疏水分線

ソガ/疏水太郎のブログです。

天気の子

ままならない天気に対して人が関わってゆく態度として、船上でわざわざ雨をかぶりにゆくとか故郷の島で晴れ間を追いかける姿が良かったですね。

雨は降ることが判っていればその瞬間を待つことができそうです。それもよかったけど、晴れ間を追いかける様子のほうがずっとよかった。降る雨が移動するのを追いかけるのは難しいけど、晴れ間だったら追いかけることができる。なぜなら、雲から漏れた光は地上を狭く照らし出して、天気が目に見える形でその姿をさらしている。見晴らしさえよければ、その明るい天気の影を追いかけて走れば天気に触れることができる。何もない離島だから帆高は天気を、晴れ間を追いかけることができて、高い病棟に居たから陽菜は晴れ間を廃ビルの上に見る。

島の果てへ辿り着いてしまったら、今度は海を越えてまで晴れ間を追いかけてゆきたいくらいの気持ち。ままならないものに触れようとするのは、深く思い入れるということです。普段は捕らえられない天気の見せた隙を突いてその影を追いかけられるならば、その方法でしか届かない秘密がふたりにはあるでしょう。