エレクトーンで弾くよりもいへの道
よりもいの聖地館林で1月16日にストリートエレクトーンが設置されていたのを知って、いつかここでよりもいの曲を演奏したいなーと思ったのでした。
(参考)
https://twitter.com/N_Kashiwa/status/1350349571180818438
https://twitter.com/neknek2/status/1350364663821684737
それでエレクトーン歴3年(うち子供のころ1年)のわたしがよりもいの曲をエレクトーンで弾けるようになるまでにはどうすればよいのか、その道のりを考えてみました。
楽器の紹介がすこし必要かと思います。エレクトーンというのはヤマハの電子オルガンの名前で、三段の鍵盤を右手、左手、足の全身を使って弾く愉快な楽器です。1980年代にはこれが普通の楽器だと思っていたのですが、各社が電子オルガンから撤退した今ではどうもマニアックに感じられます。でも好き。
(画像はヤマハミュージックのサイトより)
よりもいの曲をエレクトーンで弾くには、エレクトーン用の楽譜と音色やリズムの設定データ(レジストデータ)があれば、それを使ってひたすら練習するだけです。だけどエレクトーン用の楽譜はありません。よりもい曲が世の中でヒットしたら、たぶんヤマハから公式の楽譜とデータが出ます。以上、おしまい。
とまぁそうなる可能性がなくはないのですが、これだと他人だのみの部分が大きいので自分でどうにかすることを考えてみましょう。
■ 楽譜がない
曲を聞いて自分の耳で音を拾う(採譜する)ことができれば、楽譜を自作することができます。しかしこれは私の技術レベルをはるかに越えてますので、なるべく手に届くところから始めましょう。
こういうときは採譜できる方が制作したピアノアレンジ版の楽譜を使うのがよいです。よりもいについてもこうして採譜された楽譜がいくつかJASRAC許諾サイトから購入できますね。
■ ピアノでメロディ
エレクトーンは鍵盤楽器なので、ピアノっぽく弾くこともできます。ピアノを弾けるひとはこれで練習したらまずはエレクトーンでよりもい曲を弾く第一段階にたどり着けるのではないでしょうか。
ただ私はといえばエレクトーンはビギナーながら弾けても、ピアノはできない、というかピアノを弾きたいならはじめからピアノをやってましたね・・。エレクトーンの基本的な奏法はピアノとはだいぶ違っていて、右手でメロディを、左手でコード(和音)を、足でベースラインを弾きます(応用的にはなんでもありです)。なので、なるべくエレクトーン的なところからはじめたい気持ちです。
そうすると、右手のメロディだけはピアノ楽譜から流用できそうです。
■ ギターでコード
しかし、ピアノ楽譜にコードはありません。こちらも音楽の知識が深ければ自分の耳で採れそうですが、今の私には難しいので後にしましょう。代わりにギターの楽譜があればコードが付いてきますのでこれを使いましょう。楽譜サイトにはピアノ同様ギターの楽譜も見つかります。
コードが判れば足のベースラインは私のレベルでも簡単にできます。これで三段鍵盤の楽譜が揃いました。やった!
■ エレクトーンでバンド音楽
エレクトーンは一台で多彩な音色と旋律を同時に出せる電子楽器ですので、トラック数の多い原曲に近いイメージで弾くことも可能で、最終目標はそこんところになります。でもまずは、メロディがあって、コードとベースが鳴って、あとドラムがあれば小さなバンドみたいな構成で演奏できてることになりますよね。
エレクトーンは1970年代に入るとオルガンよりも遠い場所を目指して電子的な機能が増えてゆきました。たとえば一人の奏者ではフォローの難しいリズム隊のパートを自動的に補完できるようになりました。このおかげでひとりの奏者がメロディとコードを弾きながらドラムやシンバルを叩くという離れ業が電子的に可能となったのでした。
■ 音をえらぶ
バンドアレンジ(のようなもの)の楽譜ができたら、次は音をえらぶ必要があります。ピアノやアコースティックギターを弾く場合はその楽器の音がなりますが、現代のエレクトーンはシンセサイザーとまぁまぁ似ていますので、一台でいろんな音がでます。原曲に近い音を探してもよいですし、好きな音で弾いてみてもよいです。三段ある鍵盤はそれぞれ別の音を設定することができます。リズム隊の鳴らし方も選べます。
いろいろ選べるというのは悩ましいものですが、ここがエレクトーンの楽しいところでもあると思います。
1980年代からはエレクトーンのデジタル化が進んで、一度えらんだ音やリズムの設定の組み合わせ(レジストデータ)をメモリにセーブできるようになりました。現代のエレクトーンだとセーブスロットは16個あります。エレクトーン奏者が曲のなかのどんなところでもいろんな音を出せてるのは、いったんセーブしたレジストデータをボタンやペダルでぱっと呼び出しているためです。1990年代にはこの呼び出しの順序を手動でなくプログラミングすることもできるようになりました。
■ ここから、ここから
これでようやく準備が整いました。あとは練習あるのみです。
そもそも演奏技術がまだ低いので、これまでエレクトーン用の楽譜がある曲で練習をしていて、それもまだままならぬという段階です。
例えば、「響け!ユーフォニアム」の作中で使用された曲は有名なものが多いので(宝島、ライディーンなど)エレクトーン用の楽譜とレジストデータが奏者の熟練度に応じていろいろ出ています。そういうのを弾いてそれはそれで楽しく練習してきたところです。
