると、よく判らない宴会から抜け出して独りになりたいという気持ちもそれに加わっていた。

その夜、アンタレスくらいは判っただろうか。とくに早見盤の準備はしてなかった。今ならスマートフォンの早見盤アプリで確認できるのだが。それでも1時間ばかり星を眺めていた。星のことを積極的に知りたくなってから初めての海だった。

宿に戻って、1時間ほど勝手に抜け出していたのであるが、特に何も言う人はなかった。

 

二度目はコミケ旅行の夜で、東京の上野にみなで宿泊した。夜はなかなか眠れないほうで、何人か同じ部屋のときは特に困ったのだが、その夜も緊張で眠れないでいた。みなが寝静まったころに部屋を抜け出して、東京なので外に出るのも怖くて館内をうろついていると、ホテルの中だというのに妙に風情のある開けた場所に辿り着いた。ここは水月ホテル鴎外荘といって、ホテルの中に森鴎外の旧居が保存されているのだった。夜なので照明の落ちた旧居をホテルの廊下からずっと眺めて夜を過ごした。

ずいぶん経ってから部屋に戻ると、ひとりの先輩が「どうしたの?」と声を掛けてくれた。出て行くときに気がついたのか、あるいはトイレにでも立ったとき、ひとつ蒲団が空いてることに気付いたのか。そして、私が戻ってくるときにもまだ起きておられたのだった。

そのとき、夜にひとり出てゆく自分の気持ちというのをうまくは伝えられなかったのであるが、いつも誰にも言わず勝手に遠くへゆく自分にとって、それでも他の人間の気持ちについて深く感じ入る出来事だった。

 

と、そうした昔のことを、読んでいて鮮やかに思い出したのだった。

あの頃の青い星1

あの頃の青い星1

 

 

 

はがきろいど・玉木マリ(仮)

f:id:kgsunako:20190601211342j:plain1.はじめに

「宇宙よりも遠い場所」に登場する玉木マリ(キマリ)さんの「ペーパードール」を二次創作で作りました。着せ替え可能にする予定ですが、このバージョンは試作品のため出来ません。

 ペーパードールというのは、ボール紙でできた子供用のものから本格的なものまでありますが、こちらは郵便はがきサイズの紙でよく似たものを作れないかと考えて制作したものです。はがきサイズなので《はがきろいど》と名付けてみました。

 はがきサイズの作品はいまコンビニのネットプリントを使うと誰でも無料での作品公開ができるので、沢山の人に手軽に作品をお届けしたいという気持ちが背景にあります。

※ なお、ネットプリントというのは利用者が60円の実費だけで登録したイラスト作品をハガキ印刷できるサービスです。作品を登録した作者の側に利益は生じません。

※ 本作品のネットプリントでの公開は、2019年6月1日現在、私の Twitterアカウント(@canalsphere)でのみ告知しております。いつでも公開している訳ではないためご注意ください。

 

2.印刷と準備

■ セブンイレブンのネットプリントでの印刷方法はこちらをご参照ください。

STEP3 プリントアウト:ご利用方法:ネットプリント

 

印刷すると次の1枚のはがきが出てきます。

※ ご覧のとおり、はがきです。郵便番号枠や切手枠も印刷されており、作品の裏側にこの部分が含まれますが、これも作品のうちとお考えください。

 どうしてもご不要であれば、郵便番号枠等のない白いハガキを持参してプリントしてください。

 

■ よく切れるカッターとのり、もしあればマスキングテープもご用意ください。

 

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3.切り抜き

輪郭に沿って、「本体」「前髪」「後髪」「支柱」の4つのパーツを切り抜いてください。

よく切れるカッターで切り抜いてください。怪我しないようにね!

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本体を切り抜くとこうです。下の写真の足先の赤丸あたりだけは残して、脚には切り込みを入れて下さい。

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逆から見るとこうです。

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支柱はこうです。こちらも根元の白いところに少し切り込みを入れます。折る向きにご注意。

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前髪と後髪のツメを折ってください。折る向きに注意。

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4.組み立て

支柱を台の裏に糊付けしてください。向きに注意。

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支柱と背中の接触面は、糊付けしてもよいですが、このままでも支えられるので糊無しでもよいです。

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後髪を本体に付けてください。後髪は茶色が手前です。逆じゃないのでご注意を。

糊でとめてもよいですし、後に着せ替え等を考えるならマスキングテープで仮留めでもよいです。

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前髪のツメ2本を、本体と後髪の間に差し込んでください。

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以上で完成です!

