疏水分線

ソガ/疏水太郎のブログです。

宇宙よりも遠い水辺

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宇宙よりも遠い場所」(よりもい)第1話の水の風景が好きです。私はいつも水や星や夢のことばかりですが、よりもいの星と夢の話はこれまでに書いたので、今回は水の話をしたいと思います。

※最終話までの内容を前提としていますので、最後まで見ていない方はご注意ください。

 

1.水辺のこと

まずは、耳を澄ませましょう。「宇宙よりも遠い場所」の第1話が始まると、ほら、すぐに汽笛が聞こえてきますよ。ボーッと港じゅうに響くのはきっと船が出る合図でしょう。

出港の汽笛はまだ控えめに聞こえてくるだけですが、これから船の物語が始まるような感じを受けます。南極観測船のしらせ5003、のちのペンギン饅頭号が物語の舞台となるのは第7話と8話、9話、あとわずかに13話といったところですが、それでも船にはシリーズを通した存在感があったと思います。第1話の冒頭で汽笛は船の気配を伝え、呉港に停泊するしらせの舵のカットを経て砂場の笹舟へと繋がってゆきました。キマリさんのモノローグのなかで笹舟は「走り出す」そして「動き出す」力を伴っていて、とりわけしらせのような砕氷艦は「赤道を抜け、嵐を抜け、氷を割」ってまでして南極を目指すことが、報瀬さんの語りとして最後に示されました。

よりもいでは船の泊まる港も続々登場します。第1話では呉港が目的地でした。第5話では出港地となる東京港晴海ふ頭で4人が収録を始めました。第6話ではシンガポール港の夜をみんなで眺めて、第7話では乗船地フリーマントル港が舞台でした。なかでもシンガポール港の夜景に思いを馳せる4人の様子は神妙で、本作品の港は外へと広がってゆく世界を想像できる特別な場所として描かれています。

船と港のことを考えながらまた第1話のはじめに戻りましょう。呉港の風景と出港を告げる汽笛、いつか飛び立つ鳥たちの姿、停泊するしらせの喫水線、砂場の水に浮かぶ笹舟、そこに重なるキマリさんの声は、幼い頃の砂場の思い出を語っているように聞こえます。強い日射しに半袖、帽子の装いは真夏でしょうか。「よどんだ水が溜まっている。それが一気に流れていくのが好きだった」というモノローグ、そしてこの過去形の思い出を優しく撫でるようにストリングスが演奏されます。絵や音、言葉や声が巧みに組まれた導入は叙情的で、よりもいのシリーズ演出における感傷の度合いをあらかじめ示しているようです。

ここで私が惹かれたのは、船を取り巻く水面のきらきらした様子です。よりもいは群馬の街から始まるため海は遠いのですが、それでも第1話には水の風景がたくさん盛り込まれていました。始まりのカットは春の淡い光に満たされた呉港で、海面は日光をしらせの船体へゆらゆら描いて、幼かったあの夏の日の水溜まりに太陽はまぶしく反射して、光が笹舟とともに流れ出します。船は水とともにあって、季節も時間も超えて、かつて遊んだ砂場の水もいま目の前に広がっている海も、その反射光で船体を照らしています。「宇宙よりも遠い場所」は出港の汽笛から始まる物語で、それはキマリさんと報瀬さんの旅立ちの予報であって、ふたりの門出は光で祝福されているというその構想が、第1話の冒頭に美しく描かれているのだと思います。


2.雨の日のこと

祝福のある描写から一転、プロローグのキマリさんは手帳を読んだら大泣きで、第1話において彼女が埋めるべき落差が示されました。キマリさんはこの落差を見つめて、幼い日に好きだった水の「走り出す」ような力をたぐり寄せてゆきます。ここではキマリさんの体験した雨の日の美しい情景を追いながら、報瀬さんと出会った巡り合わせについて話をしたいと思います。

キマリさんが学校をサボって出発しようとした朝は雨でした。なにも出発は晴れの日でなくとも良くて、雨の日というのは雨の日なりに旅立ちの雰囲気をまとっているものです。彼女も雨だからという理由で玄関から出ることをためらいはしませんでした。

この雨の朝は、水琴の音から始まります。遠く茂林寺に降る雨は信楽の狸を叩いて琴のような音を奏でています。この分だと参道に並ぶ狸たちは分福茶釜の大合奏かもしれません。雨の日には弱い光と水靄で視界はぼんやりして、その代わりにいつもと違う音が聞こえてきます。家を出て水たまりで跳ねる音、雨合羽で走り抜ける自転車の音。いつもの風景は薄れて、音の中へと駆け出してゆく、それは幻想的な旅立ちに思えました。

だけど、キマリさんは東京ゆきの電車に乗ることができませんでした。美しい雨の情景も、音楽の盛り上がりも、いかにも旅に出そうだという流れがあったと思いますが、彼女はこの先へ進むことができませんでした。のちにキマリさんが呉港へ旅立つ日には天気が晴れとなりますので、よりもいという作品は晴れの日の精神を旨とするのだなぁ、と思われるところではあります。晴れの日の精神というのは、例えば、はっきりと開放された言葉や行動で前へ踏み出してゆく精神をここではそう呼んでみました。一方、彼女たちには話すつもりのない思いや言葉にならない思いを抱えている姿もありますので、後に見せるそうした姿のことを思えば視界のはっきりしない雨の日も彼女たちに親しいものと映ります。