そして、その先に続く道は長いです。ここまでで作った楽譜に足りない音は原曲から拾えるようになりたい。音もリズムも再現したい。見た目かっこよく弾けるようになりたい、でも猫背は治らない。等々。
地元へ帰って以来、私のエレクトーンは一年のあいだ倉庫に眠ったままです。このたび新しく部屋を確保したのでようやく弾けるようになる予定です。壊れてなきゃいいけど・・。
ぼちぼち、また始めたいと思います。では。
よりもいファンアート活動のツイート数(2019/9/1-2020/8/31)
宇宙よりも遠い場所(よりもい)は 2018年1月から放映されたアニメ作品で、この記事執筆時点(2020年12月31日)で明後日には3周年を迎えようとしています。
年末ということもあって、よい機会なのでちょっとしたまとめ話をしますね。
今年は放映からやや時間が経ったにも関わらず、11月には秋葉原店頭でミニ物販イベントがあったり、「理科年表」とのコラボが実施されたり、2021年の再放送とBlu-ray BOX発売が決定されたり、主人公たちが実際の砕氷船とともに南極へ旅立ったりと、ファンを喜ばせるニュースが続きました。そんな感じで、これまで3年間の公式やファンの活動の概要は「よりもい情報@Wiki」のほうでまとめられていますのでぜひとも御覧ください。けっこう盛りだくさんですのよ。
さて、そうしたファン活動のひとつについて本記事の冒頭にグラフを載せました。これはよりもいファンアート活動(イラスト投稿等)のツイート数で、2019年9月1日から2020年8月31日までの一年間、よりもいのファンの方がどれだけTwitterへ作品を投稿されていたか、という目安になるかな、というものです。
この集計を始めたきっかけは、よりもいファンのイラスト投稿の活動の中心が pixiv よりも Twitter 側にあると気づいたことでした。去年、pixiv について集計してみたところ、投稿数のピークは放映終了後の3月(262件)にあるのですけども、Twitterでファンの皆さんの活動を見ていると、その後ももっと活発に投稿されているように見えました。
しかし、Twitter への投稿は、別途 pixiv やまとめサービスで整理されることがあるものの、そうでないこともたくさんありますし、そもそもタグがついてないという場合も多いので、いちど見たっきり流れてしまってゆくことが多いです。そうすると、Twitter 上でファンがたくさん活動しているのに、そのことが後には忘れられてしまうのではないか、加えて、よりもいを制作されたスタッフや関係者の皆さまに作品が愛されてることが伝わりにくくなってやしないかということを、個人的に心配しました。
私自身、よりもいのイラストを描いて Twitter へ投稿させて頂いているので、イラストについてだけでもなんとかならないかと思って、Twitter 上の全てのよりもい関係のイラスト作品をリツイートとして残すことを始めました。具体的にはこちらのアカウントで、2019年9月1日から2020年8月31日分までの期間を対象にリツイートを続けました。
ただし、自作品が Twitter 上でただ流れてゆくことこそが制作者の本望ということもあるかとは思っています。今回そこは本当にごめんなさい。外部サービスに残すのではなくTwitter上での公式リツイートという形にしたのは、なるべく気持ちの重荷にならぬようにというつもりではありました。
イラストではなくファンアートと記載した理由は、イラストだけでなく可能な範囲で他の活動も残してゆこうという気持ちからでした。リツイートした作品には映像・写真・文章も含まれていますが、結果的にはそのほとんどがイラストや写真の画像投稿となりました(98%くらい)。リツイートの基準については本記事の最後に挙げることとします。
よりもいファンアート活動の月別 Tweet 数
リツイートした結果は、元ツイートが削除されてない限りは yorimoie アカウント上にすべて残っています。これを元にこれまで一年間でツイートされた作品の数を数えてゆきます。
同じグラフをもう一度のせますね。1年間の全ツイート数は4,481回で、私は結構おおいなぁと思っていますがどうでしょうか? これは元ツイートの数ですので、これがさらにいろんな人にリツイートされて、みなさんのタイムラインを駆け巡ったことになります。
また、pixiv での集計と比較すると、pixiv だけでは測れない世界が広がっていることが判ります。pixiv では最大の月でも262件でした。
月別の傾向について、ファンの方には自明かもしれませんが、メインの登場人物の誕生日の月には他の月よりも増えます(キマリ:3月、日向:7月、報瀬:11月、結月:12月)。誕生日絵は特にふだんはその作品について投稿されない方が描いて投稿するきっかけとなっています。これはどれだけ昔の作品でも似た傾向が感じられて、個人的には描く人にも見る人にも定期的に振り返ることのできる嬉しい機会だと思っています。
よりもい独自の事情として、まず誕生日月でない2020年8月に多かったのは、ニコニコ生放送での一挙配信があってファンからのお祝いイラストが増えたためでした。
2019年の12月が結月さんの誕生日月とはいえ飛び抜けて多いですね。これは冬至(ゆづ、もとい柚子湯の日)、クリスマス、大晦日等、イラストの投稿されるイベントが続いたからです。独特の暦となってしまったゆづ湯の日については2019年12月22日分を田辺さんがまとめてくださっています。
