小斬り、前歩き、大斬り。
2月ごろに描いたものです。左上はガードではないのか?と見えますが、小斬りのつもりでした。なんで斬りなのに武器を投げるのか、こういうことはよくあって、コントローラのボタンと紐づいたターミノロジーの面白さだと思っています。
飯塚さんとこで紹介されてた「てぃんくる☆ガーディアンズ」をぽちぽち進めています。クレジットを見たらClickteam Fusionというエンジンで動いてて、なんだろ、と調べてたのですが、Baba Is Youと同じエンジンでした。
2D、3Dくらいには分かれそうなものの、たいていのゲームエンジンはひとつでたいていのことができてしまいます。えんぴつがいっぽんでたいていのことできるみたいに。目的によってHと2Bに実用上の差はあるかもしれないけども、気に入ったのを使うというのが個人では楽しそう、と思っています。
そういうわけで、エンジンが同じだとゲームも似る、とは必ずしも言えないわけですけども、とくにメジャーどころではないもので作られたゲーム同士にはどこか小さな家族めいたものは感じられてしまいます。
PixiJSは仕事の都合で使い始めたというのはあるのですが、以前からHTMLとCSSとJavaScriptでUIを描いてたので、グラフィカルなエディタを使わないところがしっくりきます。あとなにやってるかもうだいたいわかるのもいいです。
Unity、情報が多くて便利ですけども、PixiJSと同じくらい判るようになるのは大変そうです。いいかえると、好きになるまでに時間がかかりそう、という感じがしています。
ぐるぐる目の渦原さん / ぐるぐる目の渦原さん - 箕田海道 | サンデーうぇぶり
瞳の表象の存在論に触れるとき、ぐるぐる目に特別な地位を与える意識は注目しておきたく。
なんだろう。古典かつ今では常態としてぐるぐる目であることも受け入れられているという歴史や文脈の深さが格を与えてるとか?
開幕二コマ目「生まれつきみんな瞳が違うけど」の絵が良きなのですが、このコマを記憶していると、渦原さんのひみつへの驚きは減じられそうです。覚えてなくても読んでたら気づきましたが、たぶん、それもぐるぐる目であることがヒントだったように思えました。
いくつかの点への弁解として置かれたコマである、という気はします。身体特徴に関わる話にポジティブなメッセージを乗せておきたい点と、あと存在論上の。
そこに祭祀的な意味もないだろう、あまり素朴なかたちでもない、それなりの意匠をもつがしかし顔をちょっと描いてみたというだけの落描き。その歴史は意外に古いようですが、多くは現存していません。
(83)落書き(上)―役人の顔 - なぶんけんブログ (nabunken.go.jp)
人の姿を描いた絵をあまり見ることのなかった時代に、どういう風にこの落描きは生まれたのでしょう。いや、前提が間違っていて、もしかすると都にはそこらに人の絵が描かれていたのでしょうか。
これは似顔絵なのでしょうか。それとも想像のひとなのでしょうか。自分だけわかるように描いたのでしょうか。隣のひとに見せるために描いたのでしょうか。
字を書くお仕事に従事されていたであろう、ということはヒントかもしれません。字は自分の手を離れて他の人の手にも渡るもの。だから。
おい、ちょっとこれ見てみろよ。うふふ。〇〇さんの顔。
これを交換される顔と呼ぶならば、私的な顔というのもどこかで生まれています。誰に見せるためでもなく私がひとりで生み出す顔。
ピグマリオンの伝説では、彼は自分の想像の女性を彫刻しました。こうした私的な顔そのものは後世にあまり残ることなく、伝説のなかで偲ばれています。
ところで、描き手は理想に思う顔を意のままに描いているわけではない、というのは絵を描く人であればわかってもらえそうなのです。すくなくともわたしは、小学六年生のとき「描けそうな絵を真似して描く」ところから始まりました。それは理想という概念とはだいぶ違っていたと思います。
