CGの右と左のベクトル、表と裏のシルエットのことを長いあいだ考えています。
年末に制作したおでかけ結月さんキット、というのは突然でてきたものではなく、CGについて前からもっていたある考えを実際やってみたかったからでした。
紙人形の反転
こちらの紙人形は棒でくるくるひっくり返すことができるようになっています。はじめは表も裏も同じ絵柄のほうがよいと思ったのですが、あえて自分ならそうしないほうをやってみようかと思い直して、絵柄を変えました。どこがどう変わってるか判りますか?
間違い探しみたいになっちゃいますね。では、「左向きの絵」と「左向きの絵を単純に反転した絵」と「右向きにあらためて描きなおした絵」を並べてみましょう。
一番左にある元の絵は体が向かって左向きでした(この記事では以降、左右は「向かって」)。
中央の絵は左向きだった絵をそのまま右向きへ反転させたものです。
一番右の絵は反転させた後で右向きとなるよう加筆した絵です。
中央の絵はまずコートの前の重ね順が実際の服と逆になっています。あと、イヤーマッフルの月の欠ける向きも逆で、同じ月を地球の南半球から見たような感じになってますね(これはこれでそういうデザインかもしれませんし、ちょっとよりもいっぽくもあります)。絵の非対称な部分ではこうした反転が生じています。
一方、もとから対称性を備えている部分はどうでしょう?元の絵では右手を挙げていたのが、左手を挙げた絵に変わっていて、左肩にかけたリュックが右肩に変わっています。こちらは結月さんがそういう風にポーズを変えたと言えなくもないですね。とはいえ、わたしは折り紙の「だまし船」のことを思い出します。あの、帆の先を手で持っていたはずが、いつの間にか船首に変わっているという手品めいた折り紙です*1 。わたしは結月さんの挙げていた右手を握っていたはずが、いつのまにか左手に変わってる!
シルエット&ミラージュ
個人的な理解では、人形の操作で左右反転するとき、意匠的な逆転はあまり問題にされないと思います。影絵や紙人形劇において、なるべくなら絵を左右対称にしておく部分はあるかと思いますが、右手に剣でも持っていようものならひっくり返した時にたちまち左利きとなります。でもあまり気にしないでしょ? そのわけは、左右反転している仕組みが判り切っていること、あとそもそもドラマでは人物のシルエットを重要視すれば、その詳細や反転などは二の次とすることができます。
影絵で顕著に感じられることとして、人はシルエットで人物をとらえることができます。これを第一とするとき、こんどはそれを逆手にとることもできて、同じシルエットなのに意味合いが変わってしまうという表現が生じます。だまし船がそうですし、上の結月さんについても、おなじシルエットなのに表と裏で絵柄が違うって、逆におかしくすら感じられませんか?
シルエットを用いただまし絵は古くからあって、たとえば般若の面をした影が実は折り重なったにゃんこであるというような風でした。
歌川国芳「絵鏡台合かゞ身 猫しゝ・みゝづく・はんにやあめん」(絵鏡台・合わせかが身・猫獅子・ミミヅク・般若面)*2
近年、製造技術の発展で紙人形でなく人物シルエットのアクリルスタンドやキーホルダーがたくさん販売されるようになりました。なかでもグルーヴガレージさんのオモテウラァクリルシリーズは、同じシルエットで表と裏の意匠を変えるということをやっています。(このことは、よりもいのグッズがあったので知りました。)
個人的にはこのシリーズだと先ほどの国芳の絵のように同じシルエットのなかに全く違う髪型や体型が収まっているほうが面白いように思います。次の邪神ちゃんのはよいですよね。
ゲームに新しく登場する人物をシルエットだけ見せて予想させる、という盛り上げ方が昔から今まで続いていることも思い出しておきたいと思います。何をモチーフにした人物か、どんな武器をもっているか、シルエットから想像するのは楽しいものです*3 。
ピクセルアートのビデオゲームでも同じようなことがあります。人物をユニットとして表現するとき、右向きと左向きを単純な反転で描くことは最新のゲームでも普通に見られます。これも先に述べたのと同様、コンピュータ上の簡単な処理で左右反転していることは判り切っていますし、シルエットにフォーカスした表現というのは、見る人にとって差支えないものだからかと思います。ただ、そうした中でもおやっと思う表現に出会ったことがありました。
