疏水分線

ソガ/疏水太郎のブログです。

南極たぬきねこ

キマリさん一人称のよりもい南極ギャグ小説です。

 

南極たぬきねこ


1. しっぽの話


「なぁ報瀬、やっぱさっき猫の声しなかったか?」
「南極に猫はいないでしょ」
「そうだよなぁ」

ちょうどそんな話をしながら日向ちゃんたちが帰ってきました。
三人は内陸旅行の後片付けをして、外からこの食堂まで上がってきたはずです。

「ねぇ日向ちゃん、ここ来るまでに猫みなかった?」
「おまえもか、キマリ。もしかして本当に猫いるのか?」
「食堂に猫みたいなのがいて、しっぽ追いかけたんだけど見失って」

報瀬ちゃんのほうは、ちょっと怖い顔で断言しました。

「日向と結月ちゃんが声聞いたっていうけど、猫は絶対いないと思う」
「誰かが連れてきたんじゃないですか?」
「南極条約で南極に動物は持ち込めないの。だからありえない、」

 

《にゃーん》

 

「また聞こえたぞ。なんだこれ?」
「うそ、今度はたしかに聞こえたわ」
「もしかして、猫の幽霊、とか?」
「昭和基地にも出るんですか!?」

わたしが言うと結月ちゃんが青ざめて訊きました。ほんと怖い話だめなんだね。

「幽霊とかないから。昭和基地で死んだ猫はいないし」
「ずっと昔、昭和基地で育てられた猫がいるって極地研で見ましたけど」
「あれは南極条約前のことで、それに南極猫のたけしは無事日本へ帰ったわ」
「でも誰か隊員に取り憑いてきたのかもしれないぞ?」
「馬鹿いわないで。だけど、なんか動物に取り憑かれそうなのって・・」

三人の視線がわたしに集まりました。

「なんでみんなわたしを見るのー!!」

大晦日のタヌキの日焼けがこうもいじられ続けるとは。

まぁ、タヌキだけに尾を引くよね。

 

2. 管理棟探索


そんなことを話してたわたしたちの所へ、かなえさんがすごい勢いで駆け込んで来ました。

「ちょっと女子高生、猫、見なかった?」
「マジかよ・・」
「本当にいるんですね、猫」
「あなたたちは見たのね?どっち行った?」
「あのー、わたしたちも判らなくて。一瞬そこにいたかな、って見えたんですけど」
「猫なんていたら大問題よ。捕まえるから手伝って」

 

《にゃーん》

 

かなえさんに返事をするみたいに階段室から猫の声が聞こえました。捕まえるのはわたし達のほうなのにいい気なもので。

「ああもう、階段はいま上がってきたばかりなのよ。いったいどこに居るっていうの?」

かなえさんが食堂を出て、吹き抜けになった階段室の下をのぞき込みました。ここは3階の行き止まりなので、上にはドーム屋根しかありません。猫の声は階段室に反響して、近いところに居るようにも遠いところに居るようにも思えました。

「キマリ、どういう猫だったの。黒、白、ミケ?」
「うーん、ぱっと見えただけだから判んないけど、多分しましまのトラ猫だった」
「(トラ猫・・?)」
「報瀬ちゃん?」
「ううん、なんでもない」
「猫なんてほんとありえないんだけど、小淵沢さんと三宅さんは2階、玉木さんと白石さんは1階を探してちょうだい」


わたしたちの基地の中心は管理棟と呼ばれる建物で、3階に食堂、2階に娯楽室と病院、1階に食料庫があります。建物の中央には吹き抜けの階段があって、3階と2階からは非常階段で直接外へ出ることもできます。

わたしと結月ちゃんは真ん中の階段を降りて1階へ向かいました。階段の脇には荷物が積まれていて、クリスマスの赤や緑の飾り付けなんかが未だに段ボールでほったらかしです。

「昭和基地って意外と片付いてないんですよね」
「大事な場所はしっかり整理されてるんだけど、ときどきわたしの部屋みたい」
「キマリさんは部屋が散らかってそうです」
「うん。でもね、高2になってからちょっと片付けたんだよ」

食料庫の戸を開けると、倉庫独特の粉っぽい空気を感じました。ここは2階や3階より狭いけれど、常温保存できる食料の棚が並んでいて、猫のもぐり込める場所はたくさんありそうでした。