10月が多い理由はハロウィン絵ですね。なにかにかこつけて絵を描こうとするファン心理が伺えます。
よりもいファンアート活動の作者別 Tweet 数
次に、作者別の Tweet数も載せてみます。期間中に作品を投稿された方は496名でした。この数も多いように思われます。
(投稿者名はあえて伏せてますが、まぁだいたい想像つくかなと ^^;)
まず、ほぼ毎日1つ以上投稿されてるという方が4名おられて、ほんとすごいパワーだなぁと思います。(365回より多くなっている理由は、本記事の最後のリツイートの基準をご参照ください。)
それ以外に1週間に1つくらいのペース(単に投稿数を日数で割っただけの計算ですが)の方が12名。
これまで10作以上投稿された方は合計で50名。
あらためて見てみると、特別に精力的な方が何人もおられるということと、また同時に、ファンアートを投稿される方の裾野はなだらかに広がっていることが感じられるように思います。
yorimoie アカウントでのリツイートの方法と基準
さて、上記の集計の元となった yorimoie アカウント では Twitter 上でのよりもいのファンアートを探してリツイートすることで、アカウント上に作品を記録してきました。
どういう基準で探していたのか、どうやってリツイートしていたのかなど、その方法についてもここに残しておきたいと思います。
手段について
自動(bot)に見えるかもしれませんが、手動です。手動で実施した理由は、自動では私の望む精度が得られないためです。
タグのついていない作品が多いのですが、そうした作品も集めたいと思いました。タグのついていない場合は検索ワードで探すことになるので精度が落ちます。
また、そもそも投稿された画像からそれがファンアートであるかないかを自動判別することができません。ファンアートは何か、という定義に悩ましいところも残りますので、そうしたところも私が後から説明できる方法を採りました。
さらに言うと、本人による元投稿のみ集めるには人間が判断する必要がありました。今回、他人の絵をそうと判らない形で投稿しているものは除外しています。
(ただし今後については、このたび手動でリツイートさせて頂いた投稿を元に、上記のうちごく一部は自動化できるのかもしれません。)
作業のスケジュールについて
リツイートは毎日するのは大変と思ったため、週に一回まとめて行う予定でした。しかし、そのうち1ヶ月や2ヶ月更新しないことが増えました。手動による作業の負荷が原因で、それはあらかじめ判っていたことではありますが、もうちょっと頑張りたかったところです。
負荷が大きいため、少なくとも1年間は続けてそこで区切りとすることは始めるときに決めていました。
検索ワードについて
ある期間の作品をまとめてリツイートする方法は、まずTwitterへ yorimoie アカウントでログインし、キーワードで検索をかけて期間内の「最新」ツイートを表示させることで進めました。
検索キーワードは次のもので、期間(since:2019-9-1 until:2020-9-30)のみ都度、対象の期間の数値に書き換えました。
since:2020-8-11 until:2020-9-1 filter:images OR filter:videos #apfttu OR #yorimoi OR #よりもい OR #宇宙よりも遠い場所 OR 宇宙よりも遠い場所 OR "よりもい" OR キマリ OR 玉木マリ OR 小淵沢報瀬 OR 三宅日向 OR 白石結月 OR #よりもいラクガキ OR #aplacefurtherthantheuniverse OR #比宇宙更遠的地方 OR kimari
この検索キーワードだと画像か映像の添付された投稿しか検索できませんが、全投稿を対象とすると膨大な数となるため、このように制限しました。
なお「キマリ」さんはファイナルファンタジーXのキマリさんがよく出てくるので、そこはわりと悩ましかったです。
リツイートの基準について
まずは上の検索ワードで表示されたツイートのなかから、よりもいのファンアートと判断できるツイートをひとつひとつリツイートしました。
あとは、頻繁によりもいのファンアートを投稿されている方をあらかじめブックマークして、期間中の全ての画像つきツイートを確認してリツイートしました。こちらの負担のほうが検索よりも大きかったです。
ファンアートかどうかを私が判断するのは大変僭越なのですが、次のように進めさせて頂きました。
今回ファンアートとしてリツイートした投稿
・二次創作イラスト
・模写イラスト
・上記のイラストを写真に撮った作品
紙の絵、黒板絵、ホワイトボード絵、磁気ボード絵、などいろいろありました。
・二次創作の立体物の写真
ドール、ペーパークラフト、ブロック、フェルト人形、粘土、レザークラフトなどバラエティ豊かでした。
・ゲーム内アート
あつまれどうぶつの森、マインクラフト(今回の集計期間外ですが、かつてはドラクエビルダーズ作品やテラリアなどもありました。)
・映像、音楽、音声作品
YouTube が14作品、MP4 投稿が 84作品がありました。
イラストのタイムラプスもこちらに含まれます。
・小説、感想等のブログ投稿作品
ただし先ほど述べたよう、画像の添付されてないツイートは基本的に数えていませんので、ほとんどリツイートすることができませんでした。ごめんなさい。今から数えるのは難しいのでやってませんが、リツイートした作品は20件もなかったと思います。