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後髪が膨らみすぎるようでしたら、上のほうをマスキングテープや糊で留めてください。

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アレンジとして耳を出してあげても可愛いです。

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 頭部に立体感(前髪、顔、後髪)があるモデルで面白いと思うのですがどうでしょうか? 前髪、顔、後髪をどれくらい離してボリュームを出すかはお好みで調整してみてください。ピタッとくっつけちゃっても構わないと思います。

背中側からみることは考えてないのですが、気になる人は裏面にも色を塗ったりしてみてください。また、はがきの厚み部分の白さが気になる場合は、茶色いペンで側面を塗れば目立たなくなると思います。

どうか、ご自由にお楽しみください!!

三宅日向さんの羽生と館林をつなぐ文豪

「宇宙よりも遠い場所」では、旅の始まりの地として群馬県館林市に関わる名前や風景がたくさん登場します。分福茶釜で有名な茂林寺、キマリさんやめぐっちゃんの住む町並み、バイト先のコンビニ、キマリさんと報瀬さんが放課後落ち合った城沼の東屋、等々を訪れるファンは後を絶ちません。

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私も昨日、館林へ二度目の訪問を果たしました。「訪れてみたい日本のアニメ聖地88」に館林が選ばれたことの認定証贈呈式が、この東屋で執り行われるのに参加したのでした。市としても作品との繋がりをプッシュしてゆくそうなので、今後いっそう訪れるファンが増えることでしょう。

実際の風景は他の場所でロケハンされたものもあります。例えば、キマリさん報瀬さんの通う多々良西高校は、見た目のモデルは桐生市の高校です。しかし、館林の多々良沼に由来する多々良地区(旧多々良村)や多々良駅と同様、これは館林にある架空の高校の名前として設定されていると考えられます。

一方、日向さんの通っていた高校は「羽生第三高校」であることが第6話や第11話で明らかになっています。羽生(はにゅう)とは館林でも群馬県でもなく近隣の市である埼玉県羽生市を指しています。作中に登場する羽生市の風景や、日向さんが群馬から羽生の学校へ通っていた背景については、館林くらしさんの巡礼ガイドと、きたまことさんによる越県入学の話をご参照ください。

tatebayashi.infotatebayashi.infoblog.ap.teacup.com

さて、日向さんがどこに住んでいるのか、羽生第三がどこにあるのかについてはここでは深く追いません。むしろこの記事では、館林ではない「羽生」と言う名前がわざわざ採用された背景について書きたいと思います。先に述べたようキマリさんと報瀬さんの通う学校は桐生市の学校がモデルであるにも関わらず「多々良西」という架空の館林の名前が与えられています。では、群馬県民である日向さんを設定するにあたって、ロケ地が羽生であるだけならまだしも、あえて「羽生」という埼玉県の名前が採られたのはなぜでしょうか。「多々良東」でも良かったと思いませんか?

館林の地理的な背景として羽生が近いということがまずは考えられます。近いということは、館林について調べたり、館林に住んだりしたときに、館林に関連して羽生の名前もよく出てくるということになります。

館林くらしさんでは、この地理的な関係を次のように紹介しておられます。

館林市は群馬県の中でもかなり異端の存在で、近隣の市(町を除く)が他県ばかりなんですよね。さきほども述べましたが、館林駅から羽生駅までたったの10分、同じく埼玉県の加須駅まで18分、栃木県の佐野駅までは16分、同じく栃木県の足利市駅までも16分ととてもアクセスが良いです。

「宇宙よりも遠い場所」第5話、地元民による聖地巡礼ガイド | 館林くらし

羽生駅(埼玉県)、館林駅(群馬県)、足利市駅(栃木県)の関係は後でも述べますのでちょっと覚えておいてください。現在この3つの駅は東武伊勢崎線の一本で繋がっています。群馬県の館林側と埼玉県の羽生とは利根川が自然の境界となっていますが、それでも距離が近いと歴史的に人の交流が続いていたでしょうし、文化や産業も近いものとなります。そうしたなかで、館林と羽生の文化的な共通点とはなんでしょうか?