「キマリさん、こんなところに秘密基地があります!」
「アマチュア無線局なんだって。どうして食料庫にあるんだろうね」

雑多に物の置かれた倉庫で、さて、どうやって猫を探したものかな・・と思っていると、

「にゃーん」

わたしの後ろで結月ちゃんが鳴き真似をしました。すると、

 

《にゃーん》

 

ともうひとつの声が。

「キマリさん、あっちです!」

返事の声がした方を見ると、ワカメ、と書かれた箱の上に何かがいました。

「結月ちゃん、行くよ!」
「はいっ」

わたしたちは走り出しました。食料庫はLの字になっていて、角の向こうへ逃げてゆくしっぽが見えました。あっちの扉は開いてないはずだから、追い詰めたも同然、とわたしたちが角を曲がると・・

「あれ?どこにもいませんね」
「結月ちゃん、またさっきのやって」
「わかりました。《にゃーん》」

 

《にゃーん》

 

今度はわたしたちの後ろ、入ってきた扉のほうから声がしました。

「えーっ、なんでー!?」

慌てて戻ったわたしたちは、扉を出て階段を上がってゆくしましまの尻尾を追いかけました。

 

3. シマシマリ


「結月ちゃん、階段、上っ!」
「はいっ」

さっきからのダッシュで早くもへばってきたわたしは、声を出して、踏ん張って走りました。

「結月ちゃん、意外と、足速い、」
「芸能人は、体力が、命です!」
「よし、わたしも、頑張る!」

一段飛ばしで結月ちゃんを追い抜いて、その先に見えた猫に飛びかかったわたしは・・

「あぶない!」

そのとき、結月ちゃんの声とわたしが足をもつれさせてぶつける音が重なりました。

ごちん!

・・そして、むにゅ?

「大丈夫ですかキマリさん!」
「だ、大丈夫。足・・あと、顔も、打ったけど・・」

顔がなにか柔らかいものにぶつかったような。

「ちょっと見せてください・・って、あのキマリさん?」
「どうしたの?」
「キマリさん、顔、猫になって、ますよ・・」

廊下の鏡に写してみれば、わたしの頭にしましまの猫耳がついて、ほっぺにはお髭。

「キマリさん、やっぱり猫に取り憑かれて!」
「そんなわけない・・いや、あるかも!?」
「ないって言ってくださいよう」
「この顔みてると自信がないよ、どうしよう・・」

わたしたちが階段の踊り場で硬直してると、みんなが降りてきました。

「どしたんだ、おまえら・・って猫だー!」
「なんかすごい音がしたけど・・ってキマリが猫ーっ!」
「ちょっと、驚いてないで助けてよう」


「みんなー? 猫は見つかったー?」

「「「かなえさん、このひとです」」」

三人の指先が、びっ、とわたしに集まりました。

「ひどいっ」

「玉木さんを捕まえて。早く!」
「嫌ーっ」
「なんで逃げるんだー!」
「本能がそうさせるのー!!」

わたしは軽やかに階段へ飛び上がりました。あれ、さっきまであんなに大変だったのに、まるで猫みたいに体が軽い。体育祭で一番の気分ってこんなのかな?

この日、食堂で猫のしっぽを見てからわたしはちょっとふわふわした気持ちがしていました。なにか不思議なことが起こりそうな予感があって、いまわたしはそんな夢見心地でぴょんぴょん飛びながら、3階にあるいちばん頼りになりそうな人の部屋へと飛び込んだのでした。

 

4. ミセス・チッピー


隊長室では吟隊長の前に全員が揃っていました。かなえさん、報瀬ちゃん、日向ちゃん、結月ちゃん、そして猫耳のわたし。

「それで、猫はいったいどこへいったの?」
「ええと、だから、猫がキマリに取り憑いてですね・・」

日向ちゃんが言いかけると、吟隊長はこめかみに指を当てて渋い顔をしました。

「あなたたちねぇ、それにかなえまで、いったいどうしたの」
「うーん、なんでこうなったかは上手く説明できないんだけど・・あれっ、おかしいなー」
「もう。じゃあ、いちから確認してゆきます。このなかで実際に猫の姿を見た人は?」

はい、とわたしは手を挙げました。だけど他には誰も手を挙げてない?

