疏水分線

ソガ/疏水太郎のブログです。

終わらないパーティー(第二夜)

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1.町について

御茶ノ水駅の近くに建つ病院の屋上へ昇ってみよう。そこには西木野真姫という名前の小さな女の子がいる。屋上のはしっこに立って遠くを見ている。東西へ流れる神田川、そこが昔、舟の往来でにぎわったということは社会科で習っていた。しかし、真姫はその行く先を知らなかったから、想像の舟は霧に包まれてどこかへ消えていった。

川と南北に交差する線路は、秋葉原、上野を経てはるか北へと続いてゆく。この町に日本最大の市場があったころ、東北から汽車に乗って溢れんばかりの物がやってきたという。幼い真姫はその積み荷を想像できないが、いま眼下を行き交う車両たちはなにか遠くからの消息を伝えるものであるように思えていた。

だから、その声が聞こえたのは遠くからだか近くからだか判らなかった。足元に広がる町を探してみると、向こうに見える学校の登下校の声やグラウンドに集まるひとたちの声が聞こえるような気がした。汽笛か、もしかすると鳥の声だったのかもしれないが、音ノ木坂学院の歓声はそんな風に真姫の古い記憶として残っていた。

 

2.年齢について

あのころ考えていた将来にたどり着くまで、高校というのは中間地点なのか、まだ始まりに過ぎないのか、あるいは、もう全ては決まっていて、彼女は終わりの場所に立っているのか。高校へあがった西木野真姫は二つ年上の矢澤にこと出会った。将来というものが等しく誰にもあるとして、にこは真姫よりも二年分それに近い場所にいる、ということは少なくとも言えるだろうか。いや、高校一年の真姫と高校三年のにこは歳が二つ離れているが、ふたりの誕生日のはざま、4月19日から7月21日までの間、歳の差はたった一つになる。そのとき西木野真姫は16歳で、矢澤にこは17歳だ。

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16歳と17歳の関係について、もうすぐ17歳(Sixteen Going on Seventeen)という歌が広く知られている。サウンド・オブ・ミュージックというミュージカルの歌であるが、僕は映画でしか知らない。しっかり者の長女リーズルは、ひとつ年上のロルフに恋している。歌詞だけをみると17歳のロルフが16歳のリーズルに先輩風を吹かせ、世間知らずのリーズルがロルフを頼りにしているが、実際はリーズルのほうがお姉さんのようで、高い場所からロルフに唄いかける。なんにしてもふたりが楽しそうに唄って踊っているのがよい。どちらが年上かなんてことはお互いのこと考えるときのきっかけ程度のものだ。年上だから、頼りになるの。年上なのに、甘えんぼさんね。どちらだっていいし、両方でもいい。

真姫が16歳になるとき、矢澤にこはもうすぐ18歳だ。一足先に階段を昇って、また追いついて、終わらない追いかけっこが続く。卒業して、20歳も越えて、30になっても、すこし年上だから、すこし年上なのに、ずっと愛しい。そしていつか将来だと思ってた暗がりは、もうとっくに終わっていたのだ。

 

3.音楽について

小五の頃、ヤマハの個人レッスンを受けていた。当時はまだ珍しかった学習塾に通いながらエレクトーンのほうもだいぶやっていて、発表会に出ることができた。発表会のエレクトーンはすごいやつだ。自宅のはレバー調整のレトロな電子オルガンという体で、先生の家にあるのはボタンのきらめくシンセサイザー、発表会のステージにあるのは音の鳴るコンピューターというような姿であった。発表会本番ではあらかじめ複数パターンの音色をプログラム入力する必要があったため、近くにあったヤマハのスタジオで発表会と同じエレクトーンを借りて練習した。そういうこともあって、それは晴れやかな舞台に思えた。

エレクトーンという鍵盤楽器についてもう少し説明したい。エレクトーンは鍵盤が三段あって見た目にもピアノと異なっているが、電気仕掛けであるところが子供心には面白かった。電源のスイッチを入れないまま鍵盤を弾いても電子音は鳴らないが、ぽす、ぽす、と鍵の下りる音だけは聞こえた。この誰にも届かないかすかな衝突音が好きだった。

発表会が終わって六年生になると、受験に専念するためレッスンを止めた。エレクトーンは後からいつだって出来ると言われた。ずいぶん経ってようやく受験とは縁がなくなったころエレクトーンを探しに行くと、それはあの、けいおん!に出てくるJEUGIA三条本店であったが、そこでエレクトーンというものが昔と比べて数の少ない、やや独特の楽器になってしまっていたことを知った。それで僕はいま鍵盤が一段しかなくて慣れない普通のキーボードを弾いてるのだけれど、電源を入れずに弾いたときの、ぽす、ぽす、という音だけは変わっていない。

μ's 6th シングルのOVAでは、西木野真姫が弾くピアノも弦が切れたみたいに、ぽす、ぽす、と音を立てた。ピアノには電源がないためこれは異常事態であるが、僕には懐かしく思える音だったのだ。鍵盤を弾くとき、かなで、外へ響く音があって、だけどそのとき、ぽす、ぽす、という鍵の下りる音もまた鳴っているのだということを知る。それは自分にだけ届く音楽ではないだろうか。

学校の音楽室で、七不思議みたいにもうひとりの自分のような誰かと出会うとき、ピアノの音は広がるのをやめて自分の元へ帰ってくる。そのとき外側はもうなくて、彼女はただ音楽とともにあった。

 

4.魔法について

音楽のなかにいるひとは、自らが音楽であることを知るだろうか。絢瀬亜里沙が μ's にときめくとき、彼女らは自らがときめきであることを知るだろうか。マジックのなかにいた西木野真姫は「マジックが使えるなんて」という高坂穂乃果の言葉が判らない。ただ、絢瀬絵里の心配は伝わってきたから「ごめん」と謝りたく思った。夢の中、とは前日に真姫自ら言っていたことであるが、それが再び絵里の言葉にも出てきてびっくりする。マジックなのか夢なのか判らないが、学校の音楽室で出会った誰かと自分はともにいて、ずっと好きだったなんて照れくさいことばかり言うその誰かの言葉は、自分の言葉でなかったとしても恥ずかしくて言えない。

学校のなかにいる彼女らは、自らのことを知るだろうか。それがどんな時間だったかそのときには知りようもなくて、何年も経ってから照れくさい言葉になりそうなその未来の言葉を、魔法は今に伝える。あのときも小さな真姫は、未来の歓声を聞いたのかも知れなかった。

 

(2013年12月8日)

Little World

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1.