いまわたしは何かの理想を描こうとしてるでしょうか。描ける絵のなかでかたちになった愛すべきものたちを愛でているという感じはあります。
この描ける絵ってなんなんでしょうね。絵になりそうな雰囲気を投機的においかけて形にしてゆくのか。たしかに、よく失敗があります。ゼロではないけど少数のルールで、手を動かして形を探すんだ。
ルールを増やすことに慎重であろうとは思っています。まずは目と輪郭の描きかたくらい。手もいくつかのかたちで、先っぽはふくらんだり、ほそくなったりする。
生成、という言葉はかつて、生成文法、図画であればL-Systemといった文脈になじみがあります。少数のルールで生長する線のイメージは、現在の拡散モデルが面を更新する様子とはだいぶ異なっているように思えます。描ける絵というのは強いて言うならどっちだろ、明示的に引いた輪郭からイメージが広がるときは前者で、なんとなく引いた線が意味あるものに感じられてくるなら後者なのかもしれないです。AI的な発想を参照してみた、というだけの話なのですけども。
ダンジョン飯アニメ14話まで。第1期のOPはずっと見てられますね。静謐で。
ヴィネットってこれまで小さいものだと思ってたのですが、それが動きのあるポーズだったとして、音が聞えないのだと気づいた。ヴィネットのひとたちは小さいのではなく遠い。だから、その声は見てるわたしまで届かない。
巨大なものの属性のひとつに、静けさがあります。巨人がじっと目を閉じている姿が好きだ。そして、だから、周りのヴィネットが遠いことにも気づいた。ヴィネットとマクロフィリアは静謐さで繋がる。静かな世界をバンプの歌だけが埋めてゆく。
ファリンさんが目を開くときだけ、それが破れるように思うのでした。
トラペジウム見ました。
フィクションの悪いアイドルさんはお好きですか、と問われれば、まぁ、嗜む程度には。そうすると、光の者としての存在が古賀さんであって、なんと、タレントさんではなくそこにおられたのですね!と思いました。電話のむこうへ90度でお辞儀しますよねあれは。古賀さん最高でした。そして久保ユリカさん光すぎる。10年たってもこのふたりが続いてるのは良きです。
序盤で好きだったのが、東西南北というこだわりでした。あなたプラクティカルなくせに、そこはあなたにしか判らぬこうでなくてはいけない形ですよね、という。アイドルにコンセプトは必要かもしれないけど、それこそ後から作りごとで済ませてよくって、だけど、あそこは嘘にしなかったのだよねこの人。
このトラペジウムというのはアステリズムでして、普通の星座線ではありません。工藤くんが東さんを見守ることになったのって、彼女の精神が他のひとには見えない地図上の点と線に投影されることに、共感があったからだとも思うのです。
ようするに、真なるものの求め方がおかしいんですよ、この人。ジンクスに近いとこもあるけど、彼女の計画において東西南北というのはほんとうにそうでなくちゃいけなかったっていうのは。ここは好きなんですよね。
あとはずっとくるみちゃんの話ね。あんなかわいいひと曇らせてるの、つっら、とは思います。たくさん笑ってもいたけど、違和感も描いてた正直な絵でしたね。ロボコン編の様子はだいぶすきです。3話分くらいありましたよね。羊宮さんよかった。
ロボットの学科のひとたちにも教えてたことがあるのですが、彼らC++なんですよね。それでわたしもちゃんとC++覚えたんだよ、ということもあってね。で、Javaはねぇ。コンテストでサーバつかうならあるかもですが。あと、C++だとコントローラのUI画面はつくりにくいので、そっちはJavaのSwingでざっくり作っちゃう?