「あらっ、女子高生はみんな見たんじゃないの」
「いえ、声は聞こえたんですけど、」
「私も声だけ聞こえて、あっちにいる、っていうことは判りましたが・・」

「なるほど、実際に見たのは玉木さんだけ、ということですね。次はその玉木さんの耳ですが、」

吟隊長が言いかけたところで、何かずっと話したそうにしていた報瀬ちゃんが切り出しました。

「あの、ちょっといいですか」
「どうぞ」
「キマリが見たのはトラ猫だから、ミセス・チッピーかな、って思ったんです」
「ミセス・チッピーねぇ・・」
「誰だ、その人?」
「むかし南極にいた猫。だけど、南極で死んだ」

報瀬ちゃんの思わぬ話に、沈黙が降りました。南極で死んじゃった猫はいたんだね・・。

吟隊長が重くなった空気を振り払うように話し始めました。

「ペンギン饅頭号の元の名前はしらせね。由来は知ってる?」
「日本人で初めて南極へ到達した、探検家の白瀬、矗(のぶ)です」

報瀬ちゃんが、自分の名前を言うみたいに答えました。

「白瀬が活躍した時代には、南極を目指す冒険者が沢山いた。その中でもイギリスのアーネスト・シャクルトンの冒険は広く知られているわ。シャクルトンの探検隊は氷に閉じ込められて、船を失い、だけど2年近くかけて全員が生きて帰ってきた。そう、少なくとも人間はみんな生きて帰ってきた」
「でも、トラ猫のミセス・チッピーは帰ってきませんでした。南極脱出の旅には連れてゆけないので、犬たちと一緒に殺された」
「そうね。それでも、シャクルトンの判断は正しかったと・・私は思うわ」
「どうして、ミセス・チッピーはここに現れたんでしょうか?」
「じゃあ、まずは魔法を解いてあげる」

吟隊長はいちど息を吸って、

「ミセス・チッピー、ウェリントンへお帰りなさい」

凛とした声でそう言って、両手を打ちました。

 

《にゃーぁ》

 

そのとき、寂しそうな猫の声が、小さく消えてゆくのが判りました。

「これでミセス・チッピーは、居るべき場所に帰った。ミセス・チッピーを愛したマクニッシュのお墓の元へね」
「吟、あなた霊能者だったの?」
「むかしイギリス隊で読ませてもらった越冬日誌の通りだった、それだけよ。隊長の日誌には時々こういう話も書いてあって、悪戯かと思ってたけど、やってみるものね」

「あのー、わたしの猫耳がまだそのままなんですけど」
「それ、クリスマスの出し物よ」

吟隊長がひっぱると、猫耳のカチューシャと付け髭がわけもなく外れました。あれっ、本物じゃなかった?

「タヌキじゃなくて猫に化かされてたんでしょうか、私たち・・」
「キマリだから猫というか、たぬきねこみたいな面白い顔だろうな」
「なんですかタヌキネコって」
「まえに写真送ったろ。報瀬ご乱心~ってやってたカラオケ屋の名前がたぬきねこで、そのキャラクターなんだ」

幽霊のことでぷるぷる震える結月ちゃんを日向ちゃんが元気づけてるようでした(なんかわたしのほう見て笑ってる気がするけど。)それで、吟隊長が解散を宣言して、他のみんなはもうこれで判ったみたいな顔をしてたけど、報瀬ちゃんだけはさっきの問いを繰り返していました。

「どうしてミセス・チッピーは昭和基地へやって来たんでしょう」
「さぁ、判らないわ。だけど、しらせという名前の縁で、白瀬たち冒険者の時代を思い出す何かがこの基地にはあるのかも知れないわね」

わたしが思うに、報瀬ちゃんには、南極を目指すという意志について強い思い入れがあるのだと思います。

たとえ、それが猫であったとしても。

 

5. それから それから


そのあとのわたしたち四人は、食堂のコタツを囲んでぐったりしていました。

「なんかだまされたみたいな気がして納得いかないー」
「悪い。じっさいに見たのはキマリだけだったし、私らも自信なくなってきたんだ」
「あのときわたし、猫だったよね?」
「確かにいつものキマリではありえない俊敏さだったけど・・」

報瀬ちゃん、それはそれでなんか引っかかるよ。

「それにしても今日は疲れた!走り回ったからな」
「つかれたですにゃー、ここはあたたかいですにゃあ」
「結月ちゃん、今日はなんだか猫モードだね・・えっ、結月ちゃん?」
「《にゃーん》」