どうしよう。御茶ノ水で降りたときに東京都美術館ターナー展のポスターが目に入ったから、しまった、そういうのもあるのか、と思って、もう15時前だから今日どちらへ行こうか迷ったのだけど、より輝きがあるように思えた少女画展のほうへ向かった。

大きな絵を穴が開くくらいじっくり見ることができるのはとてもよかった。結果、ちいさな部屋を何周もして、1時間ばかり経っていた。

大きな絵といえば画集 LITTLE WORLD 2 でも大槍さんが何度か触れておられたけど、グッズ向けの絵の大きさはこのところテレホンカード大から、タペストリーや抱き枕カバー、シーツの大きさへと拡大している。大きさに伴って素材も変化していて、大きな絵に折り目や皺がつくのを避けるには硬い板絵のような支持体にするか、その反対にやわらかい布地に描くかで、グッズ絵のサイズの変化は大きな布地に綺麗に安価で印刷できるようになったという技術の変化と並走しているように見える。

抱き枕やシーツのグッズは寝具として利用されず、タペストリーのように壁に飾られることがある。いまではすっかり減ったがこれが紙のポスターだった時代を思い出せば、紙面をいかに傷めないようにするか、画鋲の穴から破れやしないか、など気苦労があった。そのためにポスター用のビニールカバーも販売されている。ところが布地は紙よりもそういう心配が少ない。折れてもアイロンを当てればよい。濡れても水くらいなら大丈夫だ。だいいち生活の場は柔らかい布地に満ちている。暮らしの垢に塗れた場所にも溶け込んで、安心して飾ることのできるのが布地の絵であって、こういう風に考えるときは布地が絵の物理的な振る舞いを方向づけているといえる。

大槍葦人*少女画展において、大槍さんは実験的な試みとして、絵を大きくしたいこと、絵を修正・リペイントしたいこと、そしてモノとしての存在感を上げたいこと、の3つを挙げておられた(【大槍葦人*少女画展】について)。モノとしての存在感というのはほかの二つともたぶん関連していると思う。大きさというのは存在感とまっすぐに繋がってて、だけど絵をそのまま大きく引き延ばすと間延びしてしまうから、キャンバス地への印刷と手塗りのニスを加えて肌理を作り出す。加えて、リペイントでもキャンバス地に塗られたようなテクスチャを持つ塗りに変えられている絵がある(たとえば "Fairies")。

ちょっと想像して、この存在感をうちのワンルームに置けるかというとそうは思えなかったけれど、たまたま隣で絵を見ておられた女性の二人組が素敵なことを仰っていた。これ、玄関から廊下に飾りたいね、と。今回の少女画展用描き下ろしのバレエ少女6人の絵である。練習用の手すりにつかまっている絵。廊下の同じ高さに手すりを付けたら、ほんとに女の子が居るみたいになるね、と。僕はそういう素敵な家に住んでみたいと思ったし、そういう生活において親しく振舞ってくれるような絵だった。

大きいこと。大きくするための工夫を経て、そこにあって、それで嬉しかったのはやはり大槍さんの線を、色を、じっくり見れるってことだった。単なる拡大鏡じゃなくて、大きさに耐えるように描き直されてる、そういう絵。

 

 

2.


大きな絵といえばこれまた先々週のこと、国立博物館の特別展「京都―洛中洛外図と障壁画の美」へ行ってきて、洛中洛外図とはそもそも大きいものであるが、それを天井まで届く巨大なスクリーン4面に映し出すのが展示入口の出し物だった。CGで描かれた絵がキャンバス地に出力されるのとは逆で、屏風絵がデジタル化されて映像出力されるのだ。こちらは単なる拡大鏡であるが、それでいい気がする。デジタルってそういうものだと思ってるのだろうか。あるいは光のせいだろうか。この場所は入場したらみながそこで立ち止まるため混んでいたが、閉場5分前に入口まで戻って来たら僕ひとりになった。元となった洛中洛外図屏風(舟木本)にはない、圧倒的な光に包まれた。

僕が初めて洛中洛外図屏風と出会ったのは2004年か2005年頃のこと、JR京都駅前にあった「京の道資料館」(京都国道事務所)で、そこに洛中洛外図屏風(上杉本)の複製が展示されていた。入口の空間は床から壁面にかけていまの京都の地図と洛中洛外図とを重ね合わせた部屋になっていて、ここでも僕は絵の世界に包まれるように思った。屏風というのがそもそも、見る者が立体的に囲まれるための形で、だからさっきのデジタル化された巨大な舟木本やこちらの上杉本の部屋みたいにして僕とふれあう展示は自然な拡張なんじゃないかと思える。

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そんなことも思い出しながら少女画展の会場をぐるぐるした。これではきりがない、またもう一度来ればいいと思って外に出た。新宿御苑のほうへ歩いてゆきながらまだ絵のことを考えていた。時間は16時前で、このまま上野のターナー展までゆける気がした。

 

 

3.


ターナーは絵の具メーカーの名前でお世話になって、それで絵のほうもずっと気になってた。嵐の絵を描く人、というくらいに思っていた。ただ、今日は絵のモノとしての存在感について考えていたので、パレットナイフで盛り付けたような荒々しい塗りを見て自分がどんな風に感じるのかを確認したかった。

ターナー展ではふたつ発見があって、ひとつめ、厚塗りもよいけれどむしろ照明が僕には刺さった。「スピットヘッド:ポーツマス港に入る拿捕された二隻のデンマーク船」は壁一面ほどの絵で、展示では右上から照明が当てられていた。
http://www.tate.org.uk/art/artworks/turner-spithead-two-captured-danish-ships-entering-portsmouth-harbour-n00481
これがね、絵の左側に立つと、空の左上の明るい白い雲のところだけがね、金色に輝いて見えるのだ。反射光で。

ふたつめは「レグルス」。暗い地下牢でまぶたを切り取られて失ったレグルスが、牢から出たとき、さえぎるものない陽光に目を焼かれ失明した、という伝説に基づいた、その瞬間の絵。
http://www.tate.org.uk/art/artworks/turner-regulus-n00519
僕にとってその話はCGみたいに思えた。電気を消した暗い部屋で、PCのディスプレイを点けるとき、それはまぶたすら突き抜けてくるように射す光だから。

照明の光とえがかれた光とディスプレイの光とを行ったり来たりする気持ちで会場を巡りまた外に出た。もう夜だった。

 


4.

 

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東京都美術館の近くに先月オープンした上島珈琲店で夕食をとった。このお店は東京国立博物館・黒田記念館別館のなかにある。いま本当に行きたいのは本館のほうであるが、耐震改修工事があった影響でまだしばらく閉館している。もう一度行きたいわけは、黒田記念館本館には黒田清輝の「智・感・情」とその光学的な調査結果が展示されていたからである。智・感・情、はもちろん大槍さんが同サイズ、同ポーズのその絵を描くという企画が数年前にあったわけでもあるが(そして僕は見に行けなかった……)、光学的なスキャンによって絵を厚みのあるモノとして捉えていた記念館常設展示のことを僕は思い出していた。
http://www.tobunken.go.jp/kuroda/japanese/kogaku/kogaku-tenji.html

絵の制作において、塗り重ね、変更されてきた地層を機械の目で透視すると、塗りの厚みは時間的な立体感を持って理解される。絵の修復においては、後の手による修正を消してオリジナルと思われるところまで時間を巻き戻す場合すらある。CGがいくらでも時間を巻き戻せるのは、全ての過程を機械の目で透視しているようなものである。

