今夜も夢みたいな話をいたしましょう。
「空の青さを知る人よ」という題の映画を見た感想で、主人公相生あおいの友人になる大滝千佳さんの話です、たぶん。まぁ、まだ見てないひとは明日見に行ったその後で読んだほうがいいんじゃないかな?
似てる、という気持ちについて話をします。誰と誰とが似てる、と自分が思うとき、あるいは人にそう話したい、人からそう言われたときの気持ちです。「空の青さを知る人よ」では誰と誰が似てるという気持ちが何度も登場します。まずは中村正嗣(ツグ)が中村正道(ミチンコ)のミニチュアである、というしんのが言ったこと。親子なのだから外見は否応なく似てしまいますね。続いて、大滝さんがミチンコに似ているとあおいが思ったこと、そして、しんのとあおいが似ていると相生あかねが言った最後の隧道。また、その一方で金室慎之介としんのは似てるのか似てないのかということが作中での大きな関心事となります。
似てる云々について私が考え始めたのは、あおいが大滝さんの人の話を聞かない様子を指して、ミチンコに似てると語ったときでした。あれ、ここミチンコさんわざわざ引き合いに出すところなのかな、と思ってね。
地元から出る出ない、という話の筋も参照してみると、身近な人に似てるという判断は、物事をローカルな世界へ引き寄せて見てるのだなとは感じられます。ローカルな関係の最たる親子という観点。あおいが大滝さんのことを思うとき、年下の馴染み(ツグ)の父であるミチンコのことを想起する。似てるなぁ、という世代間をつなぐ相似によって思いが綴られてくローカルな暮らしのなかで、慎之介は誰と似ているのか(しんのと似ているのか?)という課題と、誰とも似ていると言われないあかねが独自の位置を占めます。
例えばだけど、あかねは亡くなった母親に似てる云々という言葉には晒されません。似てるって面前で年上から言われるのは結構いやですよね・・。だからツグはしんのにミチンコのミニチュアって言われた時点でしんのを敵認定してよろしいかと思いますよ。
慎之介があかねの傍で唄うとき、その歌は地元の数学教師のものまねであかねを笑わせます。似てるということの、地元のつながり。どこまでもこれまで自分の知ってる、似ていることの続く場所というのが地元で、知らない場所、たとえば東京のことをガンダーラ、何処かにあるユートピアとして憧れるんじゃないかな。
あおいは作中ではずっと地元の人です。そして、そこから出て行ったのは慎之介で、あとおかしなことを言うようだけど、あかねもね、慎之介について行かないと決めたときに、地元の人と同じじゃいられなくなった。地元に好意をもってくれるミチンコや他の彼氏?がいたとして、そこへ深く入ってゆけなかったというのは、これは本人が言ってたのを採っていいと思うけど、慎之介を待ってたからじゃない。かといって慎之介が関係しないわけでもなくて、別れの選択のとき、たぶん地元というのを外からいったん観察してしまったからで。
であるので、あかねがあの隧道であおいとしんのが似てると言葉にした瞬間、あかねもあおいの側へ再び帰ってきたのだと思います。似てる、と口にする、ただそれだけのことなんだけど。
空の青さを知るはずのあかねの(泣くほどの)懊悩は、慎之介としんのは似ているのか、という問いとともにあります。そのとき、身近な誰と誰が似ているという気付きは、個人の悩みをこの場所での暮らしのなかへ緩やかに着地させたんじゃないかしら。
似てる、と人から言われるときの腹立たしさと、似てる、と自分が思うときの温かさってないですかね。前者が勝るとき、やっぱ心は叫びだして東京へ行くよというのは、それはそういうものだと思いますが。
以上は、大滝さんはミチンコに似てる、ってなんでわざわざあおいさんに語らせたのかというのが気になって考えたことでした。
えっと、今さらながら明らかにしておきますと、私は相生あおいさんが大好きです。所作からいちいち目が離せませんね。あと顔も声も好み。さりながら割と大滝さんのことを話してしまうのですが、あおいさん、姉には謝れないけど大滝さんには謝れる、という。あそこは謝れる相手がいて良かったねと思いますよ。謝れないことはしんどいから。
大滝さんはかれらのなかに後から入ってきた人です。そういう彼女が慎之介をご贔屓にすることはいまの慎之介のよさを当面のあいだ担保してくれたわけですが、大滝さんは全体にも欠かせない人で、エンドロールの大滝さん入ってるスナップどれも好きだわ。
大滝さんがあおいの演奏見て、うわー、かっこいい!っていってるのとか、あおいの写真を撮るとき口大きく開けてるところも好き。
あんたほんとは大滝さんが好きなんだろ。・・まぁ、そうかも。だけど、大滝さんみたいにあおいさんのことが好きでいたいのかも。
大滝さんのあおいに対する許しっぷりはなにそれ天使なの?と思いますが、あっちのツグのあおいさんに対するそれもあなた護法童子かなにかなの?と思いますので、あかねも含め、あおいさん大好き人間の集まる話ではあります。みんなが好きになってしまうような、そういう17歳の人が居たという話であって、そういう人のことをしいて名付けるのならば、この映画の題に返るものと思われます。