物語の左右
英雄*戦姫(2012年)というSLGの戦闘ユニットは、必ず敵方のユニットが左向きで、味方のユニットが右向きに描かれます。しかしこのゲームの物語では倒した敵が味方になってゆきますので、左向きで登場したユニットはそのうち右向きへと変わることになります。左向きから右向きへの変更には単純な左右反転が使われており、鏡像となります。
さて、わたしは本作に登場するベディヴィエールさんという人のことが好きで、この人は左腕の巨大な義手がチャームポイントだと思います。これは人物のモデルがアーサー王伝説の隻腕の戦士として知られるベディヴィエール卿であるためです。すでにお分かりかと思いますが、戦闘ユニットの反転があるとこの義手が左右逆となります。
ベディさんが敵方として対峙するときは右側のエリアに立って、左を向いています。戦闘ユニットの義手は左手。
味方になったあとは左側のエリアに立って、右を向いています。戦闘ユニットの義手は右手に見えますが、立ち絵では左手のままです。
画面から戦闘ユニットだけ抜き出しますと、こういうことです。
ベディさんの義手はイベントスチルと立ち絵では左手ですので、まぁ本来的には左手と言ってよいと思います。ですので、戦闘ユニットグラフィックを制作する上では、敵方として登場するときを基準に置いたのかもしれませんね。それはそうと、このずれが問題だという話をしたいわけではないです。
非対称な腕のシルエットが特徴、というと先の脚注でも紹介したナインハルト・ズィーガーを思い出します。ただし、ズィーガーは格闘ゲームの登場人物であるため対戦中の左右がめまぐるしく変わります。ズィーガーが腕に着ける大きなガントレット(ズァリガーニ)は、対戦相手の左側に立つ時は右手に、右側に立つ時は左手に着けているように見えます*4 。
一方、ベディさんの義手の反転は大きな物語の進行上にあって、一度味方になったら、つまり一度右手になったらもう左手に戻ることはありません*5 。
他のゲームでも同様の例はいくつも見つけられるかと思います*6 。わたしがベディさんの反転についてあれこれ考えるようになったのは、彼女の腕があまりにチャームポイントであったことと、ユニットの反転に物語上の意味が託されていたこと、そしてやはり彼女のことが大好きだからでした。
ゲームの左右
ビデオゲームではユニットが左向きか右向きかということが、左右の向き以外の意味を持つこともあります。このような場合は判りやすいようにシルエットにも変更が加えられるようです。「シルエットミラージュ」では左右の向きが攻撃属性の変更を伴いました*7 。「ドルアーガの塔」のギルは剣を収めているか抜いているかで構える盾の向きが変わって、抜いている間は自分の「左」側面に構えます。このため、ドルアーガの見下ろし型マップにおいては、ギルが抜剣して左を向いている間、盾は下方向からの呪文を防ぎ、右を向いている間は上方向からの呪文を防ぎます*8
ピクセルアートのビデオゲームにおいて、ユニットのシルエットを左右で変更する積極的な理由は、こうしたゲーム攻略上の左右に見つけることができます。もちろん、攻略上の意味を伴わずに左向き右向きのアートを変更することも普通に見られます。
ですのでここからの話では、場合によってシルエットの変更をしても良いししなくても良いのだとすれば、ユニットが左を向いたり右を向いたりすることそのものに何か魅力があるのではないか、ということを考えてゆきたいと思います。
猫はなにを見ているのか
グラフィックを反転させながら右に左に動く絵について、個人的に印象深く思うのは oneko という小さなプログラムです。これは長いあいだ愛されてきた1990年生まれのデスクトップアクセサリで、デスクトップ上のマウスカーソルを猫が追いかけてくれるものです。
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oneko の愛らしい動きは、まずはオリジナルの絵を描かれた後藤さんによる躍動感あるグラフィックに寄るところが大きいと思います。*9