・描きかけ、つくりかけの作品の投稿
こちらもリツイートさせて頂きました。わたしはこうした途中経過も面白いと感じます。結果として、途中経過の投稿の多い方の場合、かなりリツイート数が増えています。
・上記投稿に対するリツイート
これはリツイートしていますが、本記事の集計においてこの重複は除外しています。
・本人による過去作品を含む投稿
こちらは除外していません。季節のイベントや年の節目ごとに過去の絵を振り返るツイートが行われましたが、たぶん数としては1割もなかったとは思います。
・2019年9月より前の投稿
リツイートで流れていた作品はせっかくなのでリツイートしています。本記事の集計においてこちらは含まれていません。
今回はリツイートしなかった投稿
・聖地巡礼の写真
こちらは今回はリツイートしませんでした。また別の観点からどなたかに採り上げてほしいなぁと思うところです。
・公式グッズの写真
こちらも同上です。
・Twitter上での感想、文章のみのもの。
・本編の画面キャプチャ
・作者以外による作品の投稿
YouTubeやニコニコ動画に上がっている作品を紹介するツイートがここに含まれます。この方法でMAD作品をプッシュされる方はわりとおられたのですがごめんなさい。
それとは別に、作者でない人がそうとは明示せずにイラストを投稿している場合もありますが、これもリツイートしていません。
リツイートしたりしなかったりしたもの
・上記の要素の組み合わせ作品
例えば聖地などの写真背景とねんどろいどの組み合わせ写真で個人的に素敵だなと思ったらリツイートしてることがあるので、このへんは客観的な基準はないです。
・作者が明らかな作品の写真
誰の作品を撮ったものか明示されていて、かつ作者とは友達同士のやりとりの中でのことで作者が気分を悪くはされないだろうと思えるようなケースの場合、他人が撮った写真でもリツイートしていることがあります。文脈が深いのにだいぶ勝手なことを言っておりますが・・。
・R-18の作品
こちらも自己基準で申し訳なかったのですが、制作スタッフに積極的にお見せしたいかどうかという私の気持ちだけに基づいて都度判断しました。リツイートしなかった数はイラスト20枚くらいだと思います。その代わりとはならないのですが、ご本人が pixiv に同じ絵をアップされている場合がほとんどだったとは思います。
以上、リツイートに際しては人力作業なので単純な見落としもあるかと思います。自分の作品が思うようにリツイートされてないとお考えの場合もどうかご容赦願えればと存じます。
集計作業について
Twitterの設定ページからアーカイブをダウンロードすればあとは簡単と思っていたのですが、アーカイブには私がリツイートした日付は記録されているものの、元のツイートの日付は基本的には含まれていないという仕様になっていました。なんてこった・・。
最終的には、公式の Twitter API という仕組みを用いたプログラムを書いて、サーバから自動的に元のツイートの日付を取得しました。その後は Excel で作業しました。
おわりに
よりもいという作品にはファンがたくさんいて、自分自身が楽しんでいるのはもちろん、みんなでも楽しもうと活動をしています。そして再放送や口コミもあって新しいファンがいまも増え続けています。このことは、たぶんもう改めて強調するほどでもなくて、各種メディアや制作されたスタッフ、またその周りの方々にも伝わっているように私には思われます。ただ今回、Twitter上でのファンアート活動、とくにイラストを中心としたものにはなりましたが、これをまとめることで、獏とした印象であったところもある程度は目に見えるようにできたのではないかと考えています。
つきましては、yorimoie アカウントをブロックせずリツイートさせて下さった皆様に感謝いたします。また、本アカウントによるリツイートに関して不快に思われた皆様にはこの場を借りてお詫び申し上げます。
たとえリツイートという形であれ、他の方の作品を全てなんらかのものさしで定めようとすることは、緊張を強いられることでした。もともと最低1年間と自分で定めていた活動ですので、以後はなるべく多くをリツイートするという方針ではなく、検索を中心として普段フォロワーしている方以外の作品を主にリツイートさせて頂くようなアカウントとする予定です。
それでは、明日からの新年と明後日のよりもい3周年へ向けて、みなさまに幸がありますようお祈り申し上げます。良いお年を。
2020年の大晦日に。 ソガ
「北へ。」主題歌オルゴール
「北へ。White Illumination」はもう20年以上も前のゲームとなります。そのため公式の展開は途絶えて久しいのですが、いまだ手に入れることのできる北へ。っぽいグッズのあることが、ファンの間で知られています。
上の写真は、フォトフレーム付きオルゴールに「北へ。」の主題歌をオーダーし、フレームには私の描いたターニャの絵をはめ込んだものとなります。
こうしたオルゴールがなぜ北へ。っぽいグッズであるのかというのは、小樽オルゴール堂さんというお店が北へ。シリーズに登場していたことと、過去に北へ。公式のオルゴールを制作されていたというのが背景なのです。
(北へ。に登場する小樽オルゴール堂さんの巡礼記事
・あきさん オルゴール堂 - to the north.
