疏水分線

ソガ/疏水太郎のブログです。

柏葉幸子「地下室からのふしぎな旅」

新装版 地下室からのふしぎな旅 (講談社青い鳥文庫)

新装版 地下室からのふしぎな旅 (講談社青い鳥文庫)

 

きっと、わたしたちのありふれた後悔の日々を起源として、ふたつの世界は編み上げられているのでした。

ふたつの世界とはこちらの世界とその隣にあるふしぎな世界であって、元はひとつだった世界から別の可能性を辿ることでふたつに分かれていったという認識が示されています。

主人公のアカネはあのときああすれば良かった、したかったのに出来なかった、といつも思い悩みます。しかし、後悔とはなるほど、あのときああしてたらきっとこうなったと思えるたくさんの過去の可能性を振り返ることであって、そうした過去の枝分かれの認識は、ふたつの世界の成り立ちに等しいという気付き。そして、そのうちのあるひと筋の枝分かれしか辿りようのなかった自分こそがいま自分として居ること。諦念めいて聞こえるかもしれませんが、こうした見方がアカネの足場となります。

この後悔する気持ちとふたつの世界の成り立ちの焦点がピタリと合わさる瞬間、いまの自分を改めて発見する様子には屈折を伴う快感がありました。

さて、そうでありながらいまアカネはこちらの世界が辿らなかった隣の世界に居るのだということが、もうひとつの焦点となります。アカネといっしょに旅をするチィおばさんのおうちが建つ場所は半分が西川町にあって残り半分は東山町にあるということ、家のなかでも一歩踏み出せば隣町で、一歩戻れば元の町、そして地下室はとなりの世界に繋がっていること。スイッチをオンオフするみたいにあちらとこちらが切り替わるなか、アカネもスイッチが異なるほうへ入った別の名前を持つようになります。頑なに思えたひと筋の人生にはどういう訳かひゅっとどこかへ落ちるような陥穽もあるのですが、本作ではその先でもどうにかやっていけることがチィおばさんとアカネの珍道中として描かれています。

ごく当たり前にうまくゆかない気持ちを抱えていることに対する穏当な回答と、その回答を裏切る冒険のあり方を同時に描いているのが鮮やかに思えました。こちらの常識とあちらの常識の差分を掘り出してゆく旅路が大変魅力的な話ではあるのですが、アカネが見つめる自分自身の気持ちのほうにぐっと首元を引っ張られます。

 

2019年4月28日 疏水太郎