加えて言えば、わたしがマウスポインタで指した場所に猫が寄ってきてくれる、ただそれだけのやりとりが愛しいと思えるのです。これはどういうことなのでしょう。
人工物に生物のような習性を重ねてみるとき、なにかを追いかけるという姿が想像されがちだ、ということはあるかもしれません。1984年にブライテンベルクという科学者が走光性を持つ二輪ロボットについて思考実験したことが知られています。ブライテンベルクビークルと呼ばれるそのロボットは、光がある方向、左のほうか、右のほうか、へ向かって走る生物くさい動きを単純なセンサからのフィードバックだけでもたらすモデルでした*10 。このモデルは人工知能の研究のため実際にコンピュータでも実装されてきました。
あとは、他ならぬわたしのマウスポインタを追いかけてくれる、さらに言うと、まずわたしのマウスポインタを見てくれている、ということじゃないかなと思います。わたしが見ているマウスポインタを猫も見てくれている。ポインタが右にあったら右にあることに気づいてくれる。左なら左。猫がそちらへ走り寄ることはその結果としてあって。つまりは、いわゆる共同注意ということの、さしかかりだと思うのですけども。
わたしの見ているものを画面のなかの猫が見てくれている、と。では、その逆はどうでしょう。下の動画は御城プロジェクト:REというゲームで、ここでもまたわたしの好きな人の話をしたいと思います。画面右上で鐘を振っているのがその延岡城さんです。彼女の「鈴」と呼ばれる武器種による攻撃は自分を中心とする範囲内の敵に継続ダメージを与えるものですが、ヒット表示が出ないので他の武器種(例えば画面中央の鉄砲)よりもどこの敵を狙っているのかは見えづらくなっています。
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その代わりに、延岡城さんが左と右のどちらを見ているかに注目してください。このゲームではユニットは右向きと左向きの反転パターンしか持ちません。動画でははじめ延岡城さんは右を向いていますが、敵が真下を通り過ぎた時点で左を向くようになります。なるほど、延岡城さんは現在のターゲットの方を「見て」くれますので、彼女が右を見てるか左を見てるかでいま攻撃している相手がどちらの方にいるか見当をつけることができます(このターゲットを見る動作はどの武器種でも共通しています。)
とはいえ、わたしもいつも延岡城さんの向きに注意しているわけではありません。むしろ、だれを狙っているかあまり気にしなくても済むところが鈴の特徴なのです。
ただ、彼女の向きがふと目につくことがあるんですよね。画面内にあまり敵がいないときに、彼女が向きを変えたのでそちらを見てみると、あ、こっちから新しい敵が出てきているのか、と気づいたり。そういうことを重ねていると、盤面が楽なときは彼女がどちらを見ているのかただ観察している時間も出てきました。
わたしの見ているものを画面のなかの猫が見てくれているように思えること。あるいは、画面の中の彼女が見ているほうを、ふとわたしが見ることがあるという程度の気づき。そのための最小の構成は、画面の中の存在が左向きと右向きとを持っていることだと思えます。十字キーで四方向へ操作できることはつながりとして強力ではありますが、そうでなくとも、たとえ移動しなくても、左向きと右向きの絵を備えていて、たとえそれが単なる反転絵であったとしても、右を見るわたしとあなた、左をみるわたしとあなたの間に結ばれる関係があるように思えています。
ここで向き、というのは目線ですらなくって。冒頭の「おでかけ結月さん」には右向きと左向きがありますが、目線はこちら向きなのです。だけど、これでも結月さんが見ているものをわたしも見ることができる。右の欄干にあるたまねぎのような擬宝珠を、左にある京都駅のペンギンの像を、わたしたちはいっしょに見ている、そういう感覚が得られる。ことによっては視線が右や左であるよりも一層そう感じられるのではないでしょうか。これは紙人形を用いた共同注意の遊びでもありますが、わたしがこうしてやってみたかったことは、画面のなかで反転する彼女らの向きを感じ取ることの、実空間的な検討だったのでした。