・鳥髪さん 小樽オルゴール堂 〜風は北へ。〜 )
絵は自分で何か用意する必要があるのですが、主題歌である「北へ。」(アーティスト名:Four Seasons)については一般的な JASRAC 管理下の楽曲であるため、オルゴール屋さんによっては他の楽曲と同様の方法でオーダーできる場合があります。
つきましては、Twitter 上で調査された皆様の貴重な情報に感謝いたします。なお、オーダーの方法については、ここでは触れないものとさせて頂きます。
さて、私は去年の9月にオーダーさせて頂いたのですが、オルゴール用にターニャの絵を描こうとおもいつつもだいぶ時間が経ってしまいました。
ターニャお誕生日おめでとう🎂
— ソガ (@canalsphere) 2019年11月26日
先月から新規絵を描こうと思ってるのですがなかなか進まないのでこれまた1999年に描いた絵で。
例の北へ主題歌オルゴールが届いたので、それ用の絵を描きたいのですよ。#北へ。 #ターニャ・リピンスキー #ザウ絵 pic.twitter.com/ibfmFQHrNr
この頃から個人的に尋常ならぬ毎日となりましたので、あまりいろんなことを出来なくなったのですが、ようやく1年が過ぎて、今年のターニャ誕に合わせて描こうと思い立つことができました。これが節目になればよいなと思います。
原画はこちらにあります。ロシア語の説明もこちらに。
#北へ。 ターニャ《北へ。》オルゴールでおめでとう! - ソガのイラスト - pixiv
同じタイプのオルゴールをお持ちでしたら、もしよろしければ下のPDFをはがきに印刷して、切り抜いてご使用ください。(ページサイズは、用紙に合わせるのではなく「実際のサイズ」を選んでください。なお、1枚のはがきに同じ絵を2枚おさめています。)
またいつか、小樽へ行きたいですよ。
ではでは。
キハ窓外放出事件
列車の窓からものを投げなくなったのは、いつからだったでしょうか。
漱石の三四郎では鮎の駅弁を窓外に捨てたら後ろの人が食べ残しの汁などかぶって迷惑するという場面があります。逆にいうと、少々注意さえすればごみを窓から捨てるくらいは行われていた様子ではあります。
この時三四郎はからになった弁当の折を力いっぱいに窓からほうり出した。女の窓と三四郎の窓は一軒おきの隣であった。風に逆らってなげた折の蓋が白く舞いもどったように見えた時、三四郎はとんだことをしたのかと気がついて、ふと女の顔を見た。顔はあいにく列車の外に出ていた。けれども、女は静かに首を引っ込めて更紗のハンケチで額のところを丁寧にふき始めた。三四郎はともかくもあやまるほうが安全だと考えた。
「ごめんなさい」と言った。
明治20年代に折箱式の駅弁が始まって、その後、大正時代の記録では親子丼や鰻丼のようなどんぶりものに陶器が用いられたとあります。また、いまではちょっと信じがたいのですが、明治の頃から駅弁のお茶の容器として土瓶がそのまま販売されました。三四郎の投げた折箱はまだかわいいほうで、実際にはこの丼や土瓶が窓から投げ捨てられて、鉄道会社を悩ませていたといいます。
これらは2015年に鉄道歴史展示室(旧新橋停車場)の企画展「駅弁むかし物語―お弁当にお茶― 」で紹介されていた話となります。冒頭の問いへの答えははっきりしないのですが、大正時代に駅弁のマナーとして喚起されていたことが伝わっています。
以下、企画展パンフレット p.37 より少々引用します。
大正時代の「停車場構内営業人従業心得」に「御注意 空瓶、空土瓶、空罐、茶碗、丼などを窓から投げらるゝと線路にいる人に怪我をさすことがありますから腰掛の下にお置き下さい」の注意書きを茶土瓶や丼などの容器に貼付するようにとあった
実際の被害について、大正8年鉄道院発行の家庭向け書籍では、
走っている客車の窓から弁当の折や麦酒・サイダーの空瓶などを投げ、見廻りの工夫が重傷を負って気絶したこともあったらしく、物を投げる危険行為をいましめ、つつしむよう切に希望している。
昭和16年発行の絵本において、
絵本でも「窓からものを投げ捨てないこと、車内で散らかさず腰掛のしたへきちんとかたづけること」と鉄道のマナーを記している。
少なくとも昭和16年ごろまでは、ともかく窓から投げるのは、とりわけ陶器はやめてほしい、ということだったようです。そして、窓から投げる代わりに提示されたマナーは、座席の下へ片付けて置いてほしい、ということになっています。あれ、座席の下でいいのか。ごみは各自駅で持って降りてそこで捨ててほしい、とはならないのですね。
冒頭の問いを少し変えたいと思います。列車の座席の下にごみがあまり置かれなくなったのはいつからだったでしょうか。企画展パンフレットの p.38 には、座席の下から出てくる大量のゴミの写真(昭和33年)が掲載されていますが、いまではここまで大量のものは見かけません。
