私は「宇宙よりも遠い場所」に登場する夢や、夢みたいなことの描かれるさまが大変好きです。昔からこういうのばかり好きなので、作品中の幻想的な出来事に宛ててどういう言葉を送り出せば届くだろうかと、ずっと取り組んでいます。なので、今回もそうした試みの文章となります。
以下ではアニメ版第12話までの話を含みますので予めご了承ください。また、後でも構いませんので(前編)のほうも読んでいただけると嬉しいです。
(1) 夢うつつの境
「宇宙よりも遠い場所」という作品では、超自然的な出来事は起こりません。話を駆動するのは主に登場人物の意志を伴った言葉と行動です。ただ、あまりその意志ばかりに頼むのも窮屈なためか、ときおり普通じゃない体験が夢やそれに近い形でやってきて、登場人物の気持ちをわっと揺らしているように思われます。
夢といえば最もそれと判るのは第3話「フォローバックが止まらない」で結月さんが夜見る夢です。窓から三人がやってくるという変な夢で、そんなわけないのだけど結月さんが友達を求める心に応えたみたいでもあって、北海道の同級生よりも出会ったばかりの三人のことを自分は求めちゃってるのかな、という不思議な感じもあって、それに窓から落ちるのはびっくりするし、どうしてそんなことが起こるのだか可笑しい。はちゃめちゃな日々が始まりそうな予感だけ残して目が覚めてしまう。だからそれはおかしくって、でも今の自分とは違っていて切ない。
第3話の窓辺の出来事が実際のことではなく、結月さんが夜見る夢にほかならないというのは、細心の注意で区別されています。ベッドから落ちたところで途切れるというだけでなく、ホテルの窓が実際は人が出入りできるほどには大きく開かないことをわざわざ確認しています。個人的には実際のことと夢みたいなことの境界は明確でないほうが好みですが、本作はそれを許さないのだなと初めて見たときには思ったものです。
この作品はやはり人がどうにかするという話であって、そこへ夢みたいなことを差し込むときには、なるべくそれと判るようにしているのだと思います。第12話では雪上車の夜に報瀬さんが貴子さんと吟さんの幻を見るという場面があります。ここでも貴子さんの姿は半透明で光を帯びて、吟さんも同じような光を帯びていて、実際の車内の様子とは絵の上で区別されていました。これは報瀬さんが半ば眠りのなかで見てる夢とも思えますが、強く目を見開いたままキマリさんからの呼びかけに気づく様子は第3話の目覚めと異なる描き方なので、ここでは幻としておきます。
(2) 夜の嵐
実際のことと夢や幻とを区別するにしても、夢をどういう文脈で導入するかによって大きく印象が変わります。真昼の活動中に見る夢と夜にベッドで見る夢とでは思いがけなさが異なるでしょう。「宇宙よりも遠い場所」では夢幻の時間は夜に訪れるので、あまり突飛にならないよう注意が払われているのだと思います。さらにいうと、第3話は5月の嵐の夜の夢で、第12話ではブリザードの夜に見る幻となっています。嵐の夜というのはいかにも心になにか打ち寄せてくるような気がします。普通ではない気象に心を揺らされるそのなかに夢や幻が無理なく伴うよう描かれているのだと思います。
さて、嵐の夜の出来事といえばもうひとつ思い出される場面があります。第3話と第12話のちょうど間くらい、そう、第8話「吠えて、狂って、絶叫して」にも嵐の夜が訪れています。嵐の夜であればこそ、夢みたいなむちゃくちゃな時間が訪れています。あの夜の海が実際の出来事であるというのは、第3話と第12話には覚める瞬間があってこちらにはないことから書き分けられています。その一方、嵐の夜と翌朝とは不連続で、まるで昨夜は何事もなかったかのように平穏な朝が訪れています。昨夜のことに少しでも触れられていればそれは実際のこととして根を下ろすのですが、ここはあえて浮ついた感じを残して、あれがまるで夢みたいな時間だったことを立たせているのだと思います。
「宇宙よりも遠い場所」をシリーズ通して見ると、夜見る夢(第3話の嵐の夜)と夢みたいな出来事(第8話の嵐の夜)と幻視(第12話のブリザードの夜)との間には、絵の透明度の違いや覚める場面の有無によって丁寧な書き分けを認めることができます。夜の嵐が定番めいて3度巡ってくるのですが、それぞれに別の角度からありえないような体験を差し込んで、4人の旅を彩っていることが判ります。
