疏水分線

ソガ/疏水太郎のブログです。

メッセージの遅配

よりもい第12話について。以下、本編をご覧になった後で読んだほうがいいんじゃないかな。

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第12話を見終わったとき、報瀬のメールが報瀬に届いて本当に良かったなぁと思いまして。どうしてそういう気持ちになったのかということを話します。

あのときの報瀬の涙は、シリーズ全体を振り返るものでした。ここまでの万感の思いが巡る場面だとは思います。これが最終回だって思っちゃうくらい。わたしは当初、第12話が最終回だと勘違いしてた人です。

ただ、報瀬が泣けないことを告白して最後に泣くという筋書きは第12話のなかで初めて示されるのでして、じゃあ、彼女はなぜ泣けなくて、なぜ泣いたのかというのも基本的には第12話のことばと絵で語られてると思います。

冒頭から前半にかけては、報瀬のなかで3年前から夢のような状態がずっと続いていることが示されます。

それは、まるで夢のようで、
あれ、覚めない、覚めないぞって思っていて、
それがいつまでも続いて、
まだ、続いている。

 この思いをみんなに告白する時には言葉を変えています。

「むしろ普通っていうか、普通すぎるっていうか」

「私ね、南極来たら泣くんじゃないかってずっと思ってた」

「でも、実際はそんなこと全然なくて、なに見ても写真と一緒だ、くらいで。」

「でも、そこに着いたらもう先はない。終わりなの」

「もし行ってなにも変わらなかったら、私はきっと、一生今の気持ちのままなんだって」

泣くんじゃないかと思ってたけど、どうしてだか普通すぎてそうならなかった。そして、この普通がこれからもずっと続いてゆくことを報瀬は怖れています。

そんな彼女がどうしてメールが届くのを見て泣いたのか。もう一度いいますけど、あそこは万感の思いが巡る場面だと思います。それはそうとして、じゃあ、なぜ一万円札を床に並べて数えたときは泣けなくて、メールの数が増えてゆくのを見た時には泣けたのか、ということを話したいと思います。

お札を並べてゆくところも胸に迫るものがありましたよね。あれも、報瀬の3年間を噛みしめるように振り返ることでした。だけど報瀬は泣かなかった。

そんな報瀬の3年間を、普通がずっと続いてゆくような、覚めない夢みたいだったとは、思いたくないんですよね。あの3年の間、アルバイトの他にもずっとやってたことがあったよね、と。

彼女が3年の間メールとして発信し続けた思いは、だけど、彼女自身に届いてなかったんですよ。だから普通だと思えた。覚めない夢だと思えた。自分の気持ちは自分で判らなかった。

100万円は確かに手元にある。だけど、メールに込めた思いはまだ報瀬の元に届いていない。

報瀬がたぶん灰色みたいに思ってただろう3年間は、実は母への思いで満たされていたこと、だけどそれを綴ったメールが報瀬本人に届いてないんですよ。

最後のメールの場面は、メールの受信数が増えてくことだけが響くのではなくて、3年間の思いを数えるだけならもうお札を床に並べるときにやってるよね。それだけじゃなくて、メールが「届いた」ことが報瀬の、ひいては見ている私の胸を打ちました。報瀬の母への思いは、普通とか夢とかじゃなくて、ちゃんと報瀬本人に届いたんだ。作中には相手がすぐ読むことを前提としたメッセンジャー(RINE)が登場するけど、報瀬が相手のすぐ読まないメールを出してるのは、メッセージが遅配されること。本人の思いは本人ですら受け取れなくて、だけど遅れて届くかもしれないということ。

だから、報瀬のメールは報瀬に届いて本当に良かったと思います。