コンピュータと人間の間に対話があることと、コンピュータが条件分岐の機能を持つこととの関係は、それほど明らかではないようです。筋道を立てて考えてみたいと思います。
まず、人間がふだん何らかの条件に基づいて判断して行動を変えることと、コンピュータに条件分岐の機能が備わってることに、どれほど関係があるでしょう。こちらも、関係があると簡単には言えなさそうです。
19世紀には機械式計算機の生産が始まりました。まだ実用的ではなかったものの、微分方程式をアナログ計算機を使って解く研究も進められました。この時代に、プログラム可能な計算機について検討したのがチャールズ・バベッジでした。前回確認したメナブレアとエイダの解説(1842年)によると、バベッジの解析機関において条件分岐が使用されるのは代数的な問題を解くための繰り返し処理に必要だったからでした。ここで条件分岐機能は、人間の脳を真似るといった大上段の目的ではなく、代数的な問題を解くための一部品として触れられています。一方、バベッジ本人の興味は産業技術のみならず政治・経済・商業に数理科学を適用することにあり、解析機関はそのための道具だったと見ることもできます*1。ここではいったん、人間の脳を真似ることと、人間の活動のための道具を作ることには、似るところはあっても同一ではないとしておきます。
1854年、ジョージ・ブールの提唱したブール代数によって、論理を記号的方法で扱うことができるようになりました。〇〇ならば、という条件について考えることは、代数ではなく論理の範疇です。バベッジの考えたことの工学的な(つまり効率的な)実装は、蒸気から電気の時代への変化のほか、少なくとも記号論理学の発展も待つ必要があったのではないでしょうか。
1920年代半ばまで、機械を人間の脳とみなす論調はほとんどみられなかったようです。それが1928年以降、ヴァネヴァー・ブッシュらの開発した微分解析機をはじめとする機械式アナログ計算機たちが、一般向け科学雑誌で「脳」に例えられるようになります*2。計算する機械が人間の「脳」に似たものという考えが広まったのはこの頃からとして良さそうです。
ブール代数の登場からは大きく間があいて、1930年代後半のこと、中嶋章、クロード・シャノン、ビクター・シェスタコフらが立て続けにスイッチング回路理論を発表しました。機械で作られた電気回路と、論理を扱うブール代数との関係が本格的に理解されはじめたのはここからだと考えることができます*3。
これで、真偽値の組み合わせにおいて、〇〇ならば××といえる、といった記号論理が回路上でも表現できることが判りました。このため、以降の時代では機械がブール代数という水準で論理的な条件を扱えること自体は当たり前になっていると言えるでしょう。
では次は、より高度なプログラムという水準で条件分岐がどう扱われてきたかを見てゆきます。1944年、エイケンが世界初の電気機械式自動計算機を制作しました。ここではプログラムの紙テープを物理的に輪にすることで繰り返し処理を実現しましたが、条件分岐を実行する機能は搭載されませんでした。
1945年のこと、ノイマンの草稿にはプログラム内蔵方式のデジタルコンピュータの命令セットとして条件分岐が記されました。続いて1947年には、このコンピュータに条件分岐が必要な理由を(100年前と同じように*4)繰り返し処理の存在によって解説しました。ただし、ノイマンには設計の初期から人間の脳と機械の脳を類比する気持ちがありました。
少し遡ること1943年、マカロックとピッツは人間の神経回路網を記号論理学のモデルを用いて表現しました。人間の脳と現実の機械との関係をブール代数を橋渡しとして論じることができるようになったのはここからとなります。ノイマンもマカロック-ピッツモデルの影響を受けて、人間の脳のニューロンとコンピュータの電子素子の関係を論じていました。ノイマンはオートマトンの理論を通じて電子素子に対して脳のニューロンのような動作をさせるための検討を続けました*5。しかし、機械が人間のように振る舞うことがニューロンを水準としたいわば器質的論理(?)でなく、対話という機能的論理として表出するかどうかの議論については、同時代を生きたチューリングの考えのほうを追う必要があります。
コンピュータが条件分岐の機能を持つことと対話との関係については、このあとチューリングとIBM 704の話が続きます(たぶん)。
*1:西垣通「デジタル・ナルシス 情報科学パイオニアたちの欲望」
*2:杉本舞, "「人工知能」前夜 コンピュータと脳は似ているか"
*3:山田昭彦「スイッチング理論の原点を尋ねてーシャノンに先駆けた中嶋章の研究を中心にー」https://www.jstage.jst.go.jp/article/essfr/3/4/3_4_4_9/_pdf
*4:メナブレアとエイダによる解説と一見、似てはいます。しかしこれは楽譜の反復記号にもみられることで、有限回の繰り返し処理のために条件分岐が必要となるのは自明である、という以上の理由ではないでしょう。
*5:以上、ノイマンとマカロックーピッツモデルとの関係については、
杉本舞, "「人工知能」前夜 コンピュータと脳は似ているか"
伊藤和行「フォン・ノイマンとマカロック-ピッツ・モデル―オートマトン理論の誕生― 」