疏水分線

ソガ/疏水太郎のブログです。

対話についてのアンカー (1)

会話型インタフェースに関する通史をひとつ整理してみたら3時間ほどの話になったのですが、それでもそれぞれの項目が薄くはなってしまったので今後の取っ掛かりとなるアンカーを残しておきたいと思います。

 

そもそも人工物と会話するという観点の発生について。例えば太古から鍛冶師は鉄を叩くことで鉄器と会話するという気持ちがあったかもしれません。そういう比喩が文献として出てくるのか、少し気にはなっています。ただ、話題としてはコンピュータの時代を扱いたいので、遡るとしてもまずはデジタルコンピュータの誕生に繋がる話までで良いかなとも思っています。

 

それでは、1949年のEDSAC誕生の時点ではどうだったでしょう。ハードウェア面では入出力にテレタイプ端末が使われています。それまでのテレタイプの機能は、キーボードや紙テープで入力した電信が遠隔地で印字されるものでしたが、それは当時どのような気持ちで使われていたのか。ペンのように体に馴染んで透明化する道具であって、テレタイプ端末「と」対話するという感じはなかったかしら?

 

デジタルコンピュータは、機能面では従来の機械式計算機の延長上にもあります。つまり、入力すると計算結果を返してくれるという風に。これは当時、どの程度対話的な出来事だったでしょうか。プログラム内蔵型になったので、以前よりも幅のあるやりとりができるようになった、という印象はあったかもしれません。

 

後の60年代にタイムシェアリングシステム(TSS)が登場するに際し、少なくとも遡及的には、まだ生まれたばかりのデジタルコンピュータは対話的ではなかった、と考えられていたようです。TSSの文献は直接当たっていないのですが、たまたまさっき読んだAutodeskの創始者John Walkerの整理によると、タイムシェアリング以前のバッチ処理の世代に対し、TSS世代は対話的(conversational)であるとして、かつてチューリングの仮定した思考実験(チューリングテスト)がようやく実際に出来るようになったことを指摘しています。

Third generation: Timesharing

ちょうど1960年には、リックライダーが「ヒトとコンピュータの共生」のなかで、人とコンピュータがまだ対話的なやりとりの出来ていないことを指摘していた、ということもあります。

 

しかし、人とコンピュータのやりとりが対話的と思えるかどうかはいつも現在の技術水準における物足りなさがもたらす属性であって、それはその後もコンピュータの世界で言われ続けることになる「速度」の属性と似ているのかもしれません。