疏水分線

ソガ/疏水太郎のブログです。

「恋愛の痛痒」

泉鏡花の恋愛至上主義は代表作の「婦系図」に見られて、反恋愛とされる権力の一族はピストル自殺、投身自殺へと追いやられる。これが当時一世を風靡した通俗小説である。

婦系図を上回る恋愛至上と反恋愛に対する苛烈な復讐といえば「夜叉ヶ池」であり、泉鏡花の作品としては現代ではこちらのほうが人気だろう。

鉱蔵「(略)女郎一人と、八千の民、誰か鼎の軽重を論ぜんやじゃ。雨乞を断行せい。」
(略)
百合「あれ、晃さん、お客様、私が行きます、私を遣って下さいまし。」
晃「ならん、生命に掛けても女房は売らん、竜神が何だ、八千人がどうしたと! 神にも仏にも恋は売らん。お前が得心で、納得して、好んですると云っても留めるんだ。」

雨乞いの生贄の娘の伝説、そして信じられざる伝説を信じる現在の男女の恋愛があった。それに対する反恋愛の権力たちへ、伝説の恋愛が復讐をする。村は大洪水に沈み、八千の民は魚やタニシやドジョウとなり、恋愛だけが生きることを許される。いま読むと昔話のような内容であるが、これは執筆当時の現代を舞台とする話であった。

さて、新海誠の作品を語る上で夜叉ヶ池のような古い作品を持ち出す必要はなかろうから、鏡花ファンだけが妙なご縁を感じていればよい程度のことではあるが、それにしたって、新海誠は何をきっかけに柳田國男の遠野物語に出会ってからの泉鏡花みたいになってしまったのだ、というくらいのことは思う。

新海誠の映像には天空のビジュアルに対する愛着をずっと感じるが、その登場する文脈が変わっているのではないか。というのも、君の名は。も天気の子も空の絵と地上の出来事を繋ぐのに民俗学くさい巫女の血筋を用意しているからで、しかし昔はそこんとこ宇宙ロボットパイロットの娘さんとか平行宇宙に関わる娘さんとか種子島のロケットとかで処理してなかったっけ。