この日の雨は、優しいと思うなぁ。

さて、電車に乗れなかったキマリさんは「よどんだ水が溜まっている。それが一気に流れていくのが好きだった」という過去形の思い出とは異なっています。砂場の水を決壊させて上手に遊べていたあの頃と今の彼女では何が変わってしまったのか、いや、むしろ変わっていないことが彼女を踏みとどまらせているのだと、ここでは明らかになってゆきます。

キマリさんが報瀬さんと出会って受けた衝撃のひとつは、中学から高校に上がったら自分をどんな風に変えるかを決めて、実際そのようにしたということだったでしょう。キマリさんは高校へ上がる前に何かよくは判らないけど変わる必要があると思えていたようで、その決意を振り返ってみると、
「高校に入ったらしたいこと
・日記をつける。
・一度だけ学校をサボる。
・あてのない旅に出る。」
そして「青春、する。」と手帳にありました。また、めぐっちゃんに相談したのは「高校時代はなにかしなきゃって思ってたの。なんとなくは良くないって。時間は限られているのに、あの時の決心どこいったって話だよ」ということ、報瀬さんに伝えたのは「私ね、高校に入ったらなにかしようって思ってた。今までしたことないこととか、なにか凄いこととか」つまり、まだ言葉にできない「なにか」は日記やサボりやあてのない旅といった言葉でしかまだ予想できないのだけど、なにかこう、未知の切実なる思いであって。だけど、このなにかを求める決心は手帳に長らく放置され、気持ちを新たにしたところでやはり電車には乗れず、挫かれてしまうのでした。

一方の報瀬さんは、「私は行く。絶対に行って、無理だって言った全員にざまあみろって言ってやる。受験終わって高校入ったときに、そう決めたの」そう決めたことを周りからなんと言われようと実行した。高校に入ったらしたいと決めたことがあって、それを実行していることがキマリさんには眩しかったと思われます。

帰宅部のキマリさんとバイト生活を送る報瀬さん、まるで別の放課後を過ごすふたりが雨上がりの夕べに出会ったのは偶然だったでしょうか。キマリさんは茂林寺で雨宿りしながら暗くなるまでめぐっちゃんに相談していましたが、報瀬さんは放課後この時間まで何をしていたのでしょう。具体的な理由を推測することもできますが、ここでは雨上がりの街の様子を想像するところからふたりの出会いを導きたい思います。というのは、雨宿りの雰囲気がとても好ましいからでして、キマリさんとめぐっちゃんが仲良く傘を並べて掛けているのも、雨が四方に帳を下ろしてふたりだけの静かな場所を作っているのも、ふたりが幼なじみで親友な様子をしっとりと描きだしています。第1話ではこの雨の日の街の様子というのを大切に想像してゆきたいと思います。

雨の日には雨宿りをする人や外出を控えてる人がいます。そして、雨が止むと街の人は一斉に動き出します。いつもは異なるスケジュールで暮らす人たちを雨は同じ時間にせき止めて、雨上がりとともに解放します。だから雨の日というのはいつもと違う人たちを偶然に出会わせるような、そういう下地があるように思われます。加えて、雨の日には移動手段がいつもとは変わって、例えば自転車の人が徒歩になることがあって、報瀬さんはこの日そうでしたね。いつもは自転車で駆け抜ける街を徒歩でゆくとき、日常とは異なるその時刻、その場所へと導かれることがあるでしょう。

そういえばキマリさんはこの日の朝、いつもと違う時間を体験していたのでした。ずいぶん早くに玄関を出て、知らない自転車が家の前を通り過ぎるのを見送りました。これまでの毎日とは異なる時間にいることを、キマリさんは自転車を見て感じたのではないでしょうか。キマリさんは東京行きの電車にこそ乗れなかったものの、いつもとは違う時間に踏み出した彼女の決意は放課後雨宿りでの相談事に繋がって、そしていつも通りの時間だったら出会うはずのないふたりが雨上がりの駅で偶然に出会うことができた、そういうロマンチックを私は雨に寄せて思います。

雨がいつもと違う景色をふたりに見せて、新しい出会いへと導いています。


3.めぐっちゃんと歩むこと

第1話のキマリさんの気持ちの流れとしては、大好きだった砂場の思い出があって、めぐっちゃんと仲良く過ごしてきた日々があって、キマリさんにはこうしなきゃという思いがあるのに怖くなって東京行きの電車に乗れなかった、という様子を覗うことができます。キマリさんのこの思いと、ずっとキマリさんの傍にいためぐっちゃんの思いは、第5話で改めて語られることになります。