ちょうど昨日、コンピュータ科学関連の記事で、絵画を3Dスキャンして3Dプリンタで複製する話題を読んだところだったのだ。コンピュータと絵画との関係はCGや絵画のデジタルデータ化の文脈で語られることがほとんどだと思っていたので、この記事はデジタルファブリケーションに触れるところから始まっていたことに驚いた。つまり、3Dプリンタによって生み出されるのは彫刻だけじゃなく、絵画もたしかに3次元のモノだった。
http://www.nytimes.com/2013/10/24/arts/international/technology-mimics-the-brushstrokes-of-masters.html

機械の目で計測・透視して得たデジタルデータと3Dプリンタを用いた複製技術によって、絵画の立体的な振る舞いがコンピュータで再現されつつある。筆で塗り重ねた凹凸やその向きが再現できる、ということは、既存の絵画を複製するだけでなく、CGとして新たに厚みを持つ絵を描いて、3Dプリンタで出力するということもできるわけだ。きっとそれも、CGを経由して出力された絵画の、モノとしての存在感を支えてくれるように思う。

絵画の3Dプリンタによる複製の事例はふたつある。ひとつはデルフト工科大学(オランダ)の研究で、ニコンのカメラ2台でつくったステレオ撮影システムでレンブラントやゴッホの絵画の表面の色と深度情報をキャプチャしている。X線その他電磁波を用いたスキャン結果とも併せて色の検出精度を高めているようだ。ステレオ撮影システムについては製作者である博士課程学生 Tim Zaman 氏のブログに詳しい( http://www.timzaman.com/?p=2606 )。3D出力はキヤノングループのオセ(Océ)が担当。Zaman 氏によると、この方法では絵画の輝度や細かな粒子はまだ再現できずオリジナルにずっと及ばないが、単なる2Dのポスターよりはずっと進んでいるという。複製の対象としたレンブラントの絵はアムステルダム国立美術館の協力、ゴッホはクレラー・ミューラー美術館の協力、ってここ僕は行ったことあるね、そういや( http://www.kmm.nl/jp/ )。2004年の七夕の頃だ。クレラー・ミューラー美術館で僕が覚えてるのは、茶色がかった美しい空の絵があって、そのときオランダの旅で見た空も実際そんな風な色をしているときがあったということだった。

もうひとつは、富士フィルム・ベルギーとゴッホ美術館の展開している Relievo。ゴッホの作品について、その大きさ、色、表面の凹凸等を3Dスキャン、3D出力した複製画に加え、額縁の裏面に書き加えられた文字やスタンプなどもすべて再現する。額縁に収められた絵画をぜんたい複製するのである。7年がかりの仕事で、ゴッホ美術館のアドヴァイスを受けながら再現性を高めたという。
http://www.fujifilm.eu/eu/news/article/news/premium-three-dimensional-replicas-of-van-gogh-masterpieces/

なにゆえ絵画を複製しようと思ったのかといえば、ゴッホ美術館については多くを自己資金で運営しているという経済的な背景によって、これで商売することが狙いであった。ただ、Relievo は複製であるからオリジナルよりも手に入れやすいし、ちょっと触ってみたっていい。それで絵画から刺激を受けたり、理解が深まることもあるだろう。そうしたことをできるだけ多くの人へ届けたいというゴッホ美術館の使命にも Relievo は適っているのだという。

アムステルダム国立美術館のほうは、複製技術が絵画の修復や研究、商業目的に有用なのかどうかを知りたかったという。デルフト工科大学とオセは、絵画の修復や研究に役立てることに興味がある。例えばそれは、ダメージを受けたオリジナルの絵画を元の形に近づけて複製展示できるかもしれないということ、あるいは絵画を遠方へ貸し出してから帰ってくるまでに受けたダメージを3Dスキャンによって計測することもできるだろうということだ。

 

僕らが身近に触れることができるのは、壊れやすいものだから。

 

絵の具は大きく描いても空間が間延びしない凹凸を多かれ少なかれ伴っている。そこには見つめれば細部へと入ってゆける楽しみもある。また、照明や見る角度による変化もある。少女画展を訪れて僕は、いつかCGでもそんな風に大判出力できることが当たり前となって、複製されたそれが僕の手元にあって、触れられるような距離で、十分な肌理を伴ったその表面を、飽きもせず眺めていられるような時間と場所があれば、それは小さくてだけど夢みたいな世界だろうって思った。

(2013年10月26日)



あの娘はかわいいもち屋の佐保姫

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1.

五月の連休中、法事にあわせて奈良へ帰ってきた。祖母がこのごろ東京にいる僕のことを、いったいどうしているものかふと考える時間が多いのだと聞いていた。孫は僕のほかにもいてしばらくはそちらへかかりきりだったから、さて、また僕のことが気がかりになるというのはなにか魂のようなものが呼ばれているようで、帰らなくちゃいけないと思ったのだ。

東京から奈良へ。いつものように東と西を行ったり来たりのお話である。在原業平が東下りし、菅原孝標女が都へ上り、鈴原泉水子さんが東京へ向かうその東西である。

今日は祖父の七回忌だった。和尚(オッ)さんは京都の学園で先生をされていて、連休中も忙しいなか来てくださった。ぼんやりの僕は数珠を忘れてきて、和尚さんが唄うようにあげる経をただ坐って聞いていた。祖母も僕の隣でときどき唱和していた。お坊さんは声がよくなければ務まらないと思った。

お膳を出して、お供えをわけて、うちにもおもちが詰められた。奈良のこのあたりといえばおもちという感じがある。どこで買ったか訊いてみるとうちの近所のおもち屋さんで、ふつうの町なかにおもち屋さんが交じっている。ようこそ、うさぎ山商店街へ。

 

2.

午後からPant-selさんと合流して薬師寺へ。金堂では人を集めてお坊さんの法話があった。今日はよくお坊さんの話を聞く日だと思った。話はなかば漫談のようで面白くなっており、最後にお代として二千円の写経一巻が勧められる。かつての管主、好胤さんも話が上手だったとあとで母から聞いた。さきの話は薬師寺十四人のお坊さんのうち最若手による法話芸であった。お坊さんは話もうまくなければ務まらないと思った。

薬師寺では連休中の法要にあわせて野点が行われていた。僕らは関係ないものと思って西塔のあたりをぶらぶらしていたが、そこで元気のいいお姉さんに捕まった。九十四歳、僕の祖母より少し上であるが、おひとりで来られていたようだ。野点の招待券があるからと僕らに二枚渡して帰ってゆかれたので、僕らは代わりに会場へ向かった。そこでまた柏もちが出てきた。今日はお坊さんとおもちばかり出てくる日だと思った。

 

3.