ごろごろー、とこたつで丸くなる結月ちゃん。

「待って、これは結月ちゃんじゃない、中身は猫よ!」
「おいおい、ウェリントンに帰ったんじゃなかったのかよ」

「・・わたし、よく判らないけど判った。あなた、昭和基地で育った猫のたけしくんでしょ?」
「《にゃあにゃあ》」

すっかり猫語で返事だけど、頷いているように思えました。

「でも、たけしは三毛猫だから・・あっ」

報瀬ちゃんの顔が青ざめました。

「どうした、報瀬?」
「思い出した、南極猫のたけしは三毛猫だけど、縞三毛っていって、トラ猫みたいにも見える猫なの」
「報瀬ちゃーん」
「また報瀬かー。じゃあ、さっきのは茶番だったな」
「たけしは日本に着いたあと行方不明になったので、故郷の昭和基地に帰ったって言われてるけど・・ほんとだったのね」
「《にゃあ》」
「さっきの猫キマリでびっくりしすぎてもう驚かなくなってる自分に驚いてるんだが・・なあ、たけし、懐かしい場所はもう見て来たのか?」
「《にゃあ》」
「そうかぁ、よかったな、」
「ごめんね、たけしくん、なかなか判ってあげられなくて」
「《にゃーん》」

わたしが結月ちゃん(たけしくん)を抱きしめると、もういちど《にゃあ》って聞こえて、それがわたしたちが彼の声を聞いた最後になりました。

 

それから。

 
「あれっ?キマリさん、どうしたんですか?」
「ええと、なんか抱きつきたくなった」
「キマリさんは私に抱きつく時はいつも泣いてますね」
「うん、もう癖になっちゃったのかも」

 


・・そんな風に一件落着して、これは、それからのことなんだけど。


(おいっ。さっきのことゆづに説明するのか?)
(幽霊の話は結月ちゃんにしないほうがいいと思うわ・・)


「ところでみなさん、何か隠してますよね?」


(おしまい)

ひらがな一文字を傾聴すること

宇宙よりも遠い場所 第10話「パーシャル友情」。友達っていったい何なのか、友達という言葉をめぐるお話です。第10話の言葉についていろいろ反芻してると、キマリさんが天井に張り付いてた絵面が不意に思い出されて、可笑しくなりました。なんだあれ、ってなるな。なんだそれ、ってなるよな。

結月「何してるんです!?」

キマリ「クリスマスだから!」

不可解です。不可解な説明が選ばれた、と言い換えても構いません。サンタだからびっくりさせようとして、とか言いようはあるのですが、キマリさんの口をついて出てきた言葉は「クリスマスだから!」。この場面において、行動が不可解であることと言葉がそこから遊離する様は、友達に対して抱きついてしまうキマリさんと、しかしその友達という言葉がいま置かれている境遇に近しいといって差し支えないでしょう。

友達は、不可解のまま実施されます。

キマリさんが結月さんを抱きしめること、不可解な登場をすること、みなが集ってお祝いをすること、そんな風に対面で行動をする積み重ねによって、結月さんにとっての友達という言葉の器は満たされてゆきました。しかし、友達とは何か、という問いを正面から言葉で打ち返したのは、最後のキマリさんでした。

第10話における彼女らの行動や会話と比べれば、最後のメッセンジャー(RINE)によるやりとりは、対面でもなければ声でもない、離れた場所から送られてきたメッセージで、だいぶ書き言葉のほうに寄った出来事です。さて、友達って何なのか、言葉で説明することに窮していた第10話において、言葉で紐解いてゆける格好の機会がキマリさんに用意されました。いつもみたいに結月さんのこと抱きしめにゆく訳にはいきませんからね。

《ありがと》

《ね》

「ーーーわかった!」

「ん?」

「友達ってたぶんひらがな一文字だ!」

結月さんが何度も打ち直した末に送信されたそれは《ありがとね》ではありませんでした。そうした文末の《ね》ではなく、単独で現れる《ね》でもなく、《ありがと》に続いて文末に現れるべき《ね》が切り離されて生まれた、その呼吸をキマリさんが掴もうとすること。それって友達というかたぶん、相手を人間だと思って傾聴するってそういうことなんだろうなと思えて、私はこの場面を見たときに、震えて、変な声が出ました。

