ネコにいいように感情を振り回されました。ネコめ・・。
随意でないこと。ネコは思い通りになってくれないし、ネコとしてもネコの思うようにはならない。そういうままならさについての話をこの20年ばかりだらだらと愛してはきました。
目の前に現れたネコのことからより大きなスケールの事柄まで、不随意なうねりのなかでどうにかしてゆこうとする。不随意といえば椅子になったひとはあまつさえ足の数が不安定なのですが、どうにかする、という点では椅子で走って飛んでのアクションがいちばんどうにかしていました。しかし、体が椅子になじんできた、というそのどうにかした結果が、かえって体が椅子として凍り付いてゆく不随意へたどり着いてしまうのでした。
不随意のあらわれが幾つもあるなかで、おばさんが魔が差したように言っちゃうところ、その背後にいる大きいほうのネコがだいぶ気に入っています。不随意であることは受け入れがたくても頭ではそういうものとして理解できることでもあったりするのですが、あの大きいほうのネコはわたしとしては判じがたくて、ぽよんと浮かんでくれています。作中での様子として、歩く椅子⇒ときどきありそう、巨大なミミズ⇒いそう、でかすぎるネコ⇒その間でちょうどいなさそう、みたいな感じです。
個人的に不随意であることの目玉はひとめぼれというやつなので、そこは好きでした。あと大学生の男の子たちが可愛かったなぁと思います。