疏水分線

ソガ/疏水太郎のブログです。

ヴィネットの子たち

リヴリーのこちらの絵(スクリーンショット)がたいへんお気に入りです。下に降りてるのですよー!・・と言って伝わるでしょうか?

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リヴリーはヴィネットの世界をつくるアプリで、台は立体を斜め上から見た角度になっています。ヴィネット風のイラストというのはおよそこういう角度でいろんなアイテムを生け花のように寄せた絵のことで、生き物が主役の場合は台の上に乗せるとおさまりが良くなると思います。

 

それで、動かせないアイテム(お花とか壷とか)たちは立体を表現するよう自動的に配置されるのですが、生き物のひとたちは画面のどこにでもおけるので、たとえばこういう一見はんぱなところにも置けちゃいます。

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お行儀よく置くとこんな感じで、わたしが手で動かさない限りはだいたいこのへんに居るようになっています。

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この子たちを台から降ろすことができると判ったとき、ヴィネットの立体的な構成を超えてどこでも行けるんだということにはっとさせられたのでした。

 

ちょうどこの10日ほど前に自分でもヴィネット風のイラストを描いたばかりだったので、なおさらどきっとしたという面もあります。それは宇宙よりも遠い場所の日向さんのお誕生日イラストでした。ヴィネットのごしゃっと寄せられた印象が好きだったから自分でも初めて描いてみたもので、改めて他の人が描いたヴィネット風イラストをいろいろ眺めるところから始めました。

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ヴィネットについてもう少しくわしく言うと、模型におけるヴィネット(小型のジオラマ)風に描いたイラストをそのままヴィネットと呼ぶ場合があるという説明になります。従来、図画におけるヴィネットとはブックデザインにおける小さな飾り模様であったり、絵や写真の周囲をぼかした表現を指しましたが、これが転じて模型では小型のジオラマを指すようになり、ついには再び図画のジオラマ風のものを指すようにもなってきています。これは一般の辞書にありませんが、例えば pixiv でその用例を見ることができます。 

dic.pixiv.net

www.pixivision.net

ヴィネットではジオラマの要素を小さく寄せてまとめるので、実際的な空間の繋がりを超えてたくさん要素を盛り込む傾向があるとは思います。一方それと同時に図法上の共通点としては何らかの方法でもって立体的であろうとしているように見えます。透視投影を用いないほうが小さくちょこんとした感じがでるので軸測投影と呼ばれる方法に近い描き方が多いでしょうか。いずれにせよ寄せ絵のために図学的な規則には縛られない立体表現である感じがします。

なお、リヴリーもわたしの絵もヴィネットのなかでは規則寄りなほうだと思います。リヴリーの台上はバランスよく描かれた二等角投影図(軸測投影図の一種)に沿っていて、アイテムを置き換えてもレイアウトが崩れにくい工夫を感じます。わたしの日向さんは初めてなので描きやすいかなという理由で等角投影図(アイソメ。こちらも軸測投影図の一種)という建築イラストや8bit風ゲームでよく使われる方法を採りました。

 

ここで思うのは、図学に縛られない自由な絵でありながらも共通して立体的であろうとしているヴィネットにおいて、リヴリーの子たちが台を降りてきてくれたのは、やはりわたしがこうして考えていた枠を超えていて、そこに愛おしさを感じるということでした。

 

念のため確認しておきたいこととして、ひとつの絵のなかに立体的な、たとえば下の絵ではアイソメで描かれた東屋、とあまり立体的とは言えない感じの人物の顔と、さらにいえば書き文字なんかもごちゃっと混在した構成を取れる、そういうことは普通で、先のリヴリーの画面もパラメータやボタンも併せてひとつの絵を構成しているとは言えるのですけれども。

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しかし、リヴリーのヴィネット風イラストという感じに注目したとき、 その立体とそこから立体的でない方法でちょこっと降りてきた子たちの様子がすごくよかった。

 

個人的には20年ほど前に話題となったフィギュアのリカヴィネで模型のヴィネットという言葉を知りました。リカヴィネはイラスト少女のかわいらしさをフィギュアのヴィネットへ写し取っていたものと記憶しています。もしかするとヴィネット風イラストというのは、イラストのかわいさを写し取った模型のヴィネットのかわいさを再びイラストへ写し取るような往復がおこなわれているのかもしれません。

 

インベントリと彼方の箱

わたしのインベントリ画面を更新しました。箱16から箱18までとそのほか下に載せたあたりです。

図書館から(9/1まで)
箱16
箱17
箱18
自室三段BOX中段
自室机上
自室黒猫紙袋

 

 

作業を終えるたびに未整理の荷物はあと5箱くらいかなという感覚でいますが、今回数えたらあと10箱ありました。自分の荷物の量を数えるのは苦手で引っ越しのときいつも困ります。

sosuisen-mybox.netlify.app

 