向こう側にいる相手について思い巡らせることは既にめぐっちゃんとのチャットでの会話で示されていたことですが、この「わかった!」においてそれは会話よりもっと小さな言葉の息遣いに集約されます。《ありがとね》ではなく《ありがと》《ね》という風に言葉を使用すること、それは一体どういうことなのかと、しっかり耳を傾けること。

私はそんなに人の言葉を丁寧に聞いてないなと思ったのと、しかしそういう事ができる人間がいるっていう、おおきな善なるものに撃たれた。

小さな言葉の使用の差異、それはときにひらがな一文字として立ち現れるでしょう。ひらがな一文字そのものはあまり意味を帯びないだけに、それは使用の文脈に左右される。そしてそれを傾聴すること。それが友達。

《ありがと》

《ね》

     《ね》

《ね》

《ね》は同意を伴いがちな言葉だけに、以降は《ね》を繋げて友達の間での同質さを確認するようなやりとりにも展開されてはゆくのですが、キマリさんが「わかった!」と言ってるのはそこではないです。《ね》はあくまで《ありがと》から切り離された《ね》で、そんな風に使用された《ね》の在り方を傾聴することがキマリさんの「わかった!」であり、「友達ってたぶんひらがな一文字」なのだと思います。

 

なお、ブルーレイ第4巻のスタッフインタビューブックレット(キマリの取材メモ)によると、花田さんが書いた第10話脚本を見た後にいしづか監督が第3話へ手を加えたことが明らかにされています。

いしづか 3話のファミレスでの「ねー」もそうです。コンテを書いているときに、ちょうど10話のシナリオがあがってきたので読んでみたら、オチに「ね」があったので、3話のコンテにすぐ足しました。あの場の空気にすごくマッチしていましたし、どちらも結月の話だったというのもあります。タイミングがよかったですね。

私は、第10話の「友達ってたぶんひらがな一文字」であることと第3話とは関係がないものと思います。一方、第3話にも第10話にも見られる《ね》を連鎖するやりとりは友達同士でよくやりそうなことではあって、その《ね》は、相手を抱きしめたり、誕生日をお祝いしたりするのと同じなんだと思います。

だけど、キマリさんが「わかった!」のは、結月さんが何度も逡巡したのちに入力したあの《ありがと》の言葉と、そこから間を空けて入力された《ね》の背景になにかが見えたからであって、《ね》を繋げる行為とは別です。結月さんの迷いは直接キマリさんのほうでは見えてないわけですが、それでもそのことは《ありがと》というこれまで結月さんが使わなかったであろうくだけた言い方と、間を空けて入力された《ね》のうちになんとなく感じられたのでしょう。そして、そういうことが出来るキマリさんの人間と向き合う態度のことを、私はとても貴いものと思います。

 

 

2019年4月21日  疏水太郎

ピストンの下りる音について

f:id:kgsunako:20150508003658j:plain

『劇場版 響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~』を見てきました。

黄前さんと奏さんの出会いの場面で、黄前さんが胸に抱いたユーフォニアムのピストンだけ押すところが気に入っています。息を吹き込んでないし、そもそもマウスピースに口をつけてないので音は鳴らないのですが・・いや、音は鳴ってるのですよ、ピストンの下がる機械の音がね、ぷしゅっと。

いわゆる楽器の音色ではないもの、音色を奏でるための操作に伴うこの音は雑音かもしれないのですが、奏者のひとは演奏の場にこの音があることを必ず知っていると思います。人は唄い、楽器も唄うのですが、その唄う以外にただ生きてるだけで鳴るような音もある。心臓の音、呼吸の音、ピストンの上下する摩擦音。それもまた、楽器を触るときの愛しい音なのだと思えます。

 

