疏水分線

ソガ/疏水太郎のブログです。

ゲームブックの記法について(2)声明の記法

(前回の話はこちら。>ゲームブックの記法について

ゲームブックと楽譜の関係が気になり始めたきっかけはもう忘れてしまったのですが、人が紙を読み進めることで「プレイ」(演奏)される点、そこで記号を用いた分岐や繰り返しの行われるところにいつか共通点を感じたのだったと思います。

 

西洋音楽の楽譜についてはまた改めるとして、今日は先日奈良国立博物館の「お水取り」展を見に行ったときに気づいた声明の記法のことを話します。奈良の風物詩として知られるお水取りですが、県外の人にとってはそうでもないでしょうからまずは簡単に紹介しますね。

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「お水取り」は東大寺二月堂で行われる修二会(しゅにえ)と呼ばれる法会のことで、奈良時代から途切れなく続いています。11名の練行衆(僧侶)が、人々の幸福を祈るため3月1日から2週間に渡ってご本尊の十一面観世音菩薩の前で懺悔をし、連日早朝から深夜まで厳しい行がおこなわれることで知られています。

町の人にもっとも知られているのは「おたいまつ」と呼ばれる火の行で、二月堂の回廊を巡る松明を見るため多くの人が集まります。

 

さて、今日は修二会の懺悔の作法のうち、声明(しょうみょう)と呼ばれる要素を採り上げます。声明は、言葉に節を付けて朗唱することで仏に祈りを捧げる方法です。歌の一種、ということでよいかと思います。ここでは仏を讃えるためにどういった言葉をどういう手順で、どういう節で声にのせるかという作法が細かく定められているので、奈良時代から今に伝わる間に都度、文字として記録が残されてきました。

 

下の写真は、十一面観音のお名前を繰り返し唱えながら礼拝する「宝号」と呼ばれる声明の記録(声明譜)です。漢字のほかになにか階段のような記号の書かれていることが判りますでしょうか?

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二月堂時導師法則(1729年)
奈良国立博物館発行「特別陳列 お水取り」(2022年)より引用

上の紙面の右から4行目は「南無観自在菩薩」と読めます。南無は仏様に対して、心からの帰依致します、ということを示す言葉で、その後に観自在菩薩(≒観音様)という言葉が続いていますね。それぞれの漢字の右側に階段や坂道のような記号(節博士《ふしはかせ》)があって、その字を朗唱する際の音の高低の変化や長さを視覚的に示しています。

「宝号」の声明はお名前を繰り返すところが重要なようです。「南無観自在菩薩」の末尾にある「七反」(七返)とは何でしょう。これは同じ字句を同じ節で七回繰り返して朗唱するという意味です。さらに、朗唱は右から左へと進むのですが、同じ字句の場合は省略して節だけが書かれていることが判ります。

そうすると、ここでは「南無観自在菩薩」を7回、7回、1回、1回、7回、1回、1回、7回それぞれ節を変化させながら繰り返して、次に「南無観自在」を繰り返し、最後に下の紙面へ移動して、「南無観」を繰り返してゆく、という大まかなリズムの流れを読み取ることができます。1回の字句が「南無観自在菩薩」から「南無観」へ向かって短くなるわけですから、どんどん繰り返しのスピードが上がって気持ちが盛り上がってゆくであろう感じも伝わってきませんか。これらを呪文と取れば古密教の影響に触れる必要がありますが、ここでは素朴に当時の音楽的な感性としての躍動感を読み取ることにします。

あと、こうした繰り返しって心に響きますよね、なんでだか。修二会では声明のほかに観音菩薩の周りをぐるぐる駆け回る行もあります。NHKの取材によると50周くらいのようです*1。由来のあることで、またいろいろ解釈を広げることもできそうですが、ここではただ周回することの愉悦として受け止めておきたいと思います。

 

この二月堂時導師法則の宝号には好きなところが2箇所あります。一つ目は同じ字句と節の繰り返しを末尾の「反」で表現するところです。当たり前のように思えますが、声明においてこの「反」の字を読み上げることはありません。これはただ繰り返してくださいという意味で、現代の楽譜における反復記号に近い扱いですね。

書式において、「七反」「一反」という字句は朗唱すべき字句からは少し離れた末尾に置かれ、字も少し小さくすることで、上側の字句とは性質が違うことを示しているようです。ここで一つの紙面に書かれた字句が、ゆるやかな空間的な区切りを伴いながら、別の性質を持っていることが面白いと感じます。一方は実際に声で読み上げる字句、もう一方は読み上げなくて繰り返しの回数を示す制御記号。内容を示す字句と制御のための字句が同じ紙面に混在していることは、前回に挙げたゲームブックの魅力と繋がっていると思えるのです。

なぜこの混在が私にとって魅力的に映るのかはあまりはっきりしないのですが、混在することによって制御記号までもが紙面における「表現」(たとえばレイアウト、筆跡)に参加している点が、一般に制御方法が利用者の目から隠れているコンピュータソフトウェアにおける表現との対照で、面白く感じられている気配があります。

