疏水分線

ソガ/疏水太郎のブログです。

枕元のチッピー

よりもいギャグ小説「南極たぬきねこ」の別ENDです。

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「ペンギン饅頭号の元々の名前はしらせね。由来は知ってる?」

 

吟隊長の問いに答えたのは報瀬ちゃんでした。

 

「日本人で初めて南極へ到達した、探検家の白瀬矗です」

「白瀬が活躍した時代には、南極を目指す冒険者が沢山いた。その中でもイギリスのアーネスト・シャクルトンの冒険は広く知られているわ。シャクルトンの探検隊は氷に閉じ込められて、船を失い、だけど2年近くかけて全員が生きて帰ってきた。そう、少なくとも、人間はみんな生きて帰ってきた」

「だけど、虎猫のミセス・チッピーは帰ってきませんでした。南極脱出の旅には連れてゆけないので、犬たちと一緒に殺された」

「そうね。でも、シャクルトンの判断は正しかったし、隊員全員を生還させたのは偉業だったと思うわ」

「納得いかないー」

その夜。私はミセス・チッピーが死んだこと、チッピーと仲良しだったマクニッシュさんのことを思って怒っていました。

「ミセス・チッピーのこと、おはなしにしようと思う。マクニッシュさんと結婚するの」

「でもミセス・チッピーってたしか雄猫だわ」

「えーっ、なんでー」

「うーん、夫婦に見えるくらい仲が良かったんじゃないですか」

「じゃあ、ミセス・チッピーは毎晩、シャクルトン隊長の枕元に立ってるの」

「怖いな、おい」

「そしてこう言うの。ちゃんとお世話できないのに南極に動物を連れてきちゃダメにゃん、って。それ以来、南極には動物を連れてきちゃいけないことになったのでした」

「あまり怖くないですね」

「だけど動物が駄目なのはそういう理由じゃない」

「確かに南極条約とは違うが、そういう気持ちにもなるよな。タロとジロ思い出すと」

「今日の幽霊のことでもやもやしてるのをほっとさせたい気持ちがあって、なにかお話にすると良いなって」

「キマリさんは、そういう風にお話を書くのが向いているのかも知れませんね」

 

(南極たぬきねこ・小説家エンド)

 

2019年冬コミ(コミックマーケット97)情報

ソガの個人サークル「星影拾遺」はC97(2019年冬コミ)に当選しました。

頒布物はすべて「宇宙よりも遠い場所」(よりもい)で、新刊が

「Yuzuki Visual Maniax (準備号2)」

「結月さんコルクコースター」

の2つ、既刊が

「サウスポールを探しに」

です。

日時・スペース

12/28(土)東京国際展示場・南2ホール(1階)

南 オ 05b「星影拾遺」

C97新刊

【新刊(1)】 Yuzuki Visual Maniax (準備号2)

■ 概要

 アニメ「宇宙よりも遠い場所」の白石結月さんの装いについて、コーディネートや着回し、持ち物などの絵を描きながら語る本です。

 本編中に登場する結月さんの衣装と小物が全て分類され解説付きで掲載されています。

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 宇宙よりも遠い場所はなにかと事細かな作品ですが、登場人物の衣装についても限られた点数ながら上下の組み合わせや重ね着、着こなしによってバリエーションが幾つもあることに気付かれるかと思います。
 データの分類とレイアウトに時間がかかって、今回も前回に引き続き準備号となってしまいました。この準備号2では、前回掲載分の結月さんの装いの種類AからCまでに加え、残りの全ての絵と解説を収録しました。あんな結月さん、こんな結月さんを見つけた!という、シーンごとに私が発見をしたときの喜びを再びお伝えすることができれば幸いに思います。

 準備号1(冊子版)の内容は巻末の表と1枚絵以外(つまりAからCまでは)再録されています。はがき版の内容も再録となります。

■ 形式

 B5 インクジェット印刷、24ページ、本文フルカラー

■ 付録

 YUZU GRAPHIC (A6 インクジェット印刷、8ページ折り本、フルカラー)

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■ 購入者先着特典

 すばるんさんのよりもいコルクコースター

 

 新刊「Yuzuki Visual Manix (準備号2)」をお買い上げの方には、 すばるんさん(@subarun_yrmi の制作された手描きコースターを1枚差し上げます(先着順)。

 コースター一覧は次のツイートにありますので、ほしい物があれば事前にお選びの上、スペースにてコースターの番号をお伝え頂けるとスムーズにお渡しできるかと思いますのでよろしくお願い致します。

 twitter.com/subarun_yrmi/s


 

【新刊(2)】結月さんコルクコースター

 界隈で不意に流行したコルクコースターを私も描いてみました。6枚あります。

 先着順でお好きなものを選んでご購入になれます。イラスト入りの紙袋に入れてお渡しいたしますので、こちらも先着順でお好きなものをお選びください。

 数がないためお一人様一枚までです。

  

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既刊「サウスポールを探しに」

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■ 概要

 宇宙よりも遠い場所(よりもい)の小説、エッセイを中心としたファンブックです。 

 私がよりもいに触れた日々の中から、星や夢、夜と言葉、季節、水辺に関する美しい要素を拾い上げて一冊の本に綴り合せました。

 よりもいってそんな話だっけ?と思われるかもしれませんが、「まぁいいじゃん、それも《よりもい》だ」 と南極よりも広い心で受け止めて頂けると幸いです。

■ 形式

 B5オフセット、44ページ。第2版。

 初版時(C95)にあった付録は、今回は付属しません。

 

 

以上です。それでは、当日スペースにてお待ちしております。

アリーテ姫

アリーテ姫 [DVD]

アリーテ姫 [DVD]

  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2002/12/21
  • メディア: DVD
 

 

「アリーテ姫」2002年11月30日にレンタルビデオで見たときの感想をこちらに載せておきます。見たことがある人向けの感想です。

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アリーテ姫.魔法の使い方が上手だと思いました.ボックスの魔法はたった一つきりですが,何も出来ないようでいてその実いろいろやれてしまっていた人です.なにしろかくも堂々と姫君をさらってゆくのですから.しかもあらかじめ仕組んだプログラムのみで.流星雨の夜,グロベルに流星の正体が人工星の欠片だと物語るのもたいした想像力でした(それは翌日,真実となってしまうのですが.)そんな彼が魔法を一つしか使えないと思い込んでいるわけは,何も学ばぬ子供の頃に同族が滅んでしまったからで,大人になれなかったことを誰を恨むでもなく自分を恨み,そして,巨大ボックスが現れた時にアリーテが言うように彼が自分を自分でおとしめているからでした.アリーテは酷い目に遭わされているのでボックスが周りにやつあたりしてると言うのですが,彼が実際やつあたりしてるのは(アリーテを除くと)自分の作ったカエル男くらいのものでして,村人にとっては怖いけれど水をくれるじーさんに過ぎなかったと思います.天涯孤独な彼が同族を求める心は全く正当なもので,せめて自分を恨むのはよしなさい,きっといいことあるんじゃないかな,という,それが彼の二つ目の魔法になるでしょうか.魔法が一つしかない状況には別の工夫があって面白いです.

 

アリーテが魔女から預かった最も強くて最も性質の悪い魔法である「三つの願い」は,彼女が自分の意思で選ぼうとしていたら鼻にソーセージの例を挙げるまでもなくろくな結果にならなかったと思います.しかし,二つ目の願いまではボックスの魔法に相殺されて「自動的に」くだらない願いとなりました.地下牢に描かれた窓と書き割りの夜空,そして刺繍.くだらなく美しく綴られた世界に時も知らず過ごした日々があればこそ,それはアンプルのひと言で内と外がひっくりかえって,アリーテの中に物語を探し求め始めました.私がかぶりつくように見ていたのはこのへんです.アリーテは,昔そういう姫君がいたという話を思い出しました.ボックスの作ったアリーテ像と今のアリーテとはずっとチャンバラをやっていたので,今のアリーテが昔のアリーテを連れてきたから二対一でなんとか勝てたみたいです.それでまずボックスの魔法は解けました.三つ目の願いとしてボックスがアリーテに誓わせようとした言葉は彼の失敗によって救われました.アリーテが一筋縄でいかぬ姫君であることは千里眼で知っていたはずなのに,自分の魔法で彼女を清楚でくだらない姫君に変えている間に忘れてしまったのか,そこをアリーテに付け入られました.およそこれくらい幸運と機転とがあれば,まじないは良い方向へ反転すると思われます.ボックスの魔法がアリーテに対して有効でないのは,その力が魔女の「三つの願い」を退けるために向かっているからで,ボックスが悪い魔法使いであると同時にアリーテの三人目の援助者であったというのも,気持ちの行き帰りがあって面白かったと思います.最初の魔女だって善いも悪いもなかったわけで.

 

アリーテの行動が周りの人には呪いであるように見えて,それをボックスが魔法で「元の姿」に変身させてしまうのもおかしくて良いです.そんな風に最初は痛快なのだけど最後になるほどボックスの扱いがかわいそうなので,アリーテに対しては,このひよっこが,世間の荒波に揉まれて泣くがよいわ,と思わなくもない,というかそれボックスも同じことを言ってましたが.それにしたって彼女は嬉々として自分からそうしてしまいそうなところが,わたしたちの勝ち目のないところです.

 

 

こんな風に文章を書いているうちに,じわじわと楽しくなってきました.そもそもボックスは「閉じて誰かを待ち続けるような人」がくだらないものだと判っていたからこそ,アリーテを魔法でそのように変えることが出来たのでした.端っから転倒して始まるこの話は愛しい.

やがて君になる 第8巻

やがて君になる(8) (電撃コミックスNEXT)

やがて君になる(8) (電撃コミックスNEXT)

 

「やがて君になる」最終巻。星を見上げて、光へ手を伸ばしてきたお話の、最高の結びでした。

 

第1話「わたしは星に届かない」第4話「まだ大気圏」・・と繰り返し光と星へ寄せられてきた気持ちは、空へ垂直へ伸ばしていたつもりの手が、実は水平に、隣のあの人へずっと伸ばし続けていたのだという気付きとともに、掴む手のひらの中で完結しました。

絵のなか、言葉のなかで、星をモチーフとした叙情が最高の輝きを見せる漫画だったと思います。

 

星図と星座絵(メモ)

去年の冬コミ本のためにエリダヌス座アケルナルの歴史を調べたとき、現代の私たちにとって見慣れた星図のうち、星座の絵と星の位置とを重ねあわせたものは意外と新しいらしいことを知りました(スーフィー「星座の書」964年)。考えてみると、星座の絵を透視するように星の位置を重ねて描くことは高度な絵画技法であるように思われます。

星図の歴史についてはアン・ルーニー「天空の地図」(2018年)に詳しいのでそちらをご覧ください。

天空の地図 人類は頭上の世界をどう描いてきたのか

天空の地図 人類は頭上の世界をどう描いてきたのか

  • 作者: アン・ルーニー,ナショナルジオグラフィック,鈴木和博
  • 出版社/メーカー: 日経ナショナルジオグラフィック社
  • 発売日: 2018/03/15
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログ (2件) を見る
 

 星座を構成する星の位置はどのように描かれてきたのか、ということに興味があるので調べることを続けています。以下は最近読んだ、近藤二郎「わかってきた星座神話の起源 古代メソポタミアの星座」(2010年)の個人的なメモです。

・古代メソポタミアで星座が考案されたのは、少なくともシュメールの都市国家時代(B.C. 2500~2113頃)に遡る。
・最も古い図像資料はクドゥル(境界石:王が王族や祭司、高官達に土地などを与えた際の証書の文章とシンボルが刻まれた石)に描かれているが、最古でもB.C.1400のもの。
・星と星座について記された粘土板ムル・アピンは最古のものでB.C.700の写本が残されており、原板はB.C.1000までは遡れると推定。
・つまり、星座に関する図像も粘土板の文献も、現在のところ都市国家時代のものがない。

・ムル・アピンには、天空をおよそ北極星の周囲、高緯度、中緯度、低緯度にわけて星座の名と説明が記載されている。星の位置は叙述による。例えば「その星は、荷車のシャフトに位置する」。赤緯・赤経に相当する記載はないが、星の入りや星の出に関する諸情報を含む。

・クドゥルの図像の一部は星座絵であると考えられているが、クドゥルの図像に星の位置を描いた星図はない(とは明記されてないが、なさそう)。

・古代メソポタミアの星座とその天空における位置を復元する方法として、上記資料と、後のプトレマイオス朝エジプトで描かれたデンデラの天体図(B.C.50ごろ)から遡る手法が提案されている。

わかってきた星座神話の起源―古代メソポタミアの星座

わかってきた星座神話の起源―古代メソポタミアの星座

 

現存する資料からは、1000年単位での推定に推定を重ねないとシュメール都市国家時代の星座を天空に描くことができない、のだけども。

いま残ってはないけど、当時のウルクの夜空を粘土板に刻んだり、なんなら地面に描いたって人もいたのではないか、などと想像するわけです。

 

【おまけ】

いまどきの天文シミュレータは無料のやつでも年周視差から惑星の固有運動まで計算してくれます(https://stellarium.org/)。ですので、B.C.2655 年のウルクの街の様子を再現するのは簡単ではありませんが、B.C.2655 年のウルクの空を再現することはそう難しくありません。

では。現代の暦ですが、B.C.2655 年11月24日21時のウルク市の夜空です。同じ空を見ていますよ、ほんと。

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天の北極がいまのこぐま座から離れてるのですが、ぱっと見わかんないですよね。

ダンチェ・アルアルチカ

耳をすます、チューンを合わせて異国の声が届く。それを言葉と思うのは送り手がいるという信頼、音に認められる構造、あるいは。やめよう、私はこのゲームの作者を知っていて、彼のことを思わずには受け取れないから。

なにもかも話し足りないオブジェに耳をすませる。時間は言葉で埋められて、唐突に終わる。

ゲームというものが、私にたくさん話しかけてくれる機械みたいに思えることがあります。私はたとえば、床から1.5メートルの高さに置かれたディスプレイの、立ち絵の人物が話す言葉を、2.5メートルくらい離れた床の蒲団にくるまって、見上げて聞いている。そうして周波数の合った瞬間、言葉が私に流れ込んできます。

話したがりの機械と聞きたがりの私の関係は、ごめん、電話のようであってね。お喋りな彼と聞いてるだけの僕。お喋りなわたしと聞いてるだけのあなた。相手によってこれは入れ替わるのだけど。

じゃあ今日は、いや今日も、私が話をしましょう。このブログではそういう話し方しかできないのだから。私が寡黙だったらこの場所には何もない。この先の文字はない。


だけど先はあった。お喋りをはじめます。私がお喋りな機械です。童話めいたオブジェです。けして話すのが好きだなんて思わないでほしい。だけど、話し足りないみたいに話すオブジェです。


このゲームを始めたときにはもう、ゲームのひとがいきなりなにかのお話を始めてくれる嬉しさがあって、その声がですね、ゲームのひとの声というよりは、飯塚さんの声で、もっというと飯塚さんの実際の声ではなくて、飯塚さんがいつも書かれる文章を私が読むときの声で聞こえてくるのですが、そんな風に飯塚さんの文章を読めて嬉しいなぁ、という気持ちが湧き上がってくるのが冒頭の語りです。ステイチューン。

声は、まずは二つあるように思えます。ディスプレイに表示されているひとの語り。そして、エニオブジェ。エニオブジェは拾いもの。拾うとどういうエニオブジェなのか説明が挟まれます。たくさんのエニオブジェを拾ってうれしい、読んでうれしい、拾うと語りがどこでも中断されるのがうれしい。お泊まり海でどんどんエニオブジェを拾って、どんどん語りの中断されるのがうれしい。

出力ウィンドウが1つのとき、あるメッセージを表示することが別のメッセージへの割り込みになるのはどういうことなのだろう。このゲームのひとの話に、システム?が割り込んでエニオブジェについて話そうとしているの?

実世界の会話では声はパラレルに生じていい。だけどゲームの出力ウィンドウがマルチじゃなくて1つしかないとき、そこには別の世界法則があって、そこでは人物の声とシステムメッセージとが1つきりの出力ウィンドウのなかでぎこちなく譲り合っているのではないのか。そういうことを、思いました。

ゲームのひとが話し終えるのを、ゲームシステムさんが待てないことは普通にありそうです。だって、素敵なものを拾ったってこと、すぐ教えてあげたいんじゃないですかね。

果たして。

ゲームシステムさんはこの出力ウィンドウから旅立ちました。あそこは窮屈だった・・。

私がたくさん周回したのはアーリーアクセス版で、その後の完成版でエニオブジェは独立したコンテンツとしても話されるようになりました。新天地で、だけどエニオブジェたちはもう誰にも邪魔されないことをちょっと寂しく思っていたよ。

言葉はぎこちないままにゲームはよどみなく流すでしょう。よどみから言葉を拾って配置する。少しよどまなくなる。言葉をまたよどみへ落とす。拾う、落とす、拾う。拾われたエニオブジェたちと、新たによどみへ落とされた言葉たち。ゲームの版が上がるにつれ、画面にその痕は残されました。拾われた言葉のしたたりで、画面は汚されて、でもそれは模様を描くようでもあったよ。

その営みから目を閉じて、もういちど言葉に耳をすませる。

わたしは遠いラジオみたいにこの声を聞いていたい。

 

メッセージの遅配

よりもい第12話について。以下、本編をご覧になった後で読んだほうがいいんじゃないかな。

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第12話を見終わったとき、報瀬のメールが報瀬に届いて本当に良かったなぁと思いまして。どうしてそういう気持ちになったのかということを話します。

あのときの報瀬の涙は、シリーズ全体を振り返るものでした。ここまでの万感の思いが巡る場面だとは思います。これが最終回だって思っちゃうくらい。わたしは当初、第12話が最終回だと勘違いしてた人です。

ただ、報瀬が泣けないことを告白して最後に泣くという筋書きは第12話のなかで初めて示されるのでして、じゃあ、彼女はなぜ泣けなくて、なぜ泣いたのかというのも基本的には第12話のことばと絵で語られてると思います。

冒頭から前半にかけては、報瀬のなかで3年前から夢のような状態がずっと続いていることが示されます。

それは、まるで夢のようで、
あれ、覚めない、覚めないぞって思っていて、
それがいつまでも続いて、
まだ、続いている。

 この思いをみんなに告白する時には言葉を変えています。

「むしろ普通っていうか、普通すぎるっていうか」

「私ね、南極来たら泣くんじゃないかってずっと思ってた」

「でも、実際はそんなこと全然なくて、なに見ても写真と一緒だ、くらいで。」

「でも、そこに着いたらもう先はない。終わりなの」

「もし行ってなにも変わらなかったら、私はきっと、一生今の気持ちのままなんだって」

泣くんじゃないかと思ってたけど、どうしてだか普通すぎてそうならなかった。そして、この普通がこれからもずっと続いてゆくことを報瀬は怖れています。

そんな彼女がどうしてメールが届くのを見て泣いたのか。もう一度いいますけど、あそこは万感の思いが巡る場面だと思います。それはそうとして、じゃあ、なぜ一万円札を床に並べて数えたときは泣けなくて、メールの数が増えてゆくのを見た時には泣けたのか、ということを話したいと思います。

お札を並べてゆくところも胸に迫るものがありましたよね。あれも、報瀬の3年間を噛みしめるように振り返ることでした。だけど報瀬は泣かなかった。

そんな報瀬の3年間を、普通がずっと続いてゆくような、覚めない夢みたいだったとは、思いたくないんですよね。あの3年の間、アルバイトの他にもずっとやってたことがあったよね、と。

彼女が3年の間メールとして発信し続けた思いは、だけど、彼女自身に届いてなかったんですよ。だから普通だと思えた。覚めない夢だと思えた。自分の気持ちは自分で判らなかった。

100万円は確かに手元にある。だけど、メールに込めた思いはまだ報瀬の元に届いていない。

報瀬がたぶん灰色みたいに思ってただろう3年間は、実は母への思いで満たされていたこと、だけどそれを綴ったメールが報瀬本人に届いてないんですよ。

最後のメールの場面は、メールの受信数が増えてくことだけが響くのではなくて、3年間の思いを数えるだけならもうお札を床に並べるときにやってるよね。それだけじゃなくて、メールが「届いた」ことが報瀬の、ひいては見ている私の胸を打ちました。報瀬の母への思いは、普通とか夢とかじゃなくて、ちゃんと報瀬本人に届いたんだ。作中には相手がすぐ読むことを前提としたメッセンジャー(RINE)が登場するけど、報瀬が相手のすぐ読まないメールを出してるのは、メッセージが遅配されること。本人の思いは本人ですら受け取れなくて、だけど遅れて届くかもしれないということ。

だから、報瀬のメールは報瀬に届いて本当に良かったと思います。