疏水分線

ソガ/疏水太郎のブログです。

グッバイ、ドン・グリーズ!

漫画で子供たちのからだが吹き飛んでゆく様子を、わたしは、体重が軽い、と呼んでいます。

登場人物の体重が軽い.くるくるころころと宙に舞う.いいトコロなのに雪から足だけ出して埋まってる人体とか力が抜けてて良い,表題作が好き.雪ん中ないかな,二人でスコップ. (2003/3/1)

むかし、セツナカナイカナ(こがわみさき)という漫画の感想でこういうことを書いたのは、じっさいありえない感じでくるくる吹き飛ぶ彼ら彼女らの体のことをかろやかに感じるとともに、心配する気持ちも半分ありました。子供はいともかんたんに転がってゆくものですが、それはぜい弱さと紙一重であるようにも思うのです。紙風船はころころ転がるけど手でぺしゃんとできちゃう、あの感じ。ころころ跳ねるものは脆い。

 

ドン・グリーズのころがり具合はけっこう凄いのですけど、ロウマが渓流のウォータースライダーを二周目しようとしてたところで、あっ、これはあの、体重が軽いやつだなぁ、と思ったのでした。おもちゃみたいに、冗談みたいにころがす、ころがってゆく感じ。だけどそれが脆い。

 

木の実のドングリをモチーフとして採るなら、それは固いイメージかもしれません。映画を見終わったあとにいしづか監督のインタビューを読むと、《彼らの体はスーパーボールみたいなんです。》とすら仰っています。小さいころスーパーボールを壊そうとしたことがあるのですが、ダメでした。あれはぜんぜん壊れません。

 

<グッバイ、ドン・グリーズ!>世界と自分を対峙させる 「よりもい」で描けなかったテーマを深掘り いしづかあつこ監督インタビュー(MANTANWEB) - Yahoo!ニュース

 

監督は《リアルな重力感を見せるよりも、》という書き方もされてますので、跳ねる様子を重力と考えるか体重と考えるかでだいぶ違ってくるのかもしれません。アニメーションとして見るとなるほど、重力感のコントロールというほうが適切な動きと思えたのですが、ここは自分がはじめに受け取ったことなので体重の軽さのほうを採りたいと思います。

 

わたし流の言い方で、体重の軽さ、ということですが、これがむしろ生死の境界を感じさせました。劇中で元気に軽やかにころころと跳ね回る15歳の彼らは、一方で自らも周りもその体の異常に気付くことのできない脆さを備えている、ということはトトがドロップの健康について語るなかにもあったと思います。

 

いしづか監督作品では登場人物たちの走ることがよくクローズアップされます。プリンス・オブ・ストライド オルタナティブはパルクールを題材とした作品なのでもともとひやっとするような走りが多いなか、第4話ではメンバーのひとりがリスクの高い段差を選んで大ケガをする様子が描かれました。ただし彼は彼として生きるためにけがを負ったと言えるので、かえって生命的であった、とも感じられます。

 

わたしのいう体重の軽さと繋がる生死は観念的なところにあります。グッバイ、ドン・グリーズ!は序盤からあまり弔意を隠すところのない作品だったと思いますが、後半でじっさい旅に出るまでもなく、というか、わたしはアイスランドへ行かずに終わると思っていたくらいでしたが、そしてふたりのではなくあえて三人の、としますが、その鎮魂の旅路はすでに始まっていたと思える作品でした。

 

(2022年2月18日鑑賞)