 

2つ目の好きなところは、字句と節を示す記号(節博士)との分離が鮮やかなところです。上では同じ字句が二行以上続くところは省略されて節を示す記号のみが書かれていますよね。つまり、字句と節は完全に分離可能で、同じ字句を使いまわしながら節だけを変更することが出来るということです。

ここでは一般に言語には含まれないパラ言語と呼ばれるところ、例えば声のイントネーションやリズムの情報が言語と分けて表記されている様子がよく判ります。修二会の声明を記した式次第本のうち年紀の明らかなもので最も古いのが1454年の二月堂作法(秀範本)となります。同種の声明譜にもっと古いものは存在しそうですが、私が「お水取り」展で秀範本を見たときに驚いたのは、こんな昔から言語とパラ言語とをはっきり分けることで便利に繰り返しを記述することが行われていたという点でした。

文字コミュニケーションにおけるパラ言語、というのはあまり言われないことではありますが、文字の大きさ、色やレイアウトといったものが、見る人に言語を補うような、ときに言語よりも強い情報を伝えることがあるように思います。コンピュータの世界ではWebにおけるHTML(言語)とCSS(見た目)の分離というような形で馴染みのある考え方で、そうした興味とも通じるところです*2

これはゲームブック的にはどうでしょう。以降は飛躍が大きいかもしれませんが、ちょっと考えてみましょう。ゲームブックでは同じパラグラフを二度以上訪れたときに、プレイの状態によって同じパラグラフが別の意味を持つことがあります。前回話したコンピュータの基本的な仕組みでなぞらえると単に同じアドレスでもレジスタの値によって処理が変わるということなのですが、表現のレベルではもっと別のことが起こっているように思えています。

 

ゲームブックにおいて、同じパラグラフなのに、違って見えるということ。それは「〇〇を持っているなら××」と明示的に描かれることもあれば、過去に訪れたパラグラフにおいて「今後〇〇のあるパラグラフでは、行き先のパラグラフの数字を10増やすこと」というような指示があったことによって、暗黙的に立ち現れることもあります。どういった条件の下で訪れても紙面の上では変化がないのに、訪れるごとに異なる情景が立ち上がりはじめること。わたしはゲームブックにおけるこうした特別な景色の広がり方がとても気に入っています。

 

このことはコンピュータRPGと比べながらもっと具体的に書き留めておきましょう。コンピュータRPGでは、町にいる同じ人の話す言葉がしばらく経つと変わるのをよく見かけます。ここで言葉が変わる理由は主人公たちの持ち物が変わったからかも知れませんし、物語の進行度が変わったからかもしれません。事情はなんとなく予想がつくこともあれば、気まぐれに変わったように思えることもあります。

ゲームブックでは制御の方法が見えているため、町の様子が変わった契機をより明確に示すことができます。仕掛けを頑張って判りにくくすることもできるのですが、判ってしまうほうがむしろ良いこともあるように思えています。そのことを仮に7という数字で示してみましょう。あなたはある素敵な人と一緒にいることになった結果、7という数字を与えられて、以降は町に戻ったときの行先番号に7を足せと指示されました。さて、この人とふたりで見る景色はどのようになっているのでしょうか?

 

町での移動先を示すマップがあったとしましょう。それぞれの建物には番号が振られていますが、あなたがその人と一緒に町を巡るとき、町の景色は一変して7つだけ向こう側の世界を示すようになるのです。その人がくれた7という不思議な数字と、そのひとと一緒だから、そのひとの隣にいるときだけ見えている町の輝きを、わたしは忘れることができません。*3

 

今回はこのへんで。たぶんそろそろ楽譜の話ができると思います。

*1:

https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM3/blog/bl/pneAjJR3gn/bp/pG8yMNylmX/

*2:コンピュータの世界では、言語に伴う声やジェスチャを言語に対してマークアップする試みもありますが、成功をおさめてこなかったように思われます。声の世界については下記のコメント欄の議論を参照してください。ジェスチャのマークアップは主に擬人化エージェントの研究で行われましたが、実用化には至ってないと思います(2022/3/6修正)。

ゲームの動作を記述するスクリプトでは、台詞と音声、しぐさなどを同期させるコマンドが並べられていると思うのですが、これはおそらくですが、マークアップのような宣言的なやり方ではなく、融通の利く手続き的なやりかたが中心ではないかと想像します。ただ、いまのオープンワールドにおける高度な登場人物の動作をどのように記述できるかは全く理解していません。まぁ、なんか判らないことが多いですね。

コンピュータ環境における節博士との類似でのみ言うと、これもあまり詳しくはないのですが、ボーカロイド用のエディタ画面が現代では最も普及した形であるように見えます。

*3:これは、藤浪智之さんの「バニラのお菓子配達便!~スイーツデリバリー~」(角川つばさ文庫、2010年)というゲームブックでの体験を、なるべく謎を明かさないように書いてみました。