マナーの変化もあるとは思いますが、個人的な興味として別の角度からみてゆきます。
土瓶時代、仮に駅弁のごみを持って降りるとすればどうだったのかを想像してみました。車窓越しに買ったお弁当と土瓶を、降車時にはこんどは自分の旅行荷物を持った上で、空き箱(あるいはどんぶり)と、その蓋と、お箸と、掛け紙と、土瓶と、あとそれらに食べ残しがついてるような、そうしたものを持って降りなきゃならないわけですよね。・・ちょっと難しいかしら。
当時ものをまとめて包むものとしては風呂敷がありましたが、そういう汁っぽいゴミを風呂敷に包むことってあったのかしら。
いまのわれわれどうしてるかっていうと、駅の売店でも車内販売でも買うときにポリ袋がついてきますので、それにまとめて持って降りて捨てることができます。
企画展では「いわゆる使い捨て商品のはしり」として汽車土瓶、駅弁容器が位置づけられていました。昭和30年代中頃に土瓶はポリ製容器へと変わったそうです。使い捨て商品の普及によって、それらをうまくまとめて渡して、捨てるときにもまたまとめて捨てられたらいいな、ということがあって、その先には使い捨ての風呂敷、つまりポリ袋というものが見えてくるようです。
2020年エアコミケ(C98)情報
エアコミケ企画として、Yuzuki Visual Maniax 準備号3を無料配布します。C96、C97 で頒布した準備号1と準備号2を合本したものです。
準備号1の冊子版は印刷数が足りませんでしたので、この機会にご覧頂けると嬉しいです。
エアコミケC98新刊
Yuzuki Visual Maniax (準備号3)
アニメ「宇宙よりも遠い場所」の白石結月さんの装いについて、コーディネートや着回し、持ち物などの絵を描きながら語る本です。
本編中に登場する結月さんの衣装と小物を全て分類し、解説付きで掲載しています。
準備号1のデータシートの文字サイズは、なるべく読めるような大きさへ修正済みです。
■ 形式
A4、40ページ、フルカラー、PDF形式。
■ 本書は2020年5月2日から5日までの4日間限定で配布いたします。
印刷版はなく、電子版(PDF)のみの無料配布となります。
(配布は終了しました。)
既刊「サウスポールを探しに」
■ 概要
宇宙よりも遠い場所(よりもい)の小説、エッセイを中心としたファンブックです。 私がよりもいに触れた日々の中から、星や夢、夜と言葉、季節、水辺に関する美しい要素を拾い上げて一冊の本に綴り合せました。
■ 形式
B5オフセット、44ページ。第2版。初版時(C95)にあった付録はありません。
■ 頒布方法
メロンブック様のこちらより通販となります。
以上です。それでは、どうか、ごゆるりと。
カードたちの物語
たのしいカードたち
「宇宙よりも遠い場所」の同人誌は、自分の好きなものを詰め込もうという気持ちで制作しています。二次創作小説「真昼のアステリズム」も、企画を練っているうちに情報のスケッチされたカードと会話を中心とした本文のお話とがゆるく響き合うような構成が導かれたのは、まったく私の好みによるものでした。
カードを作品制作に用いることへの私の思い入れについては、こちらからダウンロードできる文章でも触れました。あと、私がはがきを使った作品(はがきろいど)を作っているのも同じような気持ちです。カードというのは見て楽しい、触って楽しい、贈って楽しい、作って楽しい。
カードとブログ
今日はカードについてのまた違った話をしたいと思います。よりもい関係でいろいろやりたいことがあって、これまで作ったサイトを別のサーバへ移転する作業をしていたところ、2年間ほど書いていたあるブログはそのまま引っ越せなくて、中身だけうまいこと移動する必要が出てきました。
ブログというのは、ひとつひとつのエントリ(記事)がはがきみたいなものでして、ブログシステムははがきを新しいものから順に並べたり、カテゴリにわけて束にしたり、必要なはがきを検索して抜き出すことができるようになっています。なので、私がブログに寄せる思いというのは、私がカードに寄せる思いと親しいものになっています。
このブログを、rNoteと呼ばれる以前のブログシステムからWordPressというブログシステムへ移動させる必要があって、作業するうちに、ああ、むかしrNoteでエントリ(つまりカードのようなもの)を整理しようとしたときに考えていたことと、上の二次創作小説「真昼のアステリズム」のこととは繋がっていたなぁ、と改めて気づいたのでした。
よりもいが私の過去を掘り起こしてゆきます。
Woody-Rinnさん
