疏水分線

ソガ/疏水太郎のブログです。

マイレコメンド「宇宙よりも遠い場所」

「宇宙(そら)よりも遠い場所」は、南極をきっかけに巡り会った四人の道ゆきを描くテレビシリーズ作品です。略して「よりもい」とも呼ばれます。この文章は作品の大まかな流れにも触れつつ、まだ「よりもい」を見ていないかたへ向けて作品の魅力を伝える目的で書きました。

では、早速ですがご案内したいと思います。


高校生の玉木マリことキマリは、新しい一歩を怖れる人でした。失敗しないかな、後悔しないかなという気持ちでいつも胸が詰まってしまうのです。しかし、この怖れを振りほどけるほどの情熱がある、ということを同級生の小淵沢報瀬に感じたとき、キマリの中にも旅立つための力が湧いてくるのでした。

序盤のこうした流れを支えるのが、ときおり挿入されるモノローグとそれに重なる叙情的な映像です。たとえばそれは、キマリが幼い日に愛した砂場の思い出。砂のダムから一気に溢れ出す水のような気持ちが、いままたキマリの力となっています。キマリが報瀬とともに南極へ駆け出す様子は、水辺のキラキラした映像とともにあって、そこを一直線に貫く新幹線に寄せて描かれているようです。「よりもい」を見るとまずは、情感を伴った映像の美しさに心を奪われます。

さて、気持ちが真っ直ぐでも旅路はそうもゆかず、彼女たちは小さな道ゆきを重ねてゆきました。旅の同行者はみな南極を目指しているものの、それぞれ別の思いも抱えていることが判ってきます。新幹線にワゴン車、飛行機や砕氷船でゆく旅路に、見知らぬ夜の街、人里離れた高原、異国の街はどきどきして、騒動もあって、酷い目にあって、馬鹿みたいに笑って、そのなかで見える人の心の動きも初めて触れるようなことで、キマリのずっと望んでいた「青春」がここに浮かび上がってきます。

キマリと報瀬の「嘘ついてない感じ」に惹かれ、ふたりを信じてついて行くことにしたのが三宅日向です。その背景には、彼女の通っていた高校で人々が見せた行動への不信と、結果としての高校中退がありました。高認を取って志望校も合格確実という努力家の彼女は、16歳の自分の今しか出来ない体験を貪欲に求めます。ここから始まる日向のやんちゃな道中は、信じられる仲間を得ることが出来た喜びに溢れています。

最後に登場する白石結月は、幼い頃からタレントの仕事に生活を削られて、高校生になってもまだ友達のいないことを解決したいと考えています。友達を求める彼女の大胆な行動は、報瀬たちに南極への足掛かりを与えることになりました。また、どうしたら友達を作れるのか考え続けた結月の執念は、彼女らが友情の形についてそれぞれの言葉で語る糸口をもたらしました。

自分の思いをなるべく言葉にすることが、本作品の大きな持ち味となっています。それは「ざまあみろ」という小気味よい叫びであったり、静かに語られる胸の内であったりもします。キマリは第1話においてあまり洗練されない感じも見せるのですが、それでも自らの怖れについて親友のめぐみに語る時には、自分の気持ちと向き合った言葉をひとつひとつ明確に刻んだ話しぶりとなります。それは、相手のことを考える自分の気持ちについて言葉にするときも同じです。人間に対して真摯に向き合った言葉と、そして大胆な行動とで前進する彼女たちの姿は、極地の自然に対峙する観測隊の姿と重ねることで、本作品を挑戦の物語としても成立させています。

だけど、言葉にできることばかりじゃない、ずっと聞けないでいること、言いたくなかったこと、夢みたいでうまく言葉にできそうもないこともやはりあるのです。結月の友達作りはどこへ到達したのか。繊細な日向がいつも割り切りの良すぎる名言を口にする訳は。そして、冒頭で報瀬の示した南極とは、彼女にとって単に距離や実際の条件において「宇宙よりも遠い場所」だったわけではないこと。はっきり言葉で進行する物語の裏側では、彼女たちの抱えてきた感情も細やかな描写とともに紐解かれてゆきます。

よりもいは、登場人物から慎重に拾い上げた言葉で組み立てるドラマを支柱として、映像や声や音楽が、登場人物の、ひいては私たちの感情を揺らしてくる作品です。その見事な編み上がりをぜひご堪能ください。

 

(2018年6月25日 疏水太郎)

 

宇宙よりも遠い場所(公式)