Pant-selさんと別れて僕は佐保山のふもと、一条通へと向かった。京都一条戻り橋の伝承が知られているが、奈良にも一条通がある。どちらも条坊制の都であるから一条通、三条通、と同じように名を残している。佐保山は僕がゲームで吉野佐保姫と出会って以来、気にかけてきた土地である。奈良の北端から京都の木津あたりまで広がる丘陵を平城山(ならやま)と呼んで、その平城山の南端が佐保山である。松永弾正の多聞山城もその一部といっていいだろう。どこからどこまでが佐保山なのかはっきり決められてるものではないが、地元人の母に確認したところだいたい一条通から北へ広がる丘は佐保山と呼んで差支えなさそうだ。


大きな地図で見る

京都からやってくるJR大和路線は佐保山の西端に沿って走り、一条通の手前で少し東へカーブする。このまるく張り出したあたりに在原業平ゆかりの不退寺がある。

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西側の麓に大和路線が走る。

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大和路線の踏切から不退寺の森、奥まったところに南門が見える。

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不退寺本堂、室町初期に再建。柱に刀傷のようなものも残るといい、古きを偲ぶ静かな土地柄というばかりではなかった。

不退寺の住職さんらしき方に伺ってみると薬師寺のみなさんとは交流があるという話になって、いまちょうど薬師寺から来たところなので縁は繋がるものだった。前に薬師寺の古い資料から不退寺の名前が出てきたそうで、薬師寺の末寺である時代もあったことが判ったという。興福寺の末寺だった時代もあり、いまは西大寺の末寺である。お寺の立場も時勢によって変わってゆくものである。近隣に真言律宗西大寺の末寺は多く、海龍王寺、元興寺極楽坊、般若寺、やや離れるが京都の浄瑠璃寺、岩船寺もそうで、諸寺持ち寄って大祭を行う。不退寺も五月の業平忌には周りのお寺からの手助けを受けて盛大な法要を行う。

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業平ということで杜若(カキツバタ)かと思わせるが、残念、菖蒲(キショウブ)でした。いずれ菖蒲か杜若。

不退寺は平城天皇が晩年を過ごした萱の御所の跡に建立されたと伝えられる。住職さんによると、古墳時代の面影を残す佐保山は人が隠棲する気持ちに寄り添うものだったのではないかということだった。不退寺は平城天皇の孫である業平の開基とされている。

現在は一条通からすこし奥へ入った場所にあるが、お堂の裏の竹藪に溝や土塀の跡が残っており、おそらく昔は佐保山のふもと一条通から裏の竹藪あたりまでの丘一帯が境内だったのでは、と仰っていた。失われた記憶や記録は少なくない。いま本堂の中にはお伊勢さんの祀られた一角があり唐突な感じがあるが、もとは境内の別の社にあったものが移されたのだという。お伊勢さんがやってくる前は本堂のその場所になにかあったはずであるが、もはや失われてしまっている。お伊勢さんの社も不退寺が建立される前からそこにあったのではないかとは住職さんの予想。古いものの上に新しいものがやってきて、失われたり埋まったり混ざったりしてゆく時間の層が丘陵を成している。

不退寺は八年ぶりに訪れた。前にも副住職さんとお話させて頂いて、そういえば今日も同じ方だったかも知れないと後になって思い当った。

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なりひらばし。東京にも東下り伝説にちなんだ業平橋がある。業平橋の駅は現在とうきょうスカイツリー駅と名前を変えた。

 

4.

不退寺から東へ歩いてすぐのところ、佐保姫ゆかりの狭岡神社も八年ぶりである。佐保姫が姿見につかった鏡池というのは前回、枯渇の危機に瀕していたが、その四か月後に保水工事の行われたことが今回判った。いまではいっぱい水をたたえて、金魚など気楽そうに泳いでいる。

f:id:kgsunako:20130505025612j:plain 2005年1月

f:id:kgsunako:20130505172128p:plain 2013年5月

佐保山に由来して春の女神とうたわれる佐保姫と、記紀に伝わる狭穂姫と、佐保山に位置する狭岡神社に伝わるサホヒメとは、地理的なこと、音が同じことからすっきり分けられない感じを受けていた。しかし鏡池に立つ掲示で八年前には佐保姫となっていたものが現在は狭穂姫と修正されており、記紀の伝承地としての碑も建てられた。記述の上では狭穂姫が採られるようになったが、境内のほかの場所を見ると春の女神としての佐保姫と関連づける情報紙のコラムが掲示されていたりする。この土地に限っていえば、佐保姫と狭穂姫とはどちらとも取れるものとしておくほうがミスティックだと思う。

 

5.

ところで、荻原規子さんの東西の旅はRDGのほか薄紅天女に現れる。薄紅天女は菅原孝標女の更級日記に想を得ており、順を追えば、都に住む菅原孝標女の思い出のなかにある、幼いころ東国で人づてに聞いたたけしば伝説を、さらに荻原規子さんが語りなおしたのが薄紅天女に描かれる東から西、西から東への人の往来である。それは伝え聞き継いだ、幾重にも夢のようなところから生まれてきた物語である。

薄紅天女において、たけしば伝説の皇女さまは長岡京のころ、安殿皇子の妹として描かれる。ここの兄妹は見どころで、病気の兄がうわごとのように、東国からくる天女さまが救ってくださる……と言うものだから、妹さんのほうは、これはいけない、大好きなお兄ちゃんを自分がなんとかしようと旅に出る。そして、このお兄ちゃんこと安殿皇子が、のちの平城天皇、つまりは在原業平の祖父に当たる人物である。更級日記と伊勢物語に描かれる東西の往来の物語を血筋で繋ぎとめたのが荻原規子さんの独創で、面白いところだと思う。

佐保山自体も東西の要素を備えており、平城京から見て西の竜田山に秋の竜田姫、東の佐保山に春の佐保姫、という神格があると言われている。薄紅天女と重ねて空想するならば、平城天皇は幼いころに夢見た東の天女を、東の佐保姫の姿に重ねただろうか。そんなことを思いながらじっさい佐保山へ登ってみると、思いもよらぬ眺めがあった。

佐保山から、平城京の大極殿が見えるのである。考えてみれば当たり前のことであるが、いまは第一次大極殿が復元されているので、それを目で確認できるのだ。細かいことを言えば第一次大極殿は平城天皇の時代にはもうないが、萱の御所のあたりからも平城京の大極殿があったあたりを眺めることが出来たのだと判った。佐保山の西の端に建つ不退寺の、その前にあったであろう萱の御所の目線は、東どころかまったく西の、旧都のほうを向いていた。

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正面真ん中に大極殿の屋根が見える。

 

6.

うちへ帰ったらさっきのおもちがお雑煮になっていた。今日はどうやら本当にお坊さんとおもちに尽きる日だった。

僕は明日の朝、新幹線で東京へ帰る。西で見た話を東へ持ち帰って、それがまた何かと繋がるだろう。

 

次回はどんなおもちが食べられるかな。

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(2013年5月4日)

秋葉原のラブライブ・イヴ

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1.