rNoteは2004年にWoody-Rinnさんが開発したブログシステムです。Woody-Rinnさんはご本人がイラストレーターでもあるので、当時主流だったMovableType等のブログシステムだとデザインに凝ることができない、という不満から制作されたようです(rNoteサポートページのアーカイブより)。
ブログが使われるようになる前は、絵を描く人たちは自分のWebページをHTMLを書いてデザインして、ギャラリーを自由に作って公開してきましたので、当時のブログは窮屈なものだったと思います。私も1990年代に制作していたサイト(こちらです)と、その後、流行しはじめたブログとは、それぞれ狙いが違うとはいえ出来ることのギャップが大きすぎると思っていました。
Woody-Rinnさんは1990年代前半には16色CGツールの開発で広く知られていました。私自身は16色時代にCGを描いてなかったのでWoody-Rinnさんのことはイラストのほうで知りましたが、rNoteの狙いにはブログツールに対する絵描きの不満が汲み上げられているように思えたので、これでサイトを作り直してみることにしました。
余談ですが、2000年代初頭にはPocketPCで16色のペイントツールが開発されて、PDA絵描きの人々に愛されました(Uenoさん開発のJINZO Paint)。私もそうやって16色CGを描いてみて、そこではじめて1990年代に16色CG絵描きさんたちの残した技法とそれを実現するツールの思想に触れることが出来ました。ドット絵(GIF)は今また形を変えて愛されていて、それを担う人がまるで変わっていても、思想みたいのが続いてゆくことを感じます。
rNoteでつくるイラストサイト
ブログで出来なくて困っていたことは、ブログはもともと小さな文章を1本の時系列で残してゆくのが狙いで、表示は縦に流れてゆくのですが、この考えは1ページの空間にたくさんのイラストを縦横に並べて表示するギャラリーを作ることとはだいぶ離れていました。ひとことで言うなら時間と空間の違いです。
rNoteはブラウザに表示させる内容を細かくデザインすることができましたので、ブログのようにも使えますし、凝ったデザインのギャラリーも作りやすくなっていました。
私がやりたかったことは、絵や日記、連載小説の描かれたカードを日常的にブログに投稿していって、それとは別に、過去に投稿したカードを自動加工したり必要なものだけ参照して、ギャラリーページや物語のまとめページを作ることでした。いまなら TwitterやWordPressである程度できることですが、当時のブログというのはまだまだものをつくる人にとっては窮屈に思えるものでした。
たとえばですけど、下の2つのカードは日記でして、それぞれ絵が添えられています。
こうして書き溜めたカードを集めたとき、絵やタイトル、日付を抜き出して、元のカードへのリンクも自動的につけてくれて、縦横自由に並べられるギャラリーページを作れるようにしたかったのです。
こういうことは、個別のカードのデータと、データを集める方法と、それを表示するときの見た目とをそれぞれ分けて扱うことで実現できます。あるときはカード1枚を絵日記みたいな見た目で見せて、またあるときは、たくさんのカードから絵とタイトルと日付とリンクとを抜き出して、それらを1つの大きなカードに2列で並べて表示させるという見た目にしたり。XMLと呼ばれる言語はこういうことをやるのに向いていて、上のギャラリーページを私がrNoteでつくる場合には、下のようなXMLの文書(カード)を1枚つくれば良いようにしていました。
かつての携帯電話やいまのスマートフォンは、人が表現を受け取る手段を縦にスクロールする流れへと方向づけているため、横方向へも空間を拡げてゆく表現は見づらいものとなってしまいました。わたしはいまの縦にだけ流れてゆく世界は苦手です。
というのも、わたしが好きな絵の世界は、縦にだけ視線が流れるということはないからです。
ふたたび、よりもい
南極探検の時代とカードとの緩やかな関係は冒頭の「サウスポールを探しに」初版付録(データ版)にて触れたとおりですが、戦後の登山家研究者たちはフィールド研究の過程でカードを使っていたのであって、成果物は本や論文となります。カードを机に並べてあちこち動かしてみるのは、物語のシーンを書き出して並べ直してみたりすること、あるいはカードゲームの盤面を想像してもらってもよいのですが、表現というよりは過程のことだと思われがちです。ただ、そういうカードが並べられて形を変えてゆくのを見たとき、その領域のことをよく知らなくてもなんだかわくわくする気持ちって起こらないでしょうか。成果物や勝負の結末にたどり着くところまで見ていなくても、プロセスは楽しいものです。