その答えのひとつが、館林出身で群馬を代表する文豪の田山花袋(たやまかたい)です。田山花袋はもちろん館林で支持され、その名を冠した記念文学館や石碑がありますが、作品のいくつかは羽生を舞台としているため、羽生の地でも花袋の小説は愛されています。

昨日は、館林城址に移築された田山花袋旧居へ立ち寄りました。館林は城下町で花袋の家も代々の藩士ですので、当時の武家屋敷の様子を偲ぶことができます。

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旧居では花袋の代表作として「田舎教師」が紹介されています。この田舎教師の舞台が今の埼玉県羽生市となります。花袋の代表作といえば教科書的には「蒲団」も挙げられるところですが、あえて「田舎教師」ひとつ紹介されているのは、東京が舞台の蒲団より羽生が舞台の田舎教師に親しみを覚える地元の心を感じました。実際、田舎教師には明治30年代の羽生の風景や暮らしの様子が詳細に描かれており、羽生は館林同様、城下町を成り立ちとして機織物を産業としたため、当時の館林の様子と深く通じるところがあったのではないでしょうか。花袋も田舎教師のなかで、羽生の城址の風景を何度も登場させています。

花袋が羽生の小説を書いたのは、妻の兄が羽生に居たことが縁となっています。近隣の市における人の交流とはまさにこういうことですね。花袋は日露戦争の従軍記者として前線に赴きましたが、病のため途中で帰国しました。帰国後まもなく羽生の建福寺住職であったこの義兄の元を訪れた際、小林秀三という青年の死を知ります。社会の大きく揺れ動くなか、志を持ちながらも地方に埋もれて亡くなった青年に胸を打たれ、明治30年代後半に生きた日本の青年のことを花袋は小説にしようと考えました。花袋は小林青年の日記を元に彼の羽生での足跡を辿りながら、その短い生涯を田舎教師という小説として書きました。

小説の後半では、病のため思うようにゆかぬ青年の暮らしぶりと、社会の大きな変化が対照的に配置されてゆきます。一つは日露戦争であり、もう一つは東武伊勢崎線の敷設です。日露戦争の遼陽陥落の報に町が浮かれ立つなか、彼の死は訪れます。伊勢崎線はまだ敷設中とされ、羽生の停車場のみ建福寺の裏手に建設されて、彼の死後、羽生から館林を経て足利まで開通したことが描かれます。彼の家庭はかつて足利から荷車ひとつで夜逃げをして行田(埼玉県、羽生の隣市)までやってきました。しかし、鉄道敷設の際、利根川には橋がかかり、羽生から足利までは汽車でおそらく1時間ほどの距離になったのではないでしょうか。大きな鉄の汽車は個人の生活苦なんて知ったこっちゃないという顔をして、人がたよりなく残した轍を踏み砕いてゆくようです。

田舎教師という題は悲しいようにも取れるのですが、青年が教師として羽生の生徒たちに愛された様子にはなぐさめがあります。羽生の人々が田舎教師と田山花袋に寄せる思いについては、羽生市による紹介記事をご覧ください。

www.city.hanyu.lg.jp

館林出身の文豪、田山花袋の作品について追いかけていると、しぜん近隣の羽生市にも辿り着くことになります。よりもいもその制作過程で館林のことを調べるうちに、そんな風に羽生の名前が館林に近しいものとして引っ掛かったのかも知れません。

羽生市へはよりもいの舞台探訪とあわせて、花袋の代表作「田舎教師」の舞台探訪もいかがでしょうか。

 

nanoblock 基本セットで作る南極便 バスラ- BT-67

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1.はじめに

南極便を運航する ALCI のバスラ- BT-67 機を nanoblock(ナノブロック)で制作します。厳しい極地を飛びますが、白一色の世界でも目立つ赤と青のカラーと、主脚の車輪にスキーを履いた姿が可愛い飛行機です。

必要なものは nanoblock の基本セット「スタンダードカラーセット」(NB-023)だけですので、初めての人でも手をつけやすい作品になっているかと思います。本記事を見ながらじゃんじゃん作ってみてください。

BT-67は、南極観測の活動とも深い関わりがあります。このため、アニメ「宇宙よりも遠い場所」(よりもい)でも第11話OP直後に登場しますのでよろしければそちらもご覧になってください。BT-67がアニメーションで描かれるのはこれが最初で最後のように思われますので。

 

