秋葉原のラブライブ・イヴ

f:id:kgsunako:20130120134632j:plain

 

1.

故郷のスーパーマーケットが本日で閉店になった。ちいさい頃よく連れられていった場所で、改装のときすでに名前も建物も変わってしまったのではあるが、あの場所からスーパーがなくなってしまうことは僕の記憶する街の、かつて在ったその層がまた深くなっていったように感じられた。

正月、帰省した際に聞いてはいたが正確にいつ閉店なのかは意識してなかった。本日閉店の知らせは関西からTwitterのタイムライン上を流れてきた。僕が東にいるときは西のことを思い出して西にいるとき東のことを思い出すというように、思い出を探るときはいつも西と東を行ったり来たりになるのだがその話は折にふれ伊勢物語や竹芝のことで書いてるし、また今度まとめようかと思っている。

本日は東京なう、秋葉原の話である。何十年も経てば街なんてどこかしら変わってく。ただ、秋葉原の変化は電気や映像できらきらしている。だから秋葉原は変わった、なんてわざわざ言われるんだろう。変化というのは何か原因があってその結果だ、とは必ずしもそうでないが、あのときこうだったら別の秋葉原があったのではないか、大きな変化はIFを喚起する。だからシュタインズ・ゲートの秋葉原ではIFの世界線が絡み合っている。

秋葉原に関する一番古い記憶は、受験で関西から出てきてはじめて東京を一通り見て回ったとき、どうやらあのPiaキャロットレストランがあった1999年のことであって、最近になって掘り出した写真からそれと判った。なるほど、そうでもなければ秋葉原には行かない。だって大阪の日本橋で足りてたからさ。そうは言っても次の年、東京へ来てからは週に何度も通ってた。駅前にはまだ大きな駐車場があった。それが青果市場の跡だというのはずいぶん経ってから知った。秋葉原の風景は過去の市場移転のときにも大きく変わっていると思うが僕にとってはやや遠い話だ。その市のことはUDXレストラン街のアキバ・イチという名前でときおり思い起こされるだけだ。ラジオ会館すら僕にとってはもうK-BOOKSがある建物という認識だったので、電子パーツがひしめいてるのを横目に布物グッズを漁りに訪れた。

人工衛星の突き刺さったラジオ会館は建て替え工事のためもはやない。シュタインズ・ゲートで描かれた風景はUDXとラジオ会館という新旧ランドマークが同時にあった5年間を記録している。発売時期を考えるとこれは偶然であるが、秋葉原を描こうとすればそういう風になるものかもしれない。

僕は大学を卒業して関西へ戻ってからまたどういうわけか秋葉原と関わりをもって西と東を往復していた。駅前の再開発が目に見える形となって、市場の跡地、僕にとっては駐車場の跡地であるが、そこでUDXやダイビルの工事が行われていた頃のことである。それで、この当時を思い出すきっかけになったのが今はまた東京にいる僕が見ているアニメのラブライブ!だ。

 

2.

ラブライブ!には1月からのテレビアニメで初めて触れたが、秋葉原の学校が舞台であるとはどこかで聞いていて、秋葉原で近年廃校となった千代田区立練成中学校の話が記憶から甦ったのだった。また、UTX高校というのは見た目のモデルがUDXであり、この練成中学とUDXには少々縁があったことも思い出された。

練成中学は2005年の3月一杯で廃校となったが、その校舎は2006年の秋葉原UDXオープンまでの間、ミュージアムとして利用されていたという経緯がある。というのは、UDXビル内にはかつてデザインミュージアムの設置が計画されており、それに先行して空き施設を利用した活動が開始されたのだった。

http://web.archive.org/web/20060516070612/http://www.d-akihabara.jp/pdf/0722/press_rensei.pdf

デザインというのは、ラジオ、オーディオ、家電の生まれた時代背景、設計の思想とアイデア、そうしたもの全てを含んで、いずれも秋葉原とは縁が深い。その展示と探索のための空間が秋葉原に構想されていた。

UDXのデザインミュージアムはその後わけあって頓挫したと聞いているが、練成中学のほうは改装されて2010年にアート活動の集う場として生まれ変わっていたことを、今月になって知った。空き施設を活用するという思想のほうはずっと生き残っていたのだ。

ラブライブ!の廃校話とUTX高校の姿を見ると思い出されるのは、僕にとって懐かしいそうした出来事だ。デザインミュージアムが秋葉原にある世界線を当時の僕は未来に見ていた。

f:id:kgsunako:20130121025611j:plain
UDXオープン後しばらくの間は、UDXにもデザインミュージアム関連の展示が置かれていた。写真はアキバ犬の群れ(2006年7月25日撮影)。

 

3.