アイテムの種類と数が多い割にはインベントリを開く機会がないし、そもそも開くボタンが奥のほうにある、というゲームに幾度となく出会っています。育成対象の種類とその属性が増えるにつれ対応するアイテムも増えてゆくのですが、ゲームのほうで文脈に応じていま必要とされるアイテムの数と現在の在庫だけを提示してくれるので、わたしのほうでごそごそと倉庫ぜんたいを漁る必要はなくなっている、ということのようです。

 

ここで倉庫と言い換えましたが、インベントリという言葉は物品その他資産の目録を指すのであって、物品そのものや保管庫のことをいうのではありません。もともとは海外のゲームで聞いたのが初めてだったと思いますが、歴史的なものなのでしょうか。目録とは大量の物品の整理や実物を持ち歩くと不便な場合に作るもので、リュック一つで旅してるときにはいちいち目録は作らずにごろっと「やくそう」を入れておく感じがします。

 

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IDOLY PRIDE の所持品リストを開いてみると、別ページにリストアップされているアクセサリが所持品には含まれてないことに気がつきました。合成などで変化するアイテムは効率的に操作できる専用ページを持っていて、所持品としては特に変化しない消費財のみが配置されているのですね。ここでもう所持品から飛び出したアクセサリとは、目録上の操作だけで完結する手形のような側面が強くなっています。こういうことは特にインベントリ的な振る舞いであるように思えます。

 

もうひとつ、試みにインベントリ的・・と呼んでみた目録上の操作を挙げたいと思います。ブルーアーカイブでは生徒さんがそれぞれ装備品を持っており、これも上のアクセサリ同様、全体のアイテム欄には記載されない品となっています。装備品には素材を消費して Tierアップ(レベルアップ)する仕組みがあって、例えばマシロさんがかぶった「無地のキャップ」は「ニット帽の設計図」という素材15枚と合わせることによって「ニット帽」になるといった変化が起こります。

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一般に素材アイテムの合成を経て別のアイテムが生成されるとき、素材となったアイテムのほうがなくなることに不自然はないのですが、ここでは画面下のTIPSにある「装備していたアイテムはTierアップ時に、自動的に次のTierのアイテムへと置き換わります。」という感覚に注目したいと思いました。これはシステムとしてそのように動作することがそのまま書いてある(あるいはそう翻訳されている)のだとは思うものの、アイテムが物品として消費されるというよりは、置き換わってしまうニュアンスが前にでているようで、それは物品はそのままに目録だけを書き換える操作であるようにも思えるのです。装備品は全体のアイテム欄に含まれないため置き換えられた Tierアップ前の装備は二度と取り出してみることはできないのですが、マシロさんはもうかぶらなくなった無地のキャップをどこかへ大事にしまっているのかもしれません。

 

ここまでインベントリ的という言葉はじっさいの物品とその目録とをいったん分ける意図で用いてきました。ゲームにおけるアイテムの提示は、いくらかの度合いで目録のようであったり、そうでなかったりするようです。目録は効率的な処理に適しているのでプレイヤーのクイックな操作感にも響いてそうだな、というのが今回おもったことではあるのですが、目録というのはずっと慣れ親しんできた別の側面を伴っていることも思い出しておきたいと思います。

 

まずは同じくブルーアーカイブからアリスさんの装備品を見てみましょう。ここにはアイテムの箱書き、あるいは書付ともいうべき解説文があります。(個人的にはアイテム文として飯塚さんが日頃言及しておられる話題が想起されることです。)

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誰が書き残したかは判らない書付です。アリスさんではないし、先生さんかどうかも判らない、またそういう風に具体的に求めることはできないのかもしれないです。ともあれ、こうした文も物品を言語的に表現する目録としての度合いから生まれているように思われます。目録の機能を保ったまま肉付けを試みるならば、それは物語と呼ぶにははるかに短い書付となるのではないでしょうか。交通安全のお守りを「振ってみると、中からジャラジャラという金属っぽい音がする。」という短文に触れるとき、その行為主の姿が一瞬見えたようで、やはり手が届かないという驚きがあります。お守りの中から音が聞こえてくるという素朴な可笑しさもあります。ただ、この書付がわたしの中に深くしみわたったあとで、じっさいのお守りが物品として遠く思いを馳せるものとなったのも確かでした。それはたぶん、どこかの箱のなかで大事にしまわれているのです。

 

ファンアートのなかで

創作のフルカラーイラストを描きました。たぶん、ひさしぶりに。おそらくは5年ぶりに。

なんとなく久しぶりという感覚を確認したいだけだったのですが、何年ぶりということを正確に数えるのは難しくて、モノクロや3色くらいでならときどき描いてるよなとか数えるうちに基準が生まれてきて、フルカラーだと5年ぶりというくらいがこの久しさを表現するのに合うかな、といったところです。