2.バスラー BT-67と南極観測

南極には世界各国の観測基地が点在し、南極条約の下で互いに協力関係にあります。なかでも日本の昭和基地はドロンイングモードランドと呼ばれる地域にあって、同地域にある他の10カ国と共同で、南極の内外と南極域内とをつなぐ航空ネットワーク DROMLAN(ドロームラン:ドロンイングモードランド航空網)を運営しています。今回作成する BT-67 はこの南極域内での航空網で運用されている飛行機です。

日本の南極観測といえば、砕氷船のしらせに乗って昭和基地へやってくるというイメージがあるかもしれませんが、現在では航空機の果たす役割も高まっており、しらせには乗らない10数名の先遣隊が DROMLAN を使って、しらせが着くよりも先に南極へ到着し、いち早く仕事へ取りかかれるようになっています。

下の極地研の記事に DROMLAN と BT-67 のフォト&ストーリーがありますので、まずはこちらをご覧になればイメージを掴めるかと思います。

www.nipr.ac.jp

なお、DROMLAN が出来るまでの経緯と日本の南極観測との関わりは、こちらの極地研の本のコラムが詳しいのでもしご興味があれば。

南極観測隊のしごと―観測隊員の選考から暮らしまで (極地研ライブラリー)

南極観測隊のしごと―観測隊員の選考から暮らしまで (極地研ライブラリー)

 

 

3.ALCI 南極域内便 バスラ- BT-67

バスラ- BT-67 というのは機体の呼び名で、アメリカの Basler Turbo Conversions 社が生産しています。BT-67 は1930年代に開発された伝説の名機ダグラス DC-3 をバスラー社が改修し、特にエンジンをターボプロップエンジンへとアップデートした機体なので、DC3-TP67 (TP: Turboprop) という名前もあったようですが、今は BT-67 (BT: Basler Turbo) と呼ばれています。

BT-67 はさまざまな場所で使用されていますが、今回ナノブロックで作成するのは、南アフリカの航空会社ALCI(http://www.alci.co.za/)が運航する DROMLAN の南極域内便です。他の BT-67 との見た目の違いは南極で使用するためスキーを履いていることと、トリコロールの機体色です。そのほか、南極での不時着を想定したサバイバルキットを備えていることも特徴です。(性能諸元はこちら

なお、南極における BT-67 は南極ツアーを手がける White Desert 社も使用しており、こちらは Enterprise Airlines 社が運用担当しています。下の映像は White Desert の BT-67 で、360度VR映像で体験できるのでお薦めです。カラーリングが ALCI のものとはやや異なります。

www.youtube.com

4.nanoblock について

さて、nanoblock の作り方について、nanoblock がはじめての方は、こちらの記事に最初から手順を紹介してますのでご覧ください。 

 本記事は「nanoblock 基本セットで作る」シリーズ と銘打っていまして、これはスタンダードカラーセットを1つ購入するだけで、「宇宙よりも遠い場所」に関わる南極nanoblock作品をぜんぶ同時に作って遊べるようにすることを目指しています。シリーズの一覧はこちらからどうぞ。

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5.バスラー BT-67・設計図

 

それでは、今回の設計図はこちらとなります。

nanoblock.info

 小さくてパーツも少ないのですぐに作れるかと思います。

 

6.ジオラマのススメ

せっかくなので、DROMLAN の滑走路を作りましょう。

こちらに昭和基地での海氷上での滑走路の作り方が映像つきで紹介されています。

antarctica.dreamlog.jp

南極大陸上の滑走路についてはこちら。いずれも目印の黒旗が特徴となります。

www.nipr.ac.jp

よりもい第11話ではこうですね。二枚目では三つ穴が逆さまなので、きっと隊員のだれかが作業を間違えたのでしょう。

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さて、三つ穴の旗をナノブロックで小さく作るのは難しいので、風に吹き流されてるイメージで作成しました。あと滑走路の両脇には整地されてない雪を残してみました。

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こんな感じですかね。もっとたくさん旗を立ててもよかったかな?

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7.ALCI に乗るっ!

