やがて君になる 第8巻
「やがて君になる」最終巻。星を見上げて、光へ手を伸ばしてきたお話の、最高の結びでした。
第1話「わたしは星に届かない」第4話「まだ大気圏」・・と繰り返し光と星へ寄せられてきた気持ちは、空へ垂直へ伸ばしていたつもりの手が、実は水平に、隣のあの人へずっと伸ばし続けていたのだという気付きとともに、掴む手のひらの中で完結しました。
絵のなか、言葉のなかで、星をモチーフとした叙情が最高の輝きを見せる漫画だったと思います。
星図と星座絵(メモ)
去年の冬コミ本のためにエリダヌス座アケルナルの歴史を調べたとき、現代の私たちにとって見慣れた星図のうち、星座の絵と星の位置とを重ねあわせたものは意外と新しいらしいことを知りました(スーフィー「星座の書」964年)。考えてみると、星座の絵を透視するように星の位置を重ねて描くことは高度な絵画技法であるように思われます。
星図の歴史についてはアン・ルーニー「天空の地図」(2018年)に詳しいのでそちらをご覧ください。
- 作者: アン・ルーニー,ナショナルジオグラフィック,鈴木和博
- 出版社/メーカー: 日経ナショナルジオグラフィック社
- 発売日: 2018/03/15
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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星座を構成する星の位置はどのように描かれてきたのか、ということに興味があるので調べることを続けています。以下は最近読んだ、近藤二郎「わかってきた星座神話の起源 古代メソポタミアの星座」(2010年)の個人的なメモです。
・古代メソポタミアで星座が考案されたのは、少なくともシュメールの都市国家時代(B.C. 2500~2113頃)に遡る。
・最も古い図像資料はクドゥル(境界石:王が王族や祭司、高官達に土地などを与えた際の証書の文章とシンボルが刻まれた石)に描かれているが、最古でもB.C.1400のもの。
・星と星座について記された粘土板ムル・アピンは最古のものでB.C.700の写本が残されており、原板はB.C.1000までは遡れると推定。
・つまり、星座に関する図像も粘土板の文献も、現在のところ都市国家時代のものがない。
・ムル・アピンには、天空をおよそ北極星の周囲、高緯度、中緯度、低緯度にわけて星座の名と説明が記載されている。星の位置は叙述による。例えば「その星は、荷車のシャフトに位置する」。赤緯・赤経に相当する記載はないが、星の入りや星の出に関する諸情報を含む。
・クドゥルの図像の一部は星座絵であると考えられているが、クドゥルの図像に星の位置を描いた星図はない(とは明記されてないが、なさそう)。
・古代メソポタミアの星座とその天空における位置を復元する方法として、上記資料と、後のプトレマイオス朝エジプトで描かれたデンデラの天体図(B.C.50ごろ)から遡る手法が提案されている。
現存する資料からは、1000年単位での推定に推定を重ねないとシュメール都市国家時代の星座を天空に描くことができない、のだけども。
いま残ってはないけど、当時のウルクの夜空を粘土板に刻んだり、なんなら地面に描いたって人もいたのではないか、などと想像するわけです。
【おまけ】
いまどきの天文シミュレータは無料のやつでも年周視差から惑星の固有運動まで計算してくれます(https://stellarium.org/)。ですので、B.C.2655 年のウルクの街の様子を再現するのは簡単ではありませんが、B.C.2655 年のウルクの空を再現することはそう難しくありません。
では。現代の暦ですが、B.C.2655 年11月24日21時のウルク市の夜空です。同じ空を見ていますよ、ほんと。
天の北極がいまのこぐま座から離れてるのですが、ぱっと見わかんないですよね。