くるみさん、高専なんで他のひととは流れてる時間が違うのは要注意だと思います。南さんに高3で進路の話も聞いてるけど、この人は5年ありますからね。ほかの人は3年で高校卒業する時点で、いったんアイドルか、大学か、みたいな進路の節目を持てるんですよ。でも、高専のひと、ふつうは5年単位で考えてると思いますので、高校卒業で芸能活動を「選ぶ」んじゃなくて、高専を「辞める」ことになるんですよね。
南さんにとっては、流れるままに、は3年目に節目がくるのですが、くるみさんは5年なのです。そう思うと、高専生のひとがメンバーであったことに意味深いところを感じました。
好きな作品です。
コンピュータと人間の間に対話があることと、コンピュータが条件分岐の機能を持つこととの関係は、それほど明らかではないようです。筋道を立てて考えてみたいと思います。
まず、人間がふだん何らかの条件に基づいて判断して行動を変えることと、コンピュータに条件分岐の機能が備わってることに、どれほど関係があるでしょう。こちらも、関係があると簡単には言えなさそうです。
19世紀には機械式計算機の生産が始まりました。まだ実用的ではなかったものの、微分方程式をアナログ計算機を使って解く研究も進められました。この時代に、プログラム可能な計算機について検討したのがチャールズ・バベッジでした。前回確認したメナブレアとエイダの解説(1842年)によると、バベッジの解析機関において条件分岐が使用されるのは代数的な問題を解くための繰り返し処理に必要だったからでした。ここで条件分岐機能は、人間の脳を真似るといった大上段の目的ではなく、代数的な問題を解くための一部品として触れられています。一方、バベッジ本人の興味は産業技術のみならず政治・経済・商業に数理科学を適用することにあり、解析機関はそのための道具だったと見ることもできます*1。ここではいったん、人間の脳を真似ることと、人間の活動のための道具を作ることには、似るところはあっても同一ではないとしておきます。
1854年、ジョージ・ブールの提唱したブール代数によって、論理を記号的方法で扱うことができるようになりました。〇〇ならば、という条件について考えることは、代数ではなく論理の範疇です。バベッジの考えたことの工学的な(つまり効率的な)実装は、蒸気から電気の時代への変化のほか、少なくとも記号論理学の発展も待つ必要があったのではないでしょうか。
1920年代半ばまで、機械を人間の脳とみなす論調はほとんどみられなかったようです。それが1928年以降、ヴァネヴァー・ブッシュらの開発した微分解析機をはじめとする機械式アナログ計算機たちが、一般向け科学雑誌で「脳」に例えられるようになります*2。計算する機械が人間の「脳」に似たものという考えが広まったのはこの頃からとして良さそうです。
ブール代数の登場からは大きく間があいて、1930年代後半のこと、中嶋章、クロード・シャノン、ビクター・シェスタコフらが立て続けにスイッチング回路理論を発表しました。機械で作られた電気回路と、論理を扱うブール代数との関係が本格的に理解されはじめたのはここからだと考えることができます*3。
これで、真偽値の組み合わせにおいて、〇〇ならば××といえる、といった記号論理が回路上でも表現できることが判りました。このため、以降の時代では機械がブール代数という水準で論理的な条件を扱えること自体は当たり前になっていると言えるでしょう。
では次は、より高度なプログラムという水準で条件分岐がどう扱われてきたかを見てゆきます。1944年、エイケンが世界初の電気機械式自動計算機を制作しました。ここではプログラムの紙テープを物理的に輪にすることで繰り返し処理を実現しましたが、条件分岐を実行する機能は搭載されませんでした。
1945年のこと、ノイマンの草稿にはプログラム内蔵方式のデジタルコンピュータの命令セットとして条件分岐が記されました。続いて1947年には、このコンピュータに条件分岐が必要な理由を(100年前と同じように*4)繰り返し処理の存在によって解説しました。ただし、ノイマンには設計の初期から人間の脳と機械の脳を類比する気持ちがありました。
少し遡ること1943年、マカロックとピッツは人間の神経回路網を記号論理学のモデルを用いて表現しました。人間の脳と現実の機械との関係をブール代数を橋渡しとして論じることができるようになったのはここからとなります。ノイマンもマカロック-ピッツモデルの影響を受けて、人間の脳のニューロンとコンピュータの電子素子の関係を論じていました。ノイマンはオートマトンの理論を通じて電子素子に対して脳のニューロンのような動作をさせるための検討を続けました*5。しかし、機械が人間のように振る舞うことがニューロンを水準としたいわば器質的論理(?)でなく、対話という機能的論理として表出するかどうかの議論については、同時代を生きたチューリングの考えのほうを追う必要があります。
コンピュータが条件分岐の機能を持つことと対話との関係については、このあとチューリングとIBM 704の話が続きます(たぶん)。
*1:西垣通「デジタル・ナルシス 情報科学パイオニアたちの欲望」
*2:杉本舞, "「人工知能」前夜 コンピュータと脳は似ているか"
*3:山田昭彦「スイッチング理論の原点を尋ねてーシャノンに先駆けた中嶋章の研究を中心にー」https://www.jstage.jst.go.jp/article/essfr/3/4/3_4_4_9/_pdf
*4:メナブレアとエイダによる解説と一見、似てはいます。しかしこれは楽譜の反復記号にもみられることで、有限回の繰り返し処理のために条件分岐が必要となるのは自明である、という以上の理由ではないでしょう。
*5:以上、ノイマンとマカロックーピッツモデルとの関係については、
杉本舞, "「人工知能」前夜 コンピュータと脳は似ているか"
伊藤和行「フォン・ノイマンとマカロック-ピッツ・モデル―オートマトン理論の誕生― 」