CGについて近ごろ思うことをあれやこれや、とりとめもなく。
コンピュータやネットワークの歴史は、初期になるほど大学や研究所の登場する場面が多くなります。
世界初のドローソフトSketchPadはひと部屋ほどの大きさのコンピュータ上で動作しました(1963年*1)。世界初のペイントソフトは世界初のビットマップディスプレイを備えたコンピュータAltoとともに生まれました(1973年)。
彼らは大きな資金を背景にもって、やりたいことの実現のために必要なハードウェアは自分たちで作ればよかった、とも言えなくはないです。
一方、70年代にはマイコンブームも始まりますが、こちらはホビイストたちの、草の根といってよい活動が中心だったと思われます。
CGの話からいったん離れますが、最近たまたまELIZAやZorkについて改めて調べる機会がありました。どちらも対話型のプログラムで、前者は初期のAIチャットとして、後者は初期のアドベンチャーゲームとして知られています。ELIZAやZorkは研究所のメインフレームコンピュータ上でAI向けのリスト処理言語を用いて開発されましたが、その後8bitマシンへ移植されてゆきました。
Zorkの移植された1980年のコンピュータの世界をわたしはよく知りませんが、そのあと1983年に発売されたファミコンは直撃世代です。当時はハイスペックのアーケードゲームが熱望され、ファミコンへ移植されていたことを覚えていますが、それと同じような力学がZorkやELIZAにもあったのかな、と想像しています。
そうして、手の届かないと思われた高級品を、安価なコンピュータ上でどうにか実現するプログラミング技術が磨かれていたと思います。AltoのSmalltalk環境で動作していたようなペイントソフトも、より安価なMac上で使えるようになりました(MacPaint)。
このようにハイエンドから辿ってゆく流れもありますが、どちらかといえば、いま目の前にあるコンピュータの制限を前提に、そのコンピュータに適した設計のソフトウェアを作ることのほうが普通だったかもしれません。CGに関していえば、それは16色でCGを描いたり表示したりするためのツールの作成で、それは描いた絵をみんなで共有できる草の根BBSの存在によって大きく支持されていたと聞いています*2。
80年代後半から90年代半ばまではホビーパソコンの中にも大きな性能差があった時代です。文化は自分の目の前にどのようなコンピュータが置かれていたかによって違っていたと思います。MacやX68000が目の前にあった人は65,536色のCG表示が普通だったでしょうし、PC-98があった人は主に16色だったことでしょう。しかし、コンピュータが研究から市場へと軸を移すとともに、高性能の汎用コンピュータはどんどん安く手に入るようになりました。今ではもう、いわゆる2次元のお絵かきツールについてはコンピュータによる差がほとんどなくなって、16色とフルカラー、ドットと高解像度が混在した時代や、そのはるか前に巨大なコンピュータで高度なCGツールが動作していたことなどは物語となりつつあります。