自分のなかでファンアートと創作が異なる点として、ファンアートのほうでは他の作品の登場人物にわたしの絵のなかへお越しいただくような形がいちばんピンと来るように思えます。典型的には原作とはだいぶ離れた物語のなかへ入っていただくことで、同人誌でもよく見かけるものです。


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四葉(シスタープリンセス)のために描いたファンアート「クローバーランドのお姫様」より

それは転生をするとか、次元の壁を越えるとか理屈があるのかもしれません。わたしも一度は手続き的なお話を作ってみましたが、基本的に作品のなかの登場人物はそういうことを抜きにしてわたしのなかにぽっとたどり着くもので、それが絵になるのだと思います。だって、作品のなかの人物がわたしの絵のほうへやってくるのに、どういう旅をしてきたのかって、たぶんテレポートみたいだ。ぽっとくるよ、ぽっと。

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はなさかじいさんの木の下にどうして彼女は立っているのでしょうか。彼女はアイシアさんというダ・カーポという作品の登場人物です。だけどここにやってきた。気づいたらそこにいたんだ、というくらいの感覚で。

だからこうした絵は理屈ではなく彼女の存在が先に立った絵であって、彼女がそこにいることのひとつの証拠なのだと思います。

 

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白石結月さんとは一緒にたのしい画面を作ってきました。彼女がわたしのところへやってくるというよりは、プロのタレントさんであるためか、紙上でいろいろ演技をしてくださったようです。漫画を描いたり、立体物をつくるのも手伝ってくれました。パートナーとして一緒にいてくれているというのがまずあるのですが、ときどきはわたしの絵の世界へやってきてもくれました。ここで彼女の見た目はだいぶ変わってますが、それでも変わってないと感じられることは、これもまた彼女の存在をしめしているようです。

 

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ある存在があって、絵のなかに飛び込んでくること、いつのまにかいること、どんな場所でも違うようで変わらないこと。これらはすべてひとつのことを示しているようです。なにかとても大切な気持ちがあるという、その存在のことをです。

 

さて、そうしたなかでこれまでの大切な存在から離れて創作の絵を描くということがあまりなかったのですが、今回はふわふわの髪を描きたいと思ってふわふわの髪のひとたちを描きました。

ふわふわの髪については、もともとはユーフォの黄前さんを好きになったときに魅了されていたものではあります。

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あとアズレンのサフォークさんとサフォーク種の羊も好きになって、いっぱい描いた。

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このところは絶対可憐チルドレンという漫画を何度も読み返しています。何かにつけ誰かにしがみついてる登場人物たちのボディタッチの多い距離感が魅力の本作でしたが、今年になってどういうわけか三宮紫穂さんというひとのふわふわ髪から目が離せなくなってしまいました。ページをめくったらまずはそのふわふわを目で追いかけてしまいます。おそらく、これまで降り積もっていたふわふわ成分がふえるわかめのようにふくれあがるための一滴が、この作品にあったのだと思います。

 

あたまのなかがふわふわでいっぱいになったとき、とても大切な気持ちというのにはこういうこともあったのだな、と前世紀のころにはまだ持っていたものを思い出しました。

 

自分のなかにふわふわがやってくる。わたしの絵のなかにいつのまにかふわふわがいるという、その存在を知ること。それはファンアートでも創作でも同じようにあることなのでした。

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2021年6月16日 ソガ

 

 

夏の巨人

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土煙があがるべきではないか?とおそれたのですが、わたしの思うなかにそれはなかったのでやはりないままに描きました。

 

このとき足元をどうするかに意識が向いた影響で、そのまま透明になりました。こちらはまったく思いもよらなかったことですが、描いてみるとこれしかないという具合でした。

 

2021年6月15日 ソガ

こころあまりてことばたらず

無声でゲームが続くなかイベントシーンになると喋ってくれる、かつてはそういうパートボイスだったように思います。いまときどき見かけるぼそっとしたパートボイス、つまり、長い字幕の台詞とは異なる声のつぶやき、あるいは驚きの声、かけ声を重ねてくるのは、字幕をおぼつかなくなぞっているのでしょうか。

 

そう思うのは、わたしが初めてそれを意識したのが Project Diva のミクさんたちだったからでした。

 

彼女ら、彼らがどういう人物なのかはあまり良く理解していないのですが、マシン味を含んだ印象がそのままたどたどしいパートボイスと合って、そういうものと思わせたのでした。

 

疏水箱

インベントリボタンを自分につけたい。

押すとわたくしの持ち物リストが開きます。

 

というわけで、うちにある箱とアイテムを管理する「疏水箱」を更新しました。

(URLが変わりました)

今回は箱14、箱15、別室を更新です。

sosuisen-mybox.netlify.app

ページはGitで管理する元データから生成されています。

複数の部屋に原本データを置いて自動同期させるのに2か月かかって、久々の更新となります。

 

いつかゲームのインベントリみたいな見た目にもしたい。