故郷のスーパーマーケットが本日で閉店になった。ちいさい頃よく連れられていった場所で、改装のときすでに名前も建物も変わってしまったのではあるが、あの場所からスーパーがなくなってしまうことは僕の記憶する街の、かつて在ったその層がまた深くなっていったように感じられた。

正月、帰省した際に聞いてはいたが正確にいつ閉店なのかは意識してなかった。本日閉店の知らせは関西からTwitterのタイムライン上を流れてきた。僕が東にいるときは西のことを思い出して西にいるとき東のことを思い出すというように、思い出を探るときはいつも西と東を行ったり来たりになるのだがその話は折にふれ伊勢物語や竹芝のことで書いてるし、また今度まとめようかと思っている。

本日は東京なう、秋葉原の話である。何十年も経てば街なんてどこかしら変わってく。ただ、秋葉原の変化は電気や映像できらきらしている。だから秋葉原は変わった、なんてわざわざ言われるんだろう。変化というのは何か原因があってその結果だ、とは必ずしもそうでないが、あのときこうだったら別の秋葉原があったのではないか、大きな変化はIFを喚起する。だからシュタインズ・ゲートの秋葉原ではIFの世界線が絡み合っている。

秋葉原に関する一番古い記憶は、受験で関西から出てきてはじめて東京を一通り見て回ったとき、どうやらあのPiaキャロットレストランがあった1999年のことであって、最近になって掘り出した写真からそれと判った。なるほど、そうでもなければ秋葉原には行かない。だって大阪の日本橋で足りてたからさ。そうは言っても次の年、東京へ来てからは週に何度も通ってた。駅前にはまだ大きな駐車場があった。それが青果市場の跡だというのはずいぶん経ってから知った。秋葉原の風景は過去の市場移転のときにも大きく変わっていると思うが僕にとってはやや遠い話だ。その市のことはUDXレストラン街のアキバ・イチという名前でときおり思い起こされるだけだ。ラジオ会館すら僕にとってはもうK-BOOKSがある建物という認識だったので、電子パーツがひしめいてるのを横目に布物グッズを漁りに訪れた。

人工衛星の突き刺さったラジオ会館は建て替え工事のためもはやない。シュタインズ・ゲートで描かれた風景はUDXとラジオ会館という新旧ランドマークが同時にあった5年間を記録している。発売時期を考えるとこれは偶然であるが、秋葉原を描こうとすればそういう風になるものかもしれない。

僕は大学を卒業して関西へ戻ってからまたどういうわけか秋葉原と関わりをもって西と東を往復していた。駅前の再開発が目に見える形となって、市場の跡地、僕にとっては駐車場の跡地であるが、そこでUDXやダイビルの工事が行われていた頃のことである。それで、この当時を思い出すきっかけになったのが今はまた東京にいる僕が見ているアニメのラブライブ!だ。

 

2.

ラブライブ!には1月からのテレビアニメで初めて触れたが、秋葉原の学校が舞台であるとはどこかで聞いていて、秋葉原で近年廃校となった千代田区立練成中学校の話が記憶から甦ったのだった。また、UTX高校というのは見た目のモデルがUDXであり、この練成中学とUDXには少々縁があったことも思い出された。

練成中学は2005年の3月一杯で廃校となったが、その校舎は2006年の秋葉原UDXオープンまでの間、ミュージアムとして利用されていたという経緯がある。というのは、UDXビル内にはかつてデザインミュージアムの設置が計画されており、それに先行して空き施設を利用した活動が開始されたのだった。

http://web.archive.org/web/20060516070612/http://www.d-akihabara.jp/pdf/0722/press_rensei.pdf

デザインというのは、ラジオ、オーディオ、家電の生まれた時代背景、設計の思想とアイデア、そうしたもの全てを含んで、いずれも秋葉原とは縁が深い。その展示と探索のための空間が秋葉原に構想されていた。

UDXのデザインミュージアムはその後わけあって頓挫したと聞いているが、練成中学のほうは改装されて2010年にアート活動の集う場として生まれ変わっていたことを、今月になって知った。空き施設を活用するという思想のほうはずっと生き残っていたのだ。

ラブライブ!の廃校話とUTX高校の姿を見ると思い出されるのは、僕にとって懐かしいそうした出来事だ。デザインミュージアムが秋葉原にある世界線を当時の僕は未来に見ていた。

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UDXオープン後しばらくの間は、UDXにもデザインミュージアム関連の展示が置かれていた。写真はアキバ犬の群れ(2006年7月25日撮影)。

 

3.

それで今日は実際、廃校跡を訪れたのだった。冒頭の写真がそれである。校庭は公園に、入り口は階段を昇った2階で、職員室らしき部屋がカフェになっている。思ったより人がいる、というのが第一印象で、校内をうろうろしているうちに、部屋のどこもかしこも人がいてなにか活動しているのだということが判ってきた。

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1階へ降りてみるとデジタル一眼を両手で抱えた小さな女の子が廊下を走っていった。なにか被写体を探してる風だった。カメラ小僧、というのは少し前に根津神社でも見たので、デジタル一眼の影響でまた新しいカメラっ子も生まれたものだなと思っていたが、そのまま廊下をゆくと面白いことになってしまった。

実は、写真のワークショップが行われていたのだ*。写真家のみなさんが中心となって、東北をはじめ各地を回っておられる。そこでカメラの使い方と、どんな風に撮るといい具合になるか、写真と文章の組で表現することなどを参加者に伝えて、それぞれ街を撮るのだ。小学生、高校生、大人、いろんなひと。ここで撮られた写真は校内の階段やガラスの世界を切り取ったもの。あとは校舎のまわりの空。練成中学は秋葉原電気街の北端・末広町の交差点からたった50メートル入っただけの場所であるが、景色はもうきらきらでなく毎日の暮らしの空だ。大阪日本橋でいえば市立日本橋中学校あたりを思い出せばいい。(だけど、あそこももう変わってしまったかもしれない。)

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秋葉原と日本橋のクロッシング・ポイント。
・・・・・・ではなく、大阪のほうはNipponbashiである。東京ではまずこれに慣れない。

この地域にはあらぶんちょ!というコミュニティ放送があるが、去年のこと、テレビをつけたときにたまたまこれとは別の写真ワークショップが紹介されていた。メディア・コンテと呼ばれる活動で、こちらは電気街の外ではなくど真ん中、真空管時代のオーディオマニアの人々の記憶が写真とともにつづられていた。僕には見えていない、秋葉原の姿がある。

さて、いい写真を撮る、というのは身構えるところもあるだろうけど、写真家のみなさんはときに陽気であったり、真摯であったり、経験でもって自在に場を支えてくださるのが東北でのワークショップ記録映像を見たりこの日の写真発表会に参加させて頂いたりして判った。日々の暮らしとはちょっと別のことをする、それは写真を撮るだけでなく絵を描くということも、空想をするというのもそうであるが、そういうことを始めたり、出来上がりまで維持するのは難しくて、描線がおかしいように思えたり、まるで解けない妄想になってくると壊れてしまう。そういうときただ傍にいるだけでも支えとなるような力をもっているのが芸術家なのだと僕はある先生との出会い以来、思っている。

巡回は東北にはじまり、今回の東京、新潟、横浜、と続くそうだ。昔はこうしたワークショップがその場その場での活動となって繋がりを持つのは難しかったが、いまはFacebook上で行われている。僕も関西の思い出をネット越しに東京で組み立てている。

*「I TIE☆会いたい」写真ワークショップ・3331Arts Chiyoda

 

4.

