疏水分線

ソガ/疏水太郎のブログです。

小さきものたち

作家が道具的に手元へ描き置く絵。たとえば、わたしなら特定の絵柄を作ろうとするとき、眼の感じは、輪郭の具合は、といったん決めて描いておいて、以降の絵はそちらを参照しながら描くということがあります。複数の絵に対して、一定の要素を維持しながら描くとき、そのための参照点を伴うということがあると思います。

 

龍谷ミュージアムの眷属展にて。下の諸尊集会図は中世日本で流布していた尊像を網羅的に集めたものといいます。検索してみると諸尊集会という画題は多く見られるようですが、会場で見た西國寺の諸尊集会図には、《図像集の要素を持つ特殊な作例》という解説が加えられていました。

図像集とはなんでしょうか。アニメの設定画集のようなもの、と思ってよいでしょうか。つまり、特定の仏様や眷属の姿を描くときに参考にするもの?

アニメの本編では設定画を参考に様々な絵が描かれることになりますが、諸尊集会図の性質はむしろテンプレートに近いものと思われました。ここに描かれた姿を見ながら、それを大きく引き伸ばしたり、精細度を上げて、一枚の絵を描くという使い方。絵画において他の人の作品を見ながら描くことはよく行われましたが、貸出を受けることなくその絵を手元に置いておくには、スケッチをして持ち帰るしかなかった。そういう小さなスケッチを集めてゆくうちに諸尊集会図という形を取る、ということもあったのではないでしょうか。

また、会場では江戸から明治にかけての仏像の雛形も多く展示されていました。京都の仏師、畑治良右衛が15代にわたって伝えてきた四百の雛形のうち一部ということで、彫像を作るときの模型や手控えとして作られたことが解説でははっきりと語られていました。大きさは5から15センチ程度で、頭部のみだったり、全身像だったり。

同じ題の作品を彫ることが何度もあった仏師の家系において、納品した作品が手元にない以上、手元に雛形を置くことは工芸的な工夫であったと言えるでしょう。つまり、小さな彫像は参考資料として作家の元におかれ、それを取って眺める作家の手のひらのことを思わせる大きさでありました。

眷属は、図像や立像では主に対する小さな存在として置かれます。眷属にもまた小さな眷属がいて、彼らは童子として愛されました。眷属の展示において雛形の置かれたことは、作家のそばにあった小さきものたちのことを想像させる良さを感じました。

聖無動尊一字出生八大童子祕要法品という江戸時代の文書に、童子の姿や身色(体の色)、持物が記されていると紹介されていました。いわゆるアトリビュートかと思われたのですが、ちょっと素敵なことが書かれていたので紹介しておきます。

持徳童子であれば、
「姿」は、梵天に似る、三目ある、甲冑を身に着ける、
「身色」は、虚空のよう、
「持物」は、左手に輪宝、右手に三叉鉾、

と記されています。

その身色は虚空、て。まるで見てきたかのような物言いだと思いませんか。

阿耨達童子(あのくたどうじ)の身色は《黄金のよう》とされていて、これとはだいぶ違いますよね。黄金という言葉が指し示すものは、そこそこストレートに絵にすることができそうです。しかし、虚空はどうでしょうか?虚空を描くとき、わたしはまず虚空を「見る」必要があるように思えます。アトリビュートとは完全に索引的なものではなく、どこか幻視の混ざり込む余地があるのかもしれません。

作家にしてみると、参照するということには収集と手のひらの眺め、そして虚空を見るような行為が伴っているものと思われるところです。