余談ですが、極地研の田邊優貴子先生が DROMLAN で南極入りする際に、ALCI の運航する飛行機に搭乗された体験が次の2つの記事で紹介されています。搭乗までの雰囲気が判る貴重な記事だと思います。

南アフリカのケープタウンから南極大陸のロシア基地(ノボラザレフスカヤ基地)までは大陸間飛行のため、Ilyushin 76 TD-90 というジェット機を使用します。DROMLAN において BT-67 が使用されるのは南極域内での移動のため、記事のなかには出てきません。

natgeo.nikkeibp.co.jp

natgeo.nikkeibp.co.jp

8.おわりに

さて、最後まで無事完成されましたでしょうか?

お手元にナノブロック版の バスラー BT-67 をお届けすることが出来ていれば幸いに思います。

ぜひともあなたの机の上でブンドドしちゃってください。

 

作ったり、改造したりした時には、Twitterで教えて頂けるととても嬉しいです。

(私のTwitterはこちら。 https://twitter.com/canalsphere

 

それでは、ぜひ楽しい南極ナノブロックライフをお送りください!

 

2019年4月30日 ソガ

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原恵一「バースデー・ワンダーランド」

飛躍のある話を持ち出す際には手当てをするのが心配りというものです。冒頭、別の世界へ誘う場面での

「この世界を救ってほしいのです」

というにわかに呑み込めない言葉も、チィがピポを突っつくカットによって深刻にならないよう手当てされていることが判りました。そんな風に筋や言葉のゆるい部分を映像に語らせてひとつひとつ支えてゆく手つきがとても丁寧な作品だと思いました。

しかし、これほど手当てを積み重ねてまで辿り着きたかった無理のない場面がいつ訪れるのかな、と息を呑んで待っていたところ、息の詰まったまま終わってしまいました。

見終わってから、原作の「地下室からのふしぎな旅」を読みました。原作の筋に難がある箇所を映像で頑張って支えようとしていたものと予想したのですが、そもそも全く別のお話でしたので、アニメ版は自分で点けた火を自分で消して回っていたようです。

なお、原作とアニメ版とが違い過ぎるため、特に比べる意義は感じません。原作の感想は前の記事で別途書きました。

bunsen.hatenablog.com

 

2019年4月29日 疏水太郎

柏葉幸子「地下室からのふしぎな旅」

新装版 地下室からのふしぎな旅 (講談社青い鳥文庫)

新装版 地下室からのふしぎな旅 (講談社青い鳥文庫)

 

きっと、わたしたちのありふれた後悔の日々を起源として、ふたつの世界は編み上げられているのでした。

ふたつの世界とはこちらの世界とその隣にあるふしぎな世界であって、元はひとつだった世界から別の可能性を辿ることでふたつに分かれていったという認識が示されています。

主人公のアカネはあのときああすれば良かった、したかったのに出来なかった、といつも思い悩みます。しかし、後悔とはなるほど、あのときああしてたらきっとこうなったと思えるたくさんの過去の可能性を振り返ることであって、そうした過去の枝分かれの認識は、ふたつの世界の成り立ちに等しいという気付き。そして、そのうちのあるひと筋の枝分かれしか辿りようのなかった自分こそがいま自分として居ること。諦念めいて聞こえるかもしれませんが、こうした見方がアカネの足場となります。

この後悔する気持ちとふたつの世界の成り立ちの焦点がピタリと合わさる瞬間、いまの自分を改めて発見する様子には屈折を伴う快感がありました。

さて、そうでありながらいまアカネはこちらの世界が辿らなかった隣の世界に居るのだということが、もうひとつの焦点となります。アカネといっしょに旅をするチィおばさんのおうちが建つ場所は半分が西川町にあって残り半分は東山町にあるということ、家のなかでも一歩踏み出せば隣町で、一歩戻れば元の町、そして地下室はとなりの世界に繋がっていること。スイッチをオンオフするみたいにあちらとこちらが切り替わるなか、アカネもスイッチが異なるほうへ入った別の名前を持つようになります。頑なに思えたひと筋の人生にはどういう訳かひゅっとどこかへ落ちるような陥穽もあるのですが、本作ではその先でもどうにかやっていけることがチィおばさんとアカネの珍道中として描かれています。

ごく当たり前にうまくゆかない気持ちを抱えていることに対する穏当な回答と、その回答を裏切る冒険のあり方を同時に描いているのが鮮やかに思えました。こちらの常識とあちらの常識の差分を掘り出してゆく旅路が大変魅力的な話ではあるのですが、アカネが見つめる自分自身の気持ちのほうにぐっと首元を引っ張られます。

 

2019年4月28日 疏水太郎