(3) 夢かうつつか、寝てか覚めてか
ここまで夢か幻かはっきり言葉として出てくる場面はありませんでしたが、作品中で「夢」という言葉が明示的に使われる箇所があります。これまでになく、夢とあえて言わずにいられない事態がそこでは起こっていて、それは第12話冒頭の報瀬さんの言葉にあります。
「それは、まるで夢のようで。あれ、覚めない、覚めないぞ、って思っていて。それがいつまでも続いて。まだ、続いている。」
あれだけ実際的な行動をしてきた報瀬さんが、一方で夢のような時間の中にもずっといたという告白でした。この言葉の射程は長く、ひとつひとつの夜に収まるものではなく、報瀬さんがキマリさんと出会う前から今までの間、ずっとということになります。
報瀬さんだって日々の暮らしと夜見る夢との区別はついているわけですが、そうだとしてもこれは夢じゃないのか、という、そんなはずのない言葉でしか表わせない思いを抱えているのでしょう。第9話で報瀬さんが「どう思っているかなんて全然判らない」と絞り出すように話した困惑は、第12話では夢という言葉に現れています。
第12話では夢という言葉を伴って報瀬さんの困惑がシリーズを遡って広がってゆきます。報瀬さんがここまでずっと訳の判らない思いを抱えたままで、母親のいなくなった場所へ向かうしかなかった。そのことを一気に振り返った上で、いよいよ旅の終着点へ近づいていることが判ります。
その極まった状況で、覚めない夢はついに彼女の目の前に出てきてしまう。
報瀬さんの日々が「まるで夢のようで。あれ、覚めない、覚めないぞ」ってなってる、その夢というのはそう言葉にするしかない喩え話だったのですが、雪上車の夜に、ついには報瀬さんの目の前で貴子さんと吟さんの過去が幽かに甦ります。核心の地へと近づく中、尊い幻視と出会って、そんなどうかしてしまいそうな瞬間にこちらへ呼び戻してくれるのが、キマリさんで。
「報瀬ちゃん・・大丈夫?」というキマリさんの呼びかけ。具体的な何かに対して大丈夫かと尋ねたようではなく、報瀬さんの様子がどうにも気がかりだ、という第12話において一貫したキマリさんの態度ではあります。だけどこの雪上車の夜の《大丈夫?》は特別で、何年もの間、夢のような時間をずっと抱えていたすべての報瀬さんに届く言葉であったように思えます。
キマリさんが声を掛けた一瞬は、ふたりの出逢いからずっと共に走ることはあっても交わることのなかったキマリさんの青春と報瀬さんの覚めない夢が交差する瞬間だったのだと思います。
(4) 夢をみるひと
「宇宙よりも遠い場所」で描かれた幻想的な夜に、キマリさんは特別な動きかたを見せていたように感じられます。はしごの先頭に立って手を伸ばしてくれたキマリさん。皆がベッドから立てないなか「選んだんだよ、自分で」と口火を切ってくれたキマリさん。そして「大丈夫?」と声を掛けてくれたキマリさん。ひょっとするとだけど、彼女の寝相の悪さも、目を開けて寝言をいうことも、夢やベッドに囚われず行動できる彼女の副作用なのかもしれません。
第12話の雪上車の夜にキマリさんが「今まで寝てて、目が覚めた」と言うのは、半ば報瀬さんのことも説明しているように思えます。報瀬さんも、今まで幻を見てて、目が覚めました。偶然重なったみたいに真を突くようなことを話すのが面白く思います。
目の覚める時が重なること、ただそれだけでもロマンチックで。
なんならキマリさんは報瀬さんのことを夢に見ていたんじゃないか。人も幻も沈黙を守るブリザードの夜に、夢が車内を満たしていたのではないかと思います。
(5) おわりに
「宇宙よりも遠い場所」は人々の言葉や行動で前進しがちな話ですが、そうした前進が嘘にならない加減で幻想的な描写も伴っています。とくに終盤、第12話において、夢、という言葉は報瀬さんの過去へずっと遡及して、広がったそれは雪上車の夜に結実します。それは宇宙よりも遠い場所の一夜に降りた、ファンタスティックだったと思います。
(2018年6月4日 疏水太郎)