ダンチェ・アルアルチカ
耳をすます、チューンを合わせて異国の声が届く。それを言葉と思うのは送り手がいるという信頼、音に認められる構造、あるいは。やめよう、私はこのゲームの作者を知っていて、彼のことを思わずには受け取れないから。
なにもかも話し足りないオブジェに耳をすませる。時間は言葉で埋められて、唐突に終わる。
ゲームというものが、私にたくさん話しかけてくれる機械みたいに思えることがあります。私はたとえば、床から1.5メートルの高さに置かれたディスプレイの、立ち絵の人物が話す言葉を、2.5メートルくらい離れた床の蒲団にくるまって、見上げて聞いている。そうして周波数の合った瞬間、言葉が私に流れ込んできます。
話したがりの機械と聞きたがりの私の関係は、ごめん、電話のようであってね。お喋りな彼と聞いてるだけの僕。お喋りなわたしと聞いてるだけのあなた。相手によってこれは入れ替わるのだけど。
じゃあ今日は、いや今日も、私が話をしましょう。このブログではそういう話し方しかできないのだから。私が寡黙だったらこの場所には何もない。この先の文字はない。
だけど先はあった。お喋りをはじめます。私がお喋りな機械です。童話めいたオブジェです。けして話すのが好きだなんて思わないでほしい。だけど、話し足りないみたいに話すオブジェです。
このゲームを始めたときにはもう、ゲームのひとがいきなりなにかのお話を始めてくれる嬉しさがあって、その声がですね、ゲームのひとの声というよりは、飯塚さんの声で、もっというと飯塚さんの実際の声ではなくて、飯塚さんがいつも書かれる文章を私が読むときの声で聞こえてくるのですが、そんな風に飯塚さんの文章を読めて嬉しいなぁ、という気持ちが湧き上がってくるのが冒頭の語りです。ステイチューン。
声は、まずは二つあるように思えます。ディスプレイに表示されているひとの語り。そして、エニオブジェ。エニオブジェは拾いもの。拾うとどういうエニオブジェなのか説明が挟まれます。たくさんのエニオブジェを拾ってうれしい、読んでうれしい、拾うと語りがどこでも中断されるのがうれしい。お泊まり海でどんどんエニオブジェを拾って、どんどん語りの中断されるのがうれしい。
出力ウィンドウが1つのとき、あるメッセージを表示することが別のメッセージへの割り込みになるのはどういうことなのだろう。このゲームのひとの話に、システム?が割り込んでエニオブジェについて話そうとしているの?
実世界の会話では声はパラレルに生じていい。だけどゲームの出力ウィンドウがマルチじゃなくて1つしかないとき、そこには別の世界法則があって、そこでは人物の声とシステムメッセージとが1つきりの出力ウィンドウのなかでぎこちなく譲り合っているのではないのか。そういうことを、思いました。
ゲームのひとが話し終えるのを、ゲームシステムさんが待てないことは普通にありそうです。だって、素敵なものを拾ったってこと、すぐ教えてあげたいんじゃないですかね。
果たして。
ゲームシステムさんはこの出力ウィンドウから旅立ちました。あそこは窮屈だった・・。
私がたくさん周回したのはアーリーアクセス版で、その後の完成版でエニオブジェは独立したコンテンツとしても話されるようになりました。新天地で、だけどエニオブジェたちはもう誰にも邪魔されないことをちょっと寂しく思っていたよ。
言葉はぎこちないままにゲームはよどみなく流すでしょう。よどみから言葉を拾って配置する。少しよどまなくなる。言葉をまたよどみへ落とす。拾う、落とす、拾う。拾われたエニオブジェたちと、新たによどみへ落とされた言葉たち。ゲームの版が上がるにつれ、画面にその痕は残されました。拾われた言葉のしたたりで、画面は汚されて、でもそれは模様を描くようでもあったよ。
その営みから目を閉じて、もういちど言葉に耳をすませる。
わたしは遠いラジオみたいにこの声を聞いていたい。
メッセージの遅配