その後、UDXの東京アニメセンターでラブライブ!展があったことを思い出して中央通りの歩行者天国を抜けていった。

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デザインミュージアムのアキバ犬が並んでいた辺りもこの世界線ではラブライブ!が並んでいる。ここまで手ぶらでやって来たが入学案内やらグッズやらで荷物が一杯になった。

入学案内によると、ラブライブ!の音ノ木坂学院は「秋葉原と神田と神保町という3つの街のはざまにある伝統校」である。校門前の高い階段は本郷台地の崖であろうから、御茶ノ水にたくさんある階段や坂のいずれかなのだろう。そういえば御茶ノ水は音楽の街で、楽器やレコード店が並んでいる。

写真も絵も、空想も、音楽も。学校のふつうの日々ではありえないステージに立つこと、それを始めたり続けたりするときに支えてくれる力というのが、テレビアニメの高坂穂乃果さんには生じてくるのかもしれない、と第3話を見て思った。

 

 

ところで、ランチボックスのようなグッズは僕が本来の用途通り使う機会はなさそうであるが、箱状のものは容易に部品入れへと化ける。買ったものは積んでおくよりもどうにか使おうというのが僕なりの秋葉原である。

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(2013年1月20日)

花咲く佐保姫のための嬉遊曲

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佐保姫というのは春の女神の名前であるが,奈良の高校野球界ともやや奇縁を結ぶ.1991年春のセンバツ大会に出場した奈良高校のおとなりに佐保姫ゆかりの狭岡神社がある.あたりを佐保山と呼ぶ.

 

2005年のこと,狭岡神社,佐保姫の鏡池など旧跡を巡ったすぐ後に,たまたま花咲くオトメのための嬉遊曲をプレーした.とはいうものの僕が吉野佐保姫のこと大好きになったのは佐保山での体験は関係なく,そちらはすっかり忘れていた.後になってから,あれ,そういえばどちらも佐保姫だなぁ,とめぐり合わせのあることに気づいたのだった.

 

氷室乃雪は遠ざけておきたい感じの人だったが,「アストロ滑走団でわかる恋愛の才能」と題した原稿を書くために彼女の言葉を引き写してるうち,僕の胸のなかに居場所ができていた.

 

小松葵はアストロ滑走団(花咲くオトメのための嬉遊曲 イレギュラーズ収録)からファンになった.中山嵐と小松葵の会話はふたりとも気配りの人だからか心地よく響く.あとロマンティック.望遠鏡はひとりで覗くものなので嵐の来訪に対して葵はレンズから目を離す.ふたりで見るべきは星じゃない,星空なんだ.

 

アストロ滑走団でわかる恋愛の才能

疏水太郎


初出:『恋愛ゲームシナリオライタ論集 30人×30説+』
(theoria,2010年8月15日発行)
http://d.hatena.ne.jp/then-d/20120618/1340112564
夏葉薫論より

 

1. 序論

 

自然性を欠いた恋愛の描写は夏葉薫の持ち味として自負されている。本稿ではこの意識が恋愛以外にも拡がる様子を示すことによって恋愛ゲームシナリオライタ夏葉薫の射程を明らかにする。

 

恋愛ゲームにおいて恋愛の在り方に注意が向けられることは珍しくない。人はいつどのようにして誰かを恋愛という意味で好きになるのか、恋愛に理由を定めることができるのか、恋愛とは何か? という命題がそこにはある。恋愛ゲームに恋愛の命題は必須でないにせよ、ときにその水準を示すことは恋愛ゲームシナリオライタの本懐だろう。夏葉作品のなかで恋愛の命題といえば『花咲くオトメのための嬉遊曲』シリーズ(以下嬉遊曲と略す)に含まれる「夏子を巡る対話篇 」が際立っている (*1)。これは主人公の大宰信とヒロインの一人、氷室乃雪によって紡がれる対話篇であり、純粋な恋愛がどのようにはじまりどのように在るべきかを語り、そこに純粋ではない自分たちが歩む道を定めてゆく。詳細は次章に譲るがまずはこの対話が存在感をもつ理由としてアニメソングで知られる枯堂夏子の詞を縦横に引用しながら進める異様さを挙げておきたい。

 

嬉遊曲における夏葉薫の癖の強さは氷室乃雪という人物によって代表されている、と本人のコメントから察することができる。「予定通り、という感じが強いです。というかこの阿呆を許せなければ『花咲くオトメのための嬉遊曲』という癖の強いゲームは受け入れようもないわけで、一位はある種の必然ですね。」(『花咲くオトメのための嬉遊曲フルカラービジュアルファンブック』p.18より)ここで氷室乃雪が阿呆である理由の片棒は「夏子を巡る対話篇」だろう。恋愛を詩趣あふれる歌詞でもって観念的な高みへと押し上げようとするのは考えすぎで、この阿呆、と親愛をこめて呼びたくなる。なぜならば、もう半分の彼女は打棒によって本塁打という実際的な結果を生み続けるのだから。この両極端め!

 

夏葉薫の自負を示すものとして本人のブログ記事(http://d.hatena.ne.jp/K_NATSUBA/20080507)も紹介しておきたい。『恋魂詰』の星乃京ルートその1の紹介として「いつものです。後ろ向き男子と明後日向き女子の恋愛行動/CODE-L。俺のファンにはオススメ!」とある。ここでCODE-Lとは次のような星乃京の恋愛観を窺わせる造語である。

 

「love、と恋愛、はどちらもLからはじまる、って思うと不思議よね。愛とamourはどっちもAからだけど」

「恋、っていうより、恋愛、っていうちょっと突き放した言い回しのほうが、ひょっとして、loveっぽいのかも知れないわね」

「近代的な恋愛のコード、は明治以降に学習されたわけ」

「で、それがある種の自然性を欠いた行動として現象するのは日本人の必然……とまでいくとトンデモか」

 

CODE-Lとは、Lからはじまるとりとめない言葉遊び、しっくりこないまま遂行される恋愛のコードを意識すること、そして恋愛ってなんだっけかと恋愛のさなかにいちいち考えてしまうということ、そんな星乃京の明後日向きな様子を指すものであろう。

 

しかし、夏葉薫が人の不自然な在り方を採り上げるのは恋愛に限ったことではない。「アストロ滑走団」は『花咲くオトメのための嬉遊曲 イレギュラーズ』に含まれる章の一つで、嬉遊曲本編ではサブヒロインだった中山嵐と小松葵のスキー旅行における交友が描かれている。ふたりの対話として構成される点、対話の場が野球部活動ではない点において「夏子を巡る対話篇」と似た印象を受けるが、その内容は恋愛に留まらず、入部の理由、そしてふたりが友人としていま雪原に立っている理由にまで到達する。ここで、彼女らは関係のはじまりについて考えている。いや、はじまりについて考えすぎてしまっている、と言い換えたほうがよい。中山嵐は小松葵から野球部へ入部した動機を尋ねられて考えこんでしまう。

 

「どうして、野球部に入ったんですか?」

「紅葉に頼まれたからだが」

「ソフト部の正ショートなのに?」

「んー、まあ、なんだろうな、それは。確かにソフト部でずっとやってりゃセレクション回ったりしなくてよかったんだろうが」

 そこで、俺は言葉に詰まる。

 色々と細かい事情はあったんだが、今振り返るとどれもこれもそこまで決定的だったようには思えない。

「あー、なんだろうな、改めて聞かれっと、困るな」

 