私の思い出の中に、この誰にも届くことはない、だけど自分にだけ届いている楽器の駆動音があって、それはエレクトーンを電源を入れずに弾いたときの、ぽす、ぽす、という音です。ラブライブ!に同様の場面があったのでその時にもこの話をしました。ユーフォの話からはやや逸れるのですが、高校を卒業した将来のことなども今回の劇場版ユーフォと重なるように思えます。黄前さんがあの時あすか先輩に大学のこと聞くのって、吹奏楽も大事だけど、他にもたくさん大事なことがあってぐるぐるしていて、将来のこともものすごく気になってたからですよね。

bunsen.hatenablog.com

音がどこに響いて誰に届くのか、あるいはべつだん誰かに届いてなくたって良いのか、ということは深入りしていって良いように思えます。なんたって「響け!」ユーフォニアムですし。上のラブライブ!の話では、近所の学校の喧騒はお茶の水のビルの屋上まで届くのではないか、という想像を書きました。3年後に宇治を訪れて大吉山へ登ったときには、JR奈良線が宇治川橋梁を渡る音があの展望台まで聴こえてきました。

bunsen.hatenablog.com

大吉山から吹くトランペットは眼下の町まで届いていそうですが、届いてようがいまいが、ただ吹いてよと言われたから吹いたのが今回の劇場版の高坂さんでしたね。高坂さんが高所で吹くことには彼女なりの理由があるでしょうが、それはそうとしてなんですけども、彼女のそうした姿のおかげで、つまり高所で吹いているその絵を見る私にとって、彼女の音が遠くぜんぜん違う場所で映画を見てる私にまで届いてくるような気がする、ということはあるように思えます。

 

さて、大吉山のトランペットから冒頭のひそやかなピストンの音へ戻りましょう。黄前さんは奏者なのでユーフォニアムのピストンの音を知っているし、同じくユーフォニアムな奏さんももちろん知っているでしょう。奏者同士のちょっと符牒めいた仕草とその音に、音楽を続けることを巡るふたりの会話がもう始まっていたように思えるお話でした。

 

2019年4月20日 疏水太郎

 

十字キーが可愛い

オーディンスフィアの屋根裏部屋について。可愛いのでわりとよく知られた画面ですけども。

ここで、上ボタンで台に上ります、というのは何のことはない、普通のアクションですよね。台というのは高いものだし、画面端のヒントに書かれた「上ります」という言葉も上ボタンの操作をいざなっています。

f:id:kgsunako:20190406042204j:plain

 

では、上ボタンで椅子に座ります、はどうか。良いと思いませんか?

f:id:kgsunako:20190406042206j:plain

座るという言葉は下ボタンのアクションをいざないやしませんか?

だけどよく見てください。彼女(アリス)は小さいから、椅子に座るためには椅子へ上る必要があるのです。「座ります」というヒントで手がつい下ボタンを押しそうにもなる一瞬のとまどいが、彼女の身長とこの椅子の大きさのことを気づかせてくれるのでした。

 

では、下ボタンは何でしょうか。彼女は上ボタンで椅子に座ります。そして下ボタンで猫を放します。

f:id:kgsunako:20190406042159j:plain

 そして、下ボタンで猫をだっこします。

f:id:kgsunako:20190406042202j:plain

上ボタンでのぼり、下ボタンは猫をだっこしたり本を拾い上げる。あとは左と右の移動だけ。

 オーディンスフィアはベルトアクションですが、本編ステージから離れた屋根裏部屋でのアクションは限定され、ジャンプすらすることができません。しかし、この小さな部屋で、下ボタンは彼女の両手で抱えることのできる愛しいものたちのために、上ボタンは台に上り、椅子に上って、彼女の背丈を基準にした部屋のスケールのために捧げられています。十字キーが世界のスケールと愛しいものとを記述して、その基準点に彼女がいるのだということ、これこそがベルトアクションの精髄じゃなかろうか、なんてそう思えるくらいこのヒント文には魅了されます。

《↑で椅子に座ります ↓で猫を放します》

《↓で猫をだっこします》

十字キーってどうしてそんな可愛いことができるんだ!って思いませんかねこれ。

 

 

僕の手はこびとの定め

ゲームの駒がおよそ同じ大きさなのは、どういうことだと思う?