第1話は第1話だけに完結した良さがあるのですが、砂場で水遊びをした思い出について話すには砂場の再登場する第5話についても触れずにはいられないようです。砂場の水たまりを決壊させて上手に遊べていたあの頃、キマリさんの傍にはめぐっちゃんも居たことが第5話で明らかになります。独りではうまくできなかったキマリさんは、めぐっちゃんの手助けによって水を一気に流し、笹舟を出港させることができました。「よどんだ水が溜まっている。それが一気に流れていくのが好きだった」というキマリさんの幸せな思い出は、実はキマリさんとめぐっちゃんがふたりで遊んだ思い出であって、水の「走り出す」風景はふたりの力で成し遂げられたのでした。

そうやって夢中で出港遊びをしていたふたりは、中学、高校と上がるうちに同じようには出来なくなって、キマリさんは直前で怖くなって踏みとどまるようになり、めぐっちゃんはいまいち冷めた時間を過ごすようになっていました。もう砂場の頃とは居場所も体の大きさも違う、だからふたりで出港遊びする方法も幼い頃とは変わってしまってるのだけど、それを求めなかった、求めて手帳に書いても忘れてしまっていた。再びふたりで船の「走り出す」風景を見る道があることに気づくきっかけもないまま、高校二年生になったのだと思います。

かつてのキマリさんとめぐっちゃんは、いつも一緒に居たというだけでなく、ふたりで同じ物を見ていたのだと思います。第3話で「同じ所に向かおうとしているだけ」というキマリ・報瀬・日向の関係が示されますが、それに近い部分すらふたりの間にはあったと思います。それは、笹舟が流れ出すのを笑顔で見送るキマリさんの横で、やっぱり同じようにして笹舟を見送るめぐっちゃんのことを私が想像してしまうからなんですが、多分めぐっちゃん本人はそういう素朴だった頃のことを忘れてそうで。というのは、どれも私の勝手な思い入れではありますが。

キマリさんはめぐっちゃんと出港遊びをしていた頃の幸せを大事に抱えてるので、作中ではそうした気持ちが砂場の思い出を語るモノローグとしてあらわれているのだと思います。このことをはっきり思い出すきっかけとなるのが冒頭の手帳から始まる旅の失敗で、雨宿りでめぐっちゃんにこの話をするとき砂場のカットが入るのもそのためだったでしょう。あの頃、砂の堤防に手を掛けて決壊させることが出来ていたのに、いまは堤防を崩せなくて、それで東京へも行けなくって。隣には昔と同じようにめぐっちゃんがいて、だけど同じように決壊させることができないふたりになってしまっています。

かつて同じ物を見ていた関係を、幼い頃とはまた違う、今の自分たちにうまく合うような形で取り戻してゆく、その始まりが第5話の別れの朝だったのだと思います。

最初に第5話を見たときは、「ここじゃないところ」「おまえのいない世界」へ踏みだそうと一大決心してきためぐっちゃんを勝手に絶交無効して、自分だけは決壊して南極へ出港するキマリさんは酷いって、わたしは怒っていたのですが、第1話と第5話の砂場の思い出を何度も繰り返し見ているうちに、そうじゃないと思うようになりました。

第5話の最後には第1話の笹舟の映像とキマリさんのモノローグが再び置かれています。
「よどんだ水が溜まっている。それが一気に流れていくのが好きだった。
決壊し、解放され、走り出す。
よどみのなかで蓄えた力が爆発して、全てが、動き出す。
全てが、動き出す。」
キマリさんは自分だけが動き出したって思ってるわけじゃなくて、めぐっちゃんにも同じことが起きていると思ったから、あの砂場で笹舟を出港させた思い出こそがここで語られたんじゃないかな。あれはキマリさんとめぐっちゃんとふたりで作り上げた思い出だから。

めぐっちゃんは絶交しなきゃ自分は踏み出せないと思ったわけだけど、キマリさんは自分もめぐっちゃんもいま同じ場所に立って同じように行動しようとしてるのだからふたりが別れる必要はないと思ったので「絶交無効」って言葉が出てきた。絶交という言葉に賭けた思いはそれぞれに違っていて。

最終話の一番最後には、「だって、同じ思いの人は、すぐ気づいてくれるから」という言葉が置かれています。第3話の「同じ所に向かおうとしているだけ」に似ていますが、最終話ではもう南極という特定の同じ場所へ向かう必要すらなく、思いさえ同じであれば深く繋がることのできる関係が示されています。あの幼い夏の日、キマリさんの隣にいためぐっちゃんのことを思うとき、私はそこにキマリさんと同じように出港する笹舟を見送るめぐっちゃんの視線を想像します。あの日、きっと同じ物を見ていたふたりが、今は同じ思いを持つふたりになったのでした。

最終話から第1話を振り返るとき、その水辺の輝きのなかにめぐっちゃんの姿を認めることも出来るようになります。キマリさんが呉港へ出発する朝、駅まで駆けてゆく彼女を町の水路がキラキラと祝福して、新幹線から見える浜名湖にも光、辿り着いた呉港の眩しさに包まれたしらせの前で、あの日、砂場に作った小さな水辺を、いま、大きな水辺で取り戻す。宇宙よりも遠い場所まで広がる海の、その水辺のキラキラは笹舟を出港させた水の煌めきでもあって、めぐっちゃんの旅立つ予感も秘めているように思えるのでした。


(2018年8月1日 疏水太郎)