去年の冬コミ本のためにエリダヌス座アケルナルの歴史を調べたとき、現代の私たちにとって見慣れた星図のうち、星座の絵と星の位置とを重ねあわせたものは意外と新しいらしいことを知りました(スーフィー「星座の書」964年)。考えてみると、星座の絵を透視するように星の位置を重ねて描くことは高度な絵画技法であるように思われます。
星図の歴史についてはアン・ルーニー「天空の地図」(2018年)に詳しいのでそちらをご覧ください。
- 作者: アン・ルーニー,ナショナルジオグラフィック,鈴木和博
- 出版社/メーカー: 日経ナショナルジオグラフィック社
- 発売日: 2018/03/15
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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星座を構成する星の位置はどのように描かれてきたのか、ということに興味があるので調べることを続けています。以下は最近読んだ、近藤二郎「わかってきた星座神話の起源 古代メソポタミアの星座」(2010年)の個人的なメモです。
・古代メソポタミアで星座が考案されたのは、少なくともシュメールの都市国家時代(B.C. 2500~2113頃)に遡る。
・最も古い図像資料はクドゥル(境界石:王が王族や祭司、高官達に土地などを与えた際の証書の文章とシンボルが刻まれた石)に描かれているが、最古でもB.C.1400のもの。
・星と星座について記された粘土板ムル・アピンは最古のものでB.C.700の写本が残されており、原板はB.C.1000までは遡れると推定。
・つまり、星座に関する図像も粘土板の文献も、現在のところ都市国家時代のものがない。
・ムル・アピンには、天空をおよそ北極星の周囲、高緯度、中緯度、低緯度にわけて星座の名と説明が記載されている。星の位置は叙述による。例えば「その星は、荷車のシャフトに位置する」。赤緯・赤経に相当する記載はないが、星の入りや星の出に関する諸情報を含む。
・クドゥルの図像の一部は星座絵であると考えられているが、クドゥルの図像に星の位置を描いた星図はない(とは明記されてないが、なさそう)。
・古代メソポタミアの星座とその天空における位置を復元する方法として、上記資料と、後のプトレマイオス朝エジプトで描かれたデンデラの天体図(B.C.50ごろ)から遡る手法が提案されている。
現存する資料からは、1000年単位での推定に推定を重ねないとシュメール都市国家時代の星座を天空に描くことができない、のだけども。
いま残ってはないけど、当時のウルクの夜空を粘土板に刻んだり、なんなら地面に描いたって人もいたのではないか、などと想像するわけです。
【おまけ】
いまどきの天文シミュレータは無料のやつでも年周視差から惑星の固有運動まで計算してくれます(https://stellarium.org/)。ですので、B.C.2655 年のウルクの街の様子を再現するのは簡単ではありませんが、B.C.2655 年のウルクの空を再現することはそう難しくありません。
では。現代の暦ですが、B.C.2655 年11月24日21時のウルク市の夜空です。同じ空を見ていますよ、ほんと。
天の北極がいまのこぐま座から離れてるのですが、ぱっと見わかんないですよね。