まぁ、僕らの体のサイズがそれを決めてるって、僕はいつもいうけど。

 

生命のいなくなった星を想像するみたいに、駒のいなくなったボードを想像してみてください。彼らの残した遺跡があるでしょう。そこには巨人が暮らしていたのか、小人が暮らしていたのか、二足歩行だか三足歩行だか四足歩行だか、そもそも足はないとか・・。

 

アニメ雑誌の付録に、すごろくが付いてくるのですよ。こういうやつ。だけど、駒は付いてこないのよね。彼らの暮らす地図だけが、足跡?いや、かれらの置かれるべき円だけが残されている。いったい、これはただ眺めるだけじゃなくて、ここに何かが置かれるものと期待されているのか。仮に、期待されているとしてね。

f:id:kgsunako:20190404045607j:plain

僕らの暮らしのなかで、10円玉みたいなトークンや消しゴムやら、クリップやら、なんでも、僕らの体が、指が、ちょうど取り扱えるサイズの小さなものたちがあって、たとえばそういうものたちがこの場所に置かれるよう、期待されているとしてね。

 

f:id:kgsunako:20190404050237j:plain

僕はそこにたまたま以前から作っていた小さなものたちを置いてみたのだけど、やっぱりそれはちょうどいい大きさのようで、だけどそれは偶然じゃない。僕の手は僕の手が扱うときにちょうど愛しいようなサイズのものを作るのだから。そして、その大きさの感覚は、だいたい僕と同じくらいのサイズの、僕と同じくらいの大きさの手をもった生き物にとって、そういう風に思えるものなのではないか。

 

駒の付属しないすごろくは、そういう愛しい小人たちが存在することを当たり前のものとして想像する。あなたの机にも鉛筆で小さな円を描いてごらん。それは、小人の存在を証明するからさ。

逆転タイフーン

f:id:kgsunako:20190403025342j:plain


よりもい第11話は確かに胸の締め付けられる場面が多いのですが、そのなかで一番わたしを揺さぶったのはこちらの言葉です。

結月「いいじゃないですか、友情じゃないですか!」

このとき、わたしの中に突風が吹きました。なんかすごいことが起こってしまって、そして、あまりのことにむちゃくちゃ笑いました。きっと泣くべき場面だと思うけど、そんなの知らん。

よりもいは全体よい作品とは思いますが、私が気に入っている場面は限られていて、この言葉とこの瞬間の結月さんの表情はそのお気に入りの一つとなっています。

 

11話以降で結月さんが口にする《友達》《友情》という言葉には、それを得たと確信できたことによって、もうじっとしていられないようなまっすぐな気持ちの高まりが込められています。大晦日のカメラを前にして、日向さんの深い心のひだを巡って報瀬さんもキマリさんもあのとき動いた、日向さんとしては止めるべき行動だったのだけど、横からいきなりそんなまっすぐな風が吹き付けてきて塞がれちゃう。日向さんの思い通りには進まなくて、あのときの結月さんは理屈ではない自然現象に近い動きだったと思われるのですが、そうした突風となった彼女のことを、ほんとうに好ましく思いました。

 

場が荒ぶっているとき、風はいつもと違うところへみんなを導きます。

 

第13話の「強くなりました?」発言は同じ風のもとに生まれているのですが、平時には報瀬さんが軽く抑えていたというのは前の記事で述べたとおりです。

 

増加することの当たり前と階段を登らない日々

 

生き物はおよそ小さく生まれて大きくなります。この量的な、あるいは質的な増加関数は成長と呼ばれ、広く祝福されています。

ただ、生き物はそう単純に右上がりじゃないので、成長という言葉がぴんとこないこともあります。私はそういうとき《成長した》ではなく《変化した》と思うことにしています。

 

よりもい第13話について。

結月「なんか、わたしたちちょっぴり強くなりました?」

報瀬「もしくは雑になったっていうか」

 

友達ができて幸せの真っ只なかの結月さんはうかつに増加関数を持ち出すのですが、そこはこれまで普通の学校生活を積み重ねてはこなかった報瀬さんが軽く抑えてくれています。成長という考えは階段を一歩登れましたという程度の当たり前みたいな喜びのなかにあって、だけどそれは報瀬さんやおそらく日向さんにとっての当たり前ではなくて、違った世界が見えていることでしょう。

強くなることと雑になることはある面で似ていて同じことを言ってるように聞こえるかもしれませんが、あえて別々に挙げていること、そしてそれを誰が言ったかということには特別な意味を感じます。

成長の甘美な喜びを求める人にとっても、変化のなかをどうにか生きている人にとっても、どちらでも受け入れやすい総括をここで書けるのは、脚本の白眉だと思います。

「もしくは」としている点にも心配りを感じます。

 

当たり前のことが当たり前のようにゆかないことが当たり前でありますように。