疏水分線

ソガ/疏水太郎のブログです。

グッバイ、ドン・グリーズ、思いを馳せる道具

これは「どこでも・もしもボックス」だなぁ、というのがキービジュアル第一弾を見た時の正直な感想でした。いしづか監督はドラえもんが大好き、ということを踏まえた連想で、どこでもドア的には遠いところをつなぐような何かで、もしもボックス要素はなんじゃろな、という感じでした。

 

ドラえもんの時代からみると現代のスマートフォンというのはひみつ道具に近い存在となっています。トトのスマートフォンにちょっとした間違いが起こったとき、つまりアイルランドとアイスランドを勘違いしたことによってあの電話ボックスにつながるというのは、うまい感じに踏み外されてるなぁと思いました。

 

ドロップがトトの間違いに気づけば、彼は国番号を変えてアイルランドに居るチボリへ電話をかけることができます。チボリにさえたどり着けばドロップはロウマの住む場所へゆくことができます。わたしはそういうことだと考えますので、電話ボックスがなぜあそこにあるのかというのは、日本の同い年の少年たちがどういうわけで電話をかけてきたのかついてドロップが思いを馳せることで、そして行動することで、世界の果てと果てとがつながってゆく、そうした気持ちに支えられた描写だったように思います。

 

蛇足ながら。