普段は「紅葉に頼まれた」という理由で納得できているのだけど、改めて考えようとすると何だか判らなくなる。不自然に考えすぎてしまうような関係のはじまりについて論ずるとき、夏葉薫の射程は恋愛関係にとどまらず同性の交友関係にも届いている。そもそも恋愛について語るということは、より丁寧に進めるならば恋愛でないものについても語り、恋愛とそうでないものとの差異を明らかにしてゆくことであろう。本稿ではこの夏葉薫の丁寧さに注目し、そこで何が語られているのかを確認してゆく。

 

 

 

2. 恋愛のはじまりと「夏子を巡る対話篇」

 

まずは「夏子を巡る対話篇」で提示される恋愛のはじまりについて復習する。「夏子を巡る対話篇」が採り上げる枯堂夏子作品は主に「恋愛の才能」であり、氷室乃雪はそこに恋愛の純粋な体験を見出している。

 

 「『好きだよ』と 言わないで」

 「ねえ また いまも 目が合ったよね 目をそらす 瞬間が Ah 好きよ」

 「『恋人』と呼ばれたとき もう それは 恋じゃないのよ」

 (「恋愛の才能」より)

 

告白しないこと、目をそらすこと、名付けられないこと。そんな風に恋愛が明示的に表現されないことによってこそ、表現になる前の胸の高鳴りを純粋なまま抱えていることができる、これが作中で枯堂夏子第一のテーゼとされる「恋愛とは互いに孤立せる状態」だ。そして、孤立せる状態のふたりの恋愛がどのように可能になるのかという問いへの応えが第二のテーゼ「所与としての恋愛」である。第一のテーゼは「恋愛の才能」に既に書かれた内容の整理であるが、第二のテーゼは第一のテーゼで残る疑問に対して示された新しい答えである点に着目したい。ここで所与とは一体どういう意味であるのか、孤立しているふたりの恋愛はどのようにして可能となるのか、以下、大宰信と氷室乃雪の対話を追いかける。

 

「出会われる事は意志を越えた出来事であり、それこそは恋愛が世界からの祝福である証左だ、と」

「そうそう。

 これが枯堂夏子第二のテーゼ『所与としての恋愛』よ」

(中略)

「好きになったらしょうがないんだろ?そして好きになる相手は選べない。ならば、恋をする前から悩む必要なんてないのさ。悩もうが悩むまいが、予感もなく恋は来る。好きになってしまったあとに、恋愛の純粋形を貫くか、それとも堕落した恋愛関係に耽溺するか……。その選択権くらいは君の手の内にあるし、所与、さだめであるのならば、恋愛はそれ以上の自由を君に与えたりはしない。君が俗物である事に君が恋愛家であることは圧倒的に先行する。

 だから、好きなら好きって言えばいいのさ」

 

互いに表現を交わす意志のないふたりが出会えるのだとすれば、さだめとしか言いようのない、まるで恋愛家が謳うような、祝福ともいうべき恋愛の純粋形が僕らの意志よりも前に存在するのだとしか思えない。ここで所与とは恋愛のはじまりを支えるその出会いのさだめである。

 

 

 

3. 交友のはじまりと「アストロ滑走団」

 

さて、はじまりについて再び考えよう。僕らは何年何月何日から友人になったのだろう。その関係はいつか親友というものに変わるのか、あるいは恋人になるのか。そもそも友情ってなんなのか。そんなこと毎日考えてはいない。日々をともに生きるふたりがその関係のはじまりについて考えてしまうのは何か特別な機会があってのことだ。「アストロ滑走団」では部活動以外のプライベートな付き合いをあまり持たなかった中山嵐と小松葵のふたりが、卒業旅行の場でようやく出会いのきっかけである入部の動機について語り合い、恋の話を経由して、自分たちの交友のはじまりにたどり着く。

 

まず、入部の動機に関する話は次のように結ばれる。

 

「今、結構楽しいですから、そうなるとダメですね、理由とかどうでもよくなっちゃいます」

「でも、それは今だけかもな。四月になったらまた新たな気苦労が待ってるわけだ」

「そうですね。中山さんともお別れです」

「そうだな。お互い、五月早々に理由探しなんか始めないようにしたいな」

 

彼らの日々の楽しさは、いまやっていることの動機が判らない状態に等しいと捉えられている。だから、理由探しなんか始めることにならないほうがよいというのだ。しかし、小松葵は恋をしてしまうと日々のあらゆることに因果関係があるように思えてダメになってしまう。たとえばそれは恋愛の動機を原因とした恋愛行動。

 

「葵は……どうかな。恋、しちゃったらもうダメですから」

「そういうもんか」

「恋してると全てが因果関係に見えてきちゃいません?」

「よくわかんねえけど……運命を感じる、みたいな?」

「運命。そうですね、物語になっちゃうんですよ、なんか。別れちゃうと自分が何考えてたのか全然分かんなくなっちゃうんですけど」

 

そしてまた、別れると動機が判らなくなってしまう。「多分、動機なんてのは、それがあってしまうような気がする時にだけ、俺たちの人生でリアリティを持つのだろう。」(中山嵐)つまり、恋している間にだけはじまりの動機がある。恋をする前後に動機はない。この説に従うならば恋愛のはじまりについてあれこれ考えている最中の氷室乃雪や星乃京は現役の恋する乙女である。

 

中山嵐と小松葵のふたりがたどり着くいい関係とはつまり、理由探しを伴わない。

 

「……そうしてみると、こうしてなんとなく出会ってなんとなくここにいる私たちっていい関係なのかも知れませんね」

「そういうもんだろ、友達ってのは」

「友達。そう、そうですね」

 

「夏子を巡る対話篇」と「アストロ滑走団」において、ふたりの関係のはじまりは僕らの意志に先んじて在るものによって支えられている。それはわけもなく出会ってしまうこと、たまたま同じ部活動だったというような所与の状況である。氷室乃雪はこの先行性について「パーティーナイト・2」でも次のように意識している。

 

 ああ、と愚かしくも私はこの時はじめて思い至ったわけである。私も成林女子野球部だと言うことに。彼女が私とこうして話しているのはそれだからで、私が彼女とこうして話しているのもそれだからだ。実に実にシンプルな話だった。

 私は紅葉を抱きしめたい気持ちを抑えて、微笑み混じりに返事をする。

 

「パーティーナイト・2」は大井紅葉と氷室乃雪のお泊まり会における交友を描いた章である。微妙な関係のふたりがその夜、友人みたいに一緒にごろんと寝転がっていることのわけは、ふたりがお互いのことをどう思っているかという以前の、ただ単に同じ部活動だったという点に求められている。

 

「リーディングストーリー光徳学院編」(『花咲くオトメのための劇伴音楽』に収録のドラマ)も「アストロ滑走団」と似ている。

 

 私と築地は、複雑だった。投げやすいセカンドで、頼れる一番打者で、カラオケ一つ一緒に行った事がなかった。

 くすくすと笑い合う。

 それから、部室で後輩たちに送り出されて、一緒にカラオケに行って、バッティングセンターに行って。

 それから。築地とは一度も会っていない。

 

