疏水分線

ソガ/疏水太郎のブログです。

対話についてのアンカー (2)

Time Sharing System(TSS)についてアンカーした点を埋めてゆきたいと思います。

 

TSS前夜としては、そのアイデアを記したジョン・マッカーシーのメモ(1959年)が広く知られています。当時のデジタルコンピュータが実際どう使われていて、今後どう使えたらもっと嬉しいのかということが背景として綴られています。

Memorandum to P. M. Morse Proposing Time-Sharing (stanford.edu)

*1

こちらのメモから注目したいことを数点挙げておきます。

Computers were originally developed with the idea that programs would be written to solve general classes of problems and that after an initial period most of the computer time would be spent in running these standard programs with new sets of data.

デジタルコンピュータが生まれた当初の想定として、まずは汎用的な問題を解決できるプログラムが開発されて、完成後はそのプログラムを用いて新しいデータセットを解くことにコンピュータの時間は費やされると考えられていた、ということでしょうか。

1950年前後の初期のデジタルコンピュータがこの想定だったとすると、それは現代の私にとってピンとはこないのですが、どうだったのでしょうか。しかし、その後間もない1956年にマッカーシーが人工知能という名前を示したこと、1957年にはサイモンとニューウェルが汎用の問題解決プログラムの一種(GPS)を開発したこともあって、デジタルコンピュータの最初の10年は汎用的な問題解決能力を持つ人工知能の検討とも切り離せない揺籃期だったようには思えます。

This view completely underestimated the variety of uses to which computers would be put. The actual situation is much closer to the opposite extreme, wherein each user of the machine has to write his own program and that once this program is debugged, one run solves the problem. This means that the time required to solve the problem consists mainly of time required to debug the program. 

しかし、現実はそうでなかった、というのが論旨となっています。実際には、ユーザごとに自分が解きたい問題のためのプログラムを書く必要がありました。完成したプログラムが存在しない場合、ユーザは自分のプログラムをデバッグしながら完成させる必要があります。つまり、ここで問題解決にかかる時間とは主に、このデバッグのための試行錯誤に掛かる時間になっているということです。

ここでは、当時のユーザとコンピュータの間で発生しているやりとりが、ほとんどデバッグであったという様子を窺えます。マッカーシーのTime Sharingはこのデバッグのために必要なやりとりの速度を改善するアイデアで、従来は入力から応答まで3時間から36時間までかかっていた人的・機械的手続きを数秒程度に短縮することを目指しています。

 

この Time Sharing の実現のために必要な装置は次のものです。

a. Interrogation and display devices (flexowriters are possible but there may be better and cheaper).

デバッグのためにコンピュータを操作し、素早い応答を得て、試行錯誤できること。この操作をマッカーシーは「Interrogation」と呼んでいることに注目したいと思います。Interrogationとは、質問をする、特に系統だった質問をすることを言います。マッカーシーの感覚では、コンピュータに対して人間に行うよう「Interrogation」の語をあてるのは、自然なことだったわけです。

マッカーシーとしては、コンピュータがいずれ知的な相手になるものと考えていたから出てきた言葉だったのかもしれません。

*1:宛先のP.M.Morseは当時のMIT計算センターの所長であり、このメモはセンターに次年度導入予定のIBM 709の用途に関する提言となっています。 Project MAC (archive.org)