それで今日は実際、廃校跡を訪れたのだった。冒頭の写真がそれである。校庭は公園に、入り口は階段を昇った2階で、職員室らしき部屋がカフェになっている。思ったより人がいる、というのが第一印象で、校内をうろうろしているうちに、部屋のどこもかしこも人がいてなにか活動しているのだということが判ってきた。

f:id:kgsunako:20130120134832j:plain

1階へ降りてみるとデジタル一眼を両手で抱えた小さな女の子が廊下を走っていった。なにか被写体を探してる風だった。カメラ小僧、というのは少し前に根津神社でも見たので、デジタル一眼の影響でまた新しいカメラっ子も生まれたものだなと思っていたが、そのまま廊下をゆくと面白いことになってしまった。

実は、写真のワークショップが行われていたのだ*。写真家のみなさんが中心となって、東北をはじめ各地を回っておられる。そこでカメラの使い方と、どんな風に撮るといい具合になるか、写真と文章の組で表現することなどを参加者に伝えて、それぞれ街を撮るのだ。小学生、高校生、大人、いろんなひと。ここで撮られた写真は校内の階段やガラスの世界を切り取ったもの。あとは校舎のまわりの空。練成中学は秋葉原電気街の北端・末広町の交差点からたった50メートル入っただけの場所であるが、景色はもうきらきらでなく毎日の暮らしの空だ。大阪日本橋でいえば市立日本橋中学校あたりを思い出せばいい。(だけど、あそこももう変わってしまったかもしれない。)

f:id:kgsunako:20130120163709j:plain
秋葉原と日本橋のクロッシング・ポイント。
・・・・・・ではなく、大阪のほうはNipponbashiである。東京ではまずこれに慣れない。

この地域にはあらぶんちょ!というコミュニティ放送があるが、去年のこと、テレビをつけたときにたまたまこれとは別の写真ワークショップが紹介されていた。メディア・コンテと呼ばれる活動で、こちらは電気街の外ではなくど真ん中、真空管時代のオーディオマニアの人々の記憶が写真とともにつづられていた。僕には見えていない、秋葉原の姿がある。

さて、いい写真を撮る、というのは身構えるところもあるだろうけど、写真家のみなさんはときに陽気であったり、真摯であったり、経験でもって自在に場を支えてくださるのが東北でのワークショップ記録映像を見たりこの日の写真発表会に参加させて頂いたりして判った。日々の暮らしとはちょっと別のことをする、それは写真を撮るだけでなく絵を描くということも、空想をするというのもそうであるが、そういうことを始めたり、出来上がりまで維持するのは難しくて、描線がおかしいように思えたり、まるで解けない妄想になってくると壊れてしまう。そういうときただ傍にいるだけでも支えとなるような力をもっているのが芸術家なのだと僕はある先生との出会い以来、思っている。

巡回は東北にはじまり、今回の東京、新潟、横浜、と続くそうだ。昔はこうしたワークショップがその場その場での活動となって繋がりを持つのは難しかったが、いまはFacebook上で行われている。僕も関西の思い出をネット越しに東京で組み立てている。

*「I TIE☆会いたい」写真ワークショップ・3331Arts Chiyoda

 

4.

その後、UDXの東京アニメセンターラブライブ!展があったことを思い出して中央通りの歩行者天国を抜けていった。

f:id:kgsunako:20130120154538j:plain

デザインミュージアムのアキバ犬が並んでいた辺りもこの世界線ではラブライブ!が並んでいる。ここまで手ぶらでやって来たが入学案内やらグッズやらで荷物が一杯になった。

入学案内によると、ラブライブ!の音ノ木坂学院は「秋葉原と神田と神保町という3つの街のはざまにある伝統校」である。校門前の高い階段は本郷台地の崖であろうから、御茶ノ水にたくさんある階段や坂のいずれかなのだろう。そういえば御茶ノ水は音楽の街で、楽器やレコード店が並んでいる。

写真も絵も、空想も、音楽も。学校のふつうの日々ではありえないステージに立つこと、それを始めたり続けたりするときに支えてくれる力というのが、テレビアニメの高坂穂乃果さんには生じてくるのかもしれない、と第3話を見て思った。

 

 

ところで、ランチボックスのようなグッズは僕が本来の用途通り使う機会はなさそうであるが、箱状のものは容易に部品入れへと化ける。買ったものは積んでおくよりもどうにか使おうというのが僕なりの秋葉原である。

f:id:kgsunako:20130121042124j:plain

(2013年1月20日)