卒業の季節、部活動以外では気心が知れなかった相手との、友人と呼べるかどうか判らないが一緒に過ごすことは出来た三年間が、言葉にするには難しいものの微笑とともに閉じられている。

 

 

4. そして、考えすぎてしまうこと

 

それにしても、君が僕と、僕が君と一緒に居たいということが自ずと明らかであれば、ふたりの関係のはじまりについて改めて考える必要はないのだ。夏葉薫が繰り返し提示するのは、しかし僕らにとってそれが自明でなく不自然なまでに考えすぎなくちゃならない時があるという事情だ。

 

星乃京のCODE-Lのように、恋愛が不自然に立ち現れることは必然、とは確かに言い過ぎかもしれないが、恋愛のコードの学習については『姫さまはプリンセス』でも再び採り上げられている。ブルムランドという国には恋愛に相当する言葉がないため、その王女は不自然な恋愛行動をとってしまう。これは夏葉薫のアイデアかどうかはっきりしないもののCODE-Lの考え方と共通している。

 

また『春萌~はるもい~』の風間沙緒の場合、巫女である自分と神との関係が自明でないために、ブランコからジャンプするという不自然な神事によってそれを問うことになる。

 

「平たく言えば、実験」

「ああ」

「信仰を獲得できるかどうかの」

「君が、てこと?」

僕の言葉に、彼女が無言で頷く。

「それと一人で飛ぶことにどういう関係が?」

「人前で敬虔ぶる事だけが信仰ではないはず。どう考えてもくだらない神事に一人で熱中できるとすれば、それは」

「内面化された信仰のあらわれである、と」

 

恋愛も、交友も、信仰さえも。ならばこのようにしよう。夏葉薫第一のテーゼは「ふたりの関係について不自然に考えすぎてしまう必然」である。

 

しかしこの不自然さは悲しいことなんかじゃない。星乃京の言葉を借りるなら、風間沙緒は自らコードを創り出す。それはブランコから雪山へ向けて顔面ダイブするという不自然な神事、あるいは「コミュニカシオン」という言葉で取り結ばれる恋愛のルールである。

 

「コミュニカシオン」

ルールは単純だ。

コミュニカシオン、と言い続けられる限りにおいて、相手の身体に触れる事が許される。

息が切れたら、それは終わりで、攻守交替。

どうしたら得点なのか、何が勝利条件なのかはきっとおいおい分かるだろう。

僕たちがゲームを始めるために必要なのは、簡単な規則がいくつかと、そしてゲームをする意志だけだ。

「コミュニカシオン」

沙緒さんを引き倒す。

 

理由なんてない。不自然な規則ならばこそ、自分の意志で決めた規則じゃないととぼけることが出来るのだ。

 

夏葉薫第二のテーゼは「関係のはじまりはふたりの意志より先に在るものによって支えられる」ということだ。ふたりの関係を確かめあうこと、それは恋愛であれなんであれ不安なことである。そうした自然のままの自分の臆病さを知ればこそ、自分の意志に先んじて在るなにものかを意識することで不自然に勇敢であろうとする。

 

意志に先んじて在るはずのものが実は自分の意志で生み出されているという回りくどいこともある。そんな人の愛すべき振る舞いがここでは活写されている。

 

さて、「ふたりの関係について不自然に考えすぎてしまう必然」そして「関係のはじまりはふたりの意志より先に在るものによって支えられる」こと。以上でようやく白鳥可菜子を可能とする前提が揃った。『姫さまはプリンセス』の遠藤忍と白鳥可菜子は姉弟のような関係であったとされている。しかし、

 

忍「ボクと可菜子はいつも一緒にいたので、恋人だと誤解されることが多々ありました。」

忍「それにつられてでしょう。ボク自身、その気になったことがありましたが……」

忍「結果は、可菜子の言った通りです。」 (*2)

 

遠藤忍は姉みたいだった白鳥可菜子に対して、不自然な恋愛行動をとってしまう。一方の可菜子はそれが勘違いだとあらかじめ判っていた。

 

昔、ボクはこの胸に触ったことがある。

あくまで、服の上から。

デートの真似事をして、拙いキスをして。

昔のボクらは、今よりきっとずっともっと不可解だった。

 

その結果、再び姉弟の関係に戻ったふたりは、時をおいて身体を重ね、そして結婚することになる。しかしその関係は恋ではなかった。少なくとも遠藤忍はそう認識していた。

 

ボクは多分、可菜子に恋をしたことはなかった。

可菜子がボクに恋をしていたのかは、わからない。

それでも、ボクらはいつも一緒にいて、寂しい夜には求め合い、楽しい夜にはじゃれ合った。

仲が良くて、セックスをしていれば恋人ではないのか。

懐かしき遠国の姫はそう、ボクに問いかけた。

今は、その答えはわからない。

けれど、恋愛なんて言葉がもしなかったとしても、可菜子とボクは一緒にいただろう。

 

恋愛かそうでない関係であるかはどのようにしてあらかじめ判るのだろう。可菜子にはそれが判っていた。恋愛が意志よりも先に在るさだめに支えられるのだとすれば、恋愛でない気持ちにも同じことがあるのだろう。

 

可菜子「だから……私にしなよ。恋愛と結婚は別だよ?」

可菜子は。

ボクの下で、ボクをがっちりとつかまえている可菜子は、いつになく必死に見えた。

はたから見れば、ボクたちはきっと、果てしなく滑稽に見えるだろう。

一番大切な幼馴染みを組み敷いて、中出しまでして、ボクは焦っている。

可菜子は、ボクを必死に繋ぎとめて、正常位の姿勢のまま、ボクを説得している。

仕方がない。

ボクと可菜子は、こうなるしかなかったんだ。

 

滑稽な、不自然な行動に先行する関係X(エックス)。それが自分たちの関係において正しいと直感されるのであれば、そのままの関係と出会いを所与のものとして歩めばよいのだ。

 

 

 

5. おわりに

 

本稿では「アストロ滑走団」を補助線とすることによって夏葉薫が恋愛と恋愛でないものを描く際に通底するふたつのテーゼを示した。夏葉作品の恋愛は「ふたりの関係について不自然に考えすぎてしまう必然」そして「関係のはじまりはふたりの意志より先に在るものによって支えられる」という主題に対する変奏の1つであり、これによって恋愛ゲームシナリオライタ夏葉薫の射程は恋愛とは名付けがたい白鳥可菜子の場合や同性同士の交友のように恋愛と近接する関係にまでも到達していると言える。

 

 

君と僕、僕と君との不自然なやりとりにこそ幸あれ。

 

 

 

脚注:

 

  

(*1) 嬉遊曲のなかの「夏子を巡る対話篇 その1」「夏子を巡る対話篇 その2」と名付けられた章を指す。なお「夏子を巡る対話篇」のような章タイトルはシナリオ本文中に出てこないが、該当箇所でのセーブデータ名として示されている。

  

(*2) なお、本引用部および白鳥可菜子のキャラクター設定そのものについては夏葉薫が関与していない、と夏葉氏本人より御指摘を受けたことを附記する。残りの引用部は白鳥可菜子シナリオ分岐後のもので、夏葉薫独自の展開である。