小説「真昼のアステリズム」における本文とカードとの関係は物語中では本文に基づいてカードが制作されたことになっていますが、私の小説の制作過程においては、カードを作りながら本文を書いたし、本文に合わせてカードを作ることもあれば、あまり関係ないけど好きだから描いたようなカードも交ざっています。あそこには、そうした過程の表現を残したかったのではないかと思われます。
その後のカードたち
rNoteでのページ作成は楽しいものでした。イラストや物語を描くだけじゃなくて、ポッドキャストをやったりもしていました。
ただ、使ううちにもっとこうしたい、という思いがあって、カードを空間に配置してゆくブログシステムを自作してからは、次第にそちらへ移行してゆきました。その後いろいろあって長らく塩漬けにしているうち、日常の画面はスマートフォンへと移っていって、空間的な広がりのある表現はそこにはあまり合わなくなってきました。だけど、空間というのは未だ、あるいは今でこそ実空間にも仮想空間にもいくらでも拡がってるものですので、また暮らしの中にこれまでと形を変えて表現が甦るんじゃないかと思っています。
今回は機会があってrNoteで制作したカードたちにWordPressという現在主流のブログシステムへ引っ越してもらうことにしました。rNoteはあれからだいぶ時が過ぎまして、 簡単な説明だけを残してサポートを終了しておられます。rNoteを独自にアップデートして現在のサーバ環境で動作させている方もおられますが、私がWordPressにもう慣れていたのでこちらへ来てもらうことにしました。
だいたいのブログシステムは先程述べたXMLという共通の言語でデータを扱えるため、rNoteとWordPressは全く異なるソフトウェアですが、データの移動はさほど難しくはありません。rNoteでやっていた物語のまとめページだけはWordPressでもできるよう少し調整して、ギャラリーはいまのスマートフォン環境に合うよう入り口だけは修正しました(中に入るとちょっと見づらい)。やや専門的な話になりますが、データのエクスポート・インポートはRSSで行って、rNoteはRSS1.0しか出力しないのをRSS2.0に修正したり、HTMLタグも出力するようにしたり、独自につけていたrNoteのタグに対応させたり、WordPress側のインポータにバグがあるのを直したりしました。
引越し後のページはこちらとなります。今後更新する予定はありませんが、昔つくったものはなるべく残してゆきたいと思っています。また10年もしたら引っ越しするでしょうけど、それまでカードたちにはここで暮らしていてもらおうと思います。
疏水太郎
枕元のチッピー
よりもいギャグ小説「南極たぬきねこ」の別ENDです。
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「ペンギン饅頭号の元々の名前はしらせね。由来は知ってる?」
吟隊長の問いに答えたのは報瀬ちゃんでした。
「日本人で初めて南極へ到達した、探検家の白瀬矗です」
「白瀬が活躍した時代には、南極を目指す冒険者が沢山いた。その中でもイギリスのアーネスト・シャクルトンの冒険は広く知られているわ。シャクルトンの探検隊は氷に閉じ込められて、船を失い、だけど2年近くかけて全員が生きて帰ってきた。そう、少なくとも、人間はみんな生きて帰ってきた」
「だけど、虎猫のミセス・チッピーは帰ってきませんでした。南極脱出の旅には連れてゆけないので、犬たちと一緒に殺された」
「そうね。でも、シャクルトンの判断は正しかったし、隊員全員を生還させたのは偉業だったと思うわ」
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「納得いかないー」
その夜。私はミセス・チッピーが死んだこと、チッピーと仲良しだったマクニッシュさんのことを思って怒っていました。
「ミセス・チッピーのこと、おはなしにしようと思う。マクニッシュさんと結婚するの」
「でもミセス・チッピーってたしか雄猫だわ」
「えーっ、なんでー」
「うーん、夫婦に見えるくらい仲が良かったんじゃないですか」
「じゃあ、ミセス・チッピーは毎晩、シャクルトン隊長の枕元に立ってるの」
「怖いな、おい」
「そしてこう言うの。ちゃんとお世話できないのに南極に動物を連れてきちゃダメにゃん、って。それ以来、南極には動物を連れてきちゃいけないことになったのでした」
「あまり怖くないですね」
「だけど動物が駄目なのはそういう理由じゃない」
「確かに南極条約とは違うが、そういう気持ちにもなるよな。タロとジロ思い出すと」
「今日の幽霊のことでもやもやしてるのをほっとさせたい気持ちがあって、なにかお話にすると良いなって」
「キマリさんは、そういう風にお話を書くのが向いているのかも知れませんね」
(南極たぬきねこ・小説家エンド)