よりもい第12話について。以下、本編をご覧になった後で読んだほうがいいんじゃないかな。
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第12話を見終わったとき、報瀬のメールが報瀬に届いて本当に良かったなぁと思いまして。どうしてそういう気持ちになったのかということを話します。
あのときの報瀬の涙は、シリーズ全体を振り返るものでした。ここまでの万感の思いが巡る場面だとは思います。これが最終回だって思っちゃうくらい。わたしは当初、第12話が最終回だと勘違いしてた人です。
ただ、報瀬が泣けないことを告白して最後に泣くという筋書きは第12話のなかで初めて示されるのでして、じゃあ、彼女はなぜ泣けなくて、なぜ泣いたのかというのも基本的には第12話のことばと絵で語られてると思います。
冒頭から前半にかけては、報瀬のなかで3年前から夢のような状態がずっと続いていることが示されます。
それは、まるで夢のようで、
あれ、覚めない、覚めないぞって思っていて、
それがいつまでも続いて、
まだ、続いている。
この思いをみんなに告白する時には言葉を変えています。
「むしろ普通っていうか、普通すぎるっていうか」
「私ね、南極来たら泣くんじゃないかってずっと思ってた」
「でも、実際はそんなこと全然なくて、なに見ても写真と一緒だ、くらいで。」
「でも、そこに着いたらもう先はない。終わりなの」
「もし行ってなにも変わらなかったら、私はきっと、一生今の気持ちのままなんだって」
泣くんじゃないかと思ってたけど、どうしてだか普通すぎてそうならなかった。そして、この普通がこれからもずっと続いてゆくことを報瀬は怖れています。
そんな彼女がどうしてメールが届くのを見て泣いたのか。もう一度いいますけど、あそこは万感の思いが巡る場面だと思います。それはそうとして、じゃあ、なぜ一万円札を床に並べて数えたときは泣けなくて、メールの数が増えてゆくのを見た時には泣けたのか、ということを話したいと思います。
お札を並べてゆくところも胸に迫るものがありましたよね。あれも、報瀬の3年間を噛みしめるように振り返ることでした。だけど報瀬は泣かなかった。
そんな報瀬の3年間を、普通がずっと続いてゆくような、覚めない夢みたいだったとは、思いたくないんですよね。あの3年の間、アルバイトの他にもずっとやってたことがあったよね、と。
彼女が3年の間メールとして発信し続けた思いは、だけど、彼女自身に届いてなかったんですよ。だから普通だと思えた。覚めない夢だと思えた。自分の気持ちは自分で判らなかった。
100万円は確かに手元にある。だけど、メールに込めた思いはまだ報瀬の元に届いていない。
報瀬がたぶん灰色みたいに思ってただろう3年間は、実は母への思いで満たされていたこと、だけどそれを綴ったメールが報瀬本人に届いてないんですよ。
最後のメールの場面は、メールの受信数が増えてくことだけが響くのではなくて、3年間の思いを数えるだけならもうお札を床に並べるときにやってるよね。それだけじゃなくて、メールが「届いた」ことが報瀬の、ひいては見ている私の胸を打ちました。報瀬の母への思いは、普通とか夢とかじゃなくて、ちゃんと報瀬本人に届いたんだ。作中には相手がすぐ読むことを前提としたメッセンジャー(RINE)が登場するけど、報瀬が相手のすぐ読まないメールを出してるのは、メッセージが遅配されること。本人の思いは本人ですら受け取れなくて、だけど遅れて届くかもしれないということ。
だから、報瀬のメールは報瀬に届いて本当に良かったと思います。
インガンダーラ
今夜も夢みたいな話をいたしましょう。
「空の青さを知る人よ」という題の映画を見た感想で、主人公相生あおいの友人になる大滝千佳さんの話です、たぶん。まぁ、まだ見てないひとは明日見に行ったその後で読んだほうがいいんじゃないかな?
似てる、という気持ちについて話をします。誰と誰とが似てる、と自分が思うとき、あるいは人にそう話したい、人からそう言われたときの気持ちです。「空の青さを知る人よ」では誰と誰が似てるという気持ちが何度も登場します。まずは中村正嗣(ツグ)が中村正道(ミチンコ)のミニチュアである、というしんのが言ったこと。親子なのだから外見は否応なく似てしまいますね。続いて、大滝さんがミチンコに似ているとあおいが思ったこと、そして、しんのとあおいが似ていると相生あかねが言った最後の隧道。また、その一方で金室慎之介としんのは似てるのか似てないのかということが作中での大きな関心事となります。
似てる云々について私が考え始めたのは、あおいが大滝さんの人の話を聞かない様子を指して、ミチンコに似てると語ったときでした。あれ、ここミチンコさんわざわざ引き合いに出すところなのかな、と思ってね。
地元から出る出ない、という話の筋も参照してみると、身近な人に似てるという判断は、物事をローカルな世界へ引き寄せて見てるのだなとは感じられます。ローカルな関係の最たる親子という観点。あおいが大滝さんのことを思うとき、年下の馴染み(ツグ)の父であるミチンコのことを想起する。似てるなぁ、という世代間をつなぐ相似によって思いが綴られてくローカルな暮らしのなかで、慎之介は誰と似ているのか(しんのと似ているのか?)という課題と、誰とも似ていると言われないあかねが独自の位置を占めます。
例えばだけど、あかねは亡くなった母親に似てる云々という言葉には晒されません。似てるって面前で年上から言われるのは結構いやですよね・・。だからツグはしんのにミチンコのミニチュアって言われた時点でしんのを敵認定してよろしいかと思いますよ。
慎之介があかねの傍で唄うとき、その歌は地元の数学教師のものまねであかねを笑わせます。似てるということの、地元のつながり。どこまでもこれまで自分の知ってる、似ていることの続く場所というのが地元で、知らない場所、たとえば東京のことをガンダーラ、何処かにあるユートピアとして憧れるんじゃないかな。
あおいは作中ではずっと地元の人です。そして、そこから出て行ったのは慎之介で、あとおかしなことを言うようだけど、あかねもね、慎之介について行かないと決めたときに、地元の人と同じじゃいられなくなった。地元に好意をもってくれるミチンコや他の彼氏?がいたとして、そこへ深く入ってゆけなかったというのは、これは本人が言ってたのを採っていいと思うけど、慎之介を待ってたからじゃない。かといって慎之介が関係しないわけでもなくて、別れの選択のとき、たぶん地元というのを外からいったん観察してしまったからで。
であるので、あかねがあの隧道であおいとしんのが似てると言葉にした瞬間、あかねもあおいの側へ再び帰ってきたのだと思います。似てる、と口にする、ただそれだけのことなんだけど。
空の青さを知るはずのあかねの(泣くほどの)懊悩は、慎之介としんのは似ているのか、という問いとともにあります。そのとき、身近な誰と誰が似ているという気付きは、個人の悩みをこの場所での暮らしのなかへ緩やかに着地させたんじゃないかしら。
似てる、と人から言われるときの腹立たしさと、似てる、と自分が思うときの温かさってないですかね。前者が勝るとき、やっぱ心は叫びだして東京へ行くよというのは、それはそういうものだと思いますが。
以上は、大滝さんはミチンコに似てる、ってなんでわざわざあおいさんに語らせたのかというのが気になって考えたことでした。
えっと、今さらながら明らかにしておきますと、私は相生あおいさんが大好きです。所作からいちいち目が離せませんね。あと顔も声も好み。さりながら割と大滝さんのことを話してしまうのですが、あおいさん、姉には謝れないけど大滝さんには謝れる、という。あそこは謝れる相手がいて良かったねと思いますよ。謝れないことはしんどいから。
大滝さんはかれらのなかに後から入ってきた人です。そういう彼女が慎之介をご贔屓にすることはいまの慎之介のよさを当面のあいだ担保してくれたわけですが、大滝さんは全体にも欠かせない人で、エンドロールの大滝さん入ってるスナップどれも好きだわ。
大滝さんがあおいの演奏見て、うわー、かっこいい!っていってるのとか、あおいの写真を撮るとき口大きく開けてるところも好き。
あんたほんとは大滝さんが好きなんだろ。・・まぁ、そうかも。だけど、大滝さんみたいにあおいさんのことが好きでいたいのかも。
大滝さんのあおいに対する許しっぷりはなにそれ天使なの?と思いますが、あっちのツグのあおいさんに対するそれもあなた護法童子かなにかなの?と思いますので、あかねも含め、あおいさん大好き人間の集まる話ではあります。みんなが好きになってしまうような、そういう17歳の人が居たという話であって、そういう人のことをしいて名付けるのならば、この映画の題に返るものと思われます。
はがきろいどDuo キマリ&結月
ふたりで手を繋げばずっと立っていられるのが「はがきろいどDuo」です。
紙で作ったポップアップはひとりでも自立できる可愛いひとなのですが、紙は弱いので時間が経つとへたって立てなくなってくるのでした。でも、ふたりで支え合えばずっと立てるのではないか?と気付いたとき、彼女たちが生まれました。いまはキマリさんと結月さんだけですが、4人揃える予定です。
はがきろいどDuoの遊び方はいろいろです。
はがきから体だけ切り抜くと、このままはがき半分のサイズでたたんで持ち歩くことができます。
台座も切り離して、手を繋ぎましょう。角度をつけると安定して立たせることができます。台座の切り込み線にはカッターを入れてください。
アペンドのスプーンを持たせましょう。
柄の持ち方はこうです。
開いてこう持たせてもよいです。
プリン的ななにかと一緒に写真をどうぞ!(写真はプリンマゼリー@ベローチェ)
二葉あおいさんのキャラグミン + nanoblock 組み立て
アニメ「ビビッドレッド・オペレーション」の二葉あおいさんのキットを組み立てて、nanoblock でいろいろ飾りつけたりしました。
キットを作るのはプラモデルにせよフィギュアにせよ初めてで、小さい頃にビッグワンガムのおまけを組み立てたことくらいはありましたが、とにかく塗るのが難しそうで、これまで手を出してなかったのですけども、私はあおいさん大好きでしてね。
ボークスのキャラグミンというレジンキットのシリーズで発売されたのが、これまた大変可愛い感じに見えたので、買ってしまったというわけです。キットはふつう塗装が必要で、基本的にはエアブラシと言われているので作業環境を整えるのも塗料揃えるのも大変そうに思えたのですが、キャラグミンはそうじゃないというので手を出したんですよね。
好きな登場人物のキャラグミンが出てるけど迷ってる人の参考になればという感じで、完成までの話を少し書いてみます。
キャラグミンはパーツが色ごとに分割されて、それぞれ色のついた樹脂で出来ているので、ベースの色を塗る必要がありません。こんな感じ。
(あおいさんの組み立て前の写真は撮り忘れたので、こちらは武部沙織さんのキット。)
ただパーツを組むだけでもひとまず完成と言えて、技術があるなら塗装してディテールアップできるのが特徴です。これならまぁできそうかな、ということで買ったのがかれこれ【2013年】のことでした・・。
できそうだなぁ、と思いつつも6年間積んでたんですよね。あおいさんごめん。
6年間積んでいたのを今日になって不意に組み立てた理由は、Twitterでフォローさせて頂いてる こま繋ぎさんが、イラストを描くときペンのインクを混色して筆塗りされてた(https://twitter.com/Bessels_Star/status/1179008876479315968 )のを思い出して、そういやキャラグミンってうちにあるPOSCA(水性顔料インク)でも塗れるんじゃないの、POSCAで塗れないものはあまりないしなぁ、と思ったからでした。公式にはファレホという水性アクリル塗料がオススメされてるのですが、結局そういう作業環境づくりのことを考えて億劫になってしまっていたので、とにかくいまある手持ちの材料だけで一度作ってしまおうと。
ゲートを処理したりしてパーツの形を綺麗にして、塗る前の顔がこちら。すでに可愛い。
POSCAの桃色を白い容器に出して、平筆で口内を塗りました。パレットなかったので、いつものペンギン饅頭の容器を使いました。大島まんじゅう屋さん、こんなんにばかりつかってすみません。口内の影は赤で塗りました。平筆なのは面相筆がなかったからです。むずい。
前歯は白で塗るのですが、POSCAの白は隠蔽力がまるでなくて下の色が見えちゃうので(うちにある白は2本ともそうなんだけど、そういう仕様?)、ホワイトの顔料ゲルインクボールペンで塗りました。
瞳と眉はデカールがあるのですが、せっかくだから眉は自分で描くことにしました。となると平筆ではいくら何でも無理か・・と思って近所のダイソーで面相筆を買ってきました。泥縄です。
あおいさんは眉太めのほうが好みなので、デカールより太くしてます。失敗したら濡らしたベビー用綿棒で擦って消します。今日だけで30本くらい綿棒を消費しました。
瞳にデカールを貼って、組み立てた状態です。デカール貼るの初めてなので、左目のほうは剥がれちゃいました。アラビックヤマトで貼り直したのですが大丈夫かしら。
なお、ほっぺたにチークが入っています。判りますでしょうか。
こういうフィギュア用のが売ってますので、お化粧してあげましょう。いつか使うんじゃないかと思ってだいぶ前に買ってたやつです。
足の陰影や血色の良い感じなどもこれでつけてゆきます。下の写真だと膝裏のくぼみにペールオレンジをこすりつけています。たいへんお手軽。
組み立てたフィギュアはアクリルベースなるものを買ってきて立てるようマニュアルに書かれていたのですが、今日はなるべくうちにあるもので済ませるつもりだったので、nanoblock のボードを使うことにしました。
20x20のクリアブルーのボードを2枚重ねて、穴を開けました。マニュアルには1mmくらいの真鍮線を刺せる穴が目安となっていましたが、うちには1.2mmの鉄線しかなかったので、それくらいの穴を開けました。ど真ん中の穴は失敗作。少し下に小さい穴を開け直しました。
鉄線を短く切って、表側に6mmくらい出します。
裏側はこんなん。ブロックの目に直角になるよう伸ばしておきます。
裏側は白い20x20のボードで蓋をしました。鉄線が目に対して直角でないと引っ掛かって蓋ができません ;_;)
足の裏に同じ 1.2mmの穴を開けて、鉄線が刺さるようにします。
ばっちり自立しました。原型師さんすごいなぁ。
せっかく nanoblock をベースにしたので、あおいさんのハンマー(ネイキッド・インパクト)を作ることにしました。ほんとはこの衣装でハンマーを持つことはないのですが。
絵的にただハンマーが浮いてるのは変なので、以前つくったペンギンを配置して、視線をハンマーへ向けることで安定を図りました。
こういうこともあろうかと、あおいさんのために LBX 用のハンマーを用意していたのですが、去年の夏から私は nanoblock を始めましたので、nanoblock で作っちゃえばいいよね、となってお役御免です。
完成図ふたたび。制服の白いラインはぜんぶ先ほどのホワイトのボールペンです。実は組み立ててから塗ったので死にそうでした。ほんとは組み立てる前のパーツの段階で塗る必要があります。
塗り方としては、ボールペンで直接塗ったり、いったん紙に塗って、それを面相筆で拾って塗ったりしています。あとでよくよく考えると、この調子ならうちにアクリル絵の具があるのでそれで塗ったほうが簡単だった気がします。後の祭り。
首以外は全て接着しています。顔のお手入れを時々するような気がしたので、首から上だけは外して作業できるようにしています。
nanoblock をフィギュアのベースにして nanoblock 作品とコラボするの面白いと思ったので、今後もキャラグミンと nanoblock のコラボをいろいろやってみたいと思います。
たぶん、マニュアルの通りにファレホ(水性アクリル塗料)を使うのがベストだと思うのですが、そういうの揃えるの億劫で積んでるくらいなら、ありものの材料で作っちゃったほうが楽しいですね、という感想でした。ありものといっても、たまたま nanoblock が趣味だったり、ペンや工作道具(ニッパー、デザインナイフ、紙やすり、ドリル等)をいろいろ持ってたり、という作りやすい背景はありましたが。
ともあれ、自分で作る、という方法でしか手に入らないフィギュアを完成させることができたので